37.
 
              どちらからともなく絡んだ視線に、大人しく見てるからと告げた。
 
              元は近衛氏の蒔いた種、本音と言い訳、じっくり聞かせてもらおうじゃないの。
 
              立ったままだった真知子をソファーに促して(病院の特別室って、本当に応接セッ
 
              トが置いてあんのよ?金持ちって…)近衛氏はベッド脇の丸椅子に、つまりあたし
 
              の隣に腰を降ろす。
 
              「真知子さんと話すんだから、向こう行った方がいいんじゃない?」
 
              …これは、態度で示そうってやつ?今更だけど、僕の妻は早希なんだって主張しと
 
              こうかなって、あれ?
 
              まぁなんというか、ホントに今更…。
 
              仲直りしたって言っても、お互い口をきくのもなかなか大変なこじれ具合の間柄。
 
              あたしの傍にいるより愛人の傍の方がいいのね…っ!なんて芝居がかったマネはし
 
              ないからさ、2人で向かい合って話したらいいのに。
 
              真知子も同じ事考えたようで、困惑気味にこちらを見ていた。
 
              「大丈夫だから、向こうにいけば?」
 
              って言ったら、寂しげに笑った近衛氏は小さく首を振る。
 
              「これからする話は、山科さんを説得するためのものじゃないよ。早希に対する懺
 
               悔だ。だからここに、君の傍にいたい」
 
              強い意志を宿した瞳が、じっとあたしを捕らえた。
 
              「ダメ、かな?」
 
              動く気なんか無いくせに、訊ねるより前に心は決まってるくせに、全く。
 
              「…近衛氏がそれでいいなら」
 
              「ありがとう」
 
              ホッと力を抜いた彼は反射的に伸ばした腕を、中空で止めゆっくりと元に戻す。
 
              それは、あたしが身をこわばらせたから。
 
              子供にするみたいに髪を撫でる、近衛氏の仕草が好きだった。
 
              バカにしてるとか、尊敬が足りないとか、悪態をつきながらもそうしてもらえる瞬
 
              間が嬉しくて、いつも待っていたのに。
 
              今日、同じように触れようとした指を心が拒否して、察したからこそ2人の間に他
 
              人の空気が流れて。
 
              気まずさを振り切るように真知子に向き直った近衛氏は、ゆっくり口火を切った。
 
              「最初に山科さんの話を聞いた時、僕の中に生まれた感情は怒りでした」
 
              静かに室内を満たす声は落ち着いていて、よく知ってる人の物。
 
              後ろ暗さに沈む近衛氏じゃない、柔らかな表情で全てを煙に巻く、建前人間。
 
              3年一緒にいてもわからなかった近衛氏の本当を、今日始めて見抜くことができた
 
              んだ…。
 
              でも、鉄壁のポーカーの裏側まで覗けるワケじゃないんで、自己満足の域は出ない
 
              んだけどね。
 
              ほら『あたしだけが彼のこんな顔知ってるのよ!』みたいな、根拠の薄い優越感よ。
 
              と、脱線しちゃったわね。
 
              「私のために怒って頂いたんですね…嬉しい…」
 
              潤んだ瞳もそのままに、いたく感動なさった真知子が近衛氏に縋る視線を投げるけ
 
              ど、当の本人は見慣れた裏盛りだくさんの表情で微笑んだ。
 
              「それはどうでしょうね。あなたのご主人に腹を立てたのは、同族嫌悪ですから」
 
              「え?同族…?」
 
              「つまりね、僕の中にはご主人と同じ病巣があるんです」
 
              問いかけの返答をしているはずなのに、近衛氏の視線は何故かあたしに据えられて、
 
              ちっとも真知子を見ていない。
 
              長い指で自分の心臓をさして、ぎゅっと眉根を寄せた後、彼は低く囁く。
 
              まるであたしの中に、抜けない楔を差し込むように。
 
              「閉じこめて、胸の中に深く。瞳に他の人間を写すのを許さず、声は僕だけを呼べ
 
               ばいい…」
 
              独占欲なのか、狂気なのか。
 
              境界線なんかわからない。だけど、伏せた目には背筋を凍らせるほどの光が溢れて、
 
              捕らわれているのはあたしじゃなく、近衛氏なんだと教えてくれた。
 
              そう、きっかけは…どれもこれもあたしという存在。
 
              彼を怯えさせるほど心を侵し、中心にどんと居座った女に、バランスを保とうと本
 
              能がよそ見を勧めたの。
 
              「早希と、離れている時間が苦しかった。君は僕がいなくても笑うのに、僕は君が
 
               いなければ息もできない。結婚すれば安心だと思ったのに、この熱は日増しにひ
 
               どくなって、爛れそうだ」
 
              苦しげに見つめて、けれどそれ程に想う相手には触れることも叶わないと、自嘲す
 
              る近衛氏を殴りつけたい。
 
              あーもう、久しぶりにこの人相手にこんなこと考えちゃった。
 
              昨日一世一代の告白を聞いたって、遠いなって、近衛氏の気持ちが寄り添ってこな
 
              いと思っていたのに。
 
              だだもう愛しいんだと、全身で伝えてくる相手が、バカでバカで…。
 
              「ていっ!」
 
              我慢できなかった、平手打ちが腫れていなかった右頬を打った。
 
              アンバランスな体勢のせいで軽快な打撃音とか聞けなかったのは残念だけど、気分
 
              がいいから不思議。
 
              人を傷つけた後は、それが肉体的であっても精神的であっても、必ず何らかの苦痛
 
              を伴うものなのだ。
 
              悪いコトしちゃったかな?痛かったよね?やりすぎた?こんな感じに。
 
              ところが今あたしを占める感情は、あ〜すっきりした、だから笑っちゃう。
 
              それもこれも、
 
              「まだ、隠しごとしてたのね!昨日それを言えば、もっと分かり合えたのに」
 
              叩かれたほっぺなんて痛くないに決まってる。一瞬驚いた顔したけど、その後すぐ
 
              に嬉しそうな表情になって、そんで…
 
              「僕には、触らないんじゃなかったの?」
 
              にこって!にこってした〜!!
 
              なによね、裏切り者のくせに!悪いことしたくせに!偉そうじゃない!!
 
              「触んないもん!叩いたんだもん!!」
 
              「そう?でも、嬉しい」
 
              怒ってるのに、ホントに幸せそうに近衛氏が笑ったから、ついついあたしもほわん
 
              とする。
 
              近衛氏って、初めて会ったあの日からは信じられないくらい子供で、自分の感情に
 
              疎いダメな大人だったんだね。
 
              恋どころか愛になっちゃっても自分の心に気づけないんだから、愚かな間違いに足
 
              下すくわれちゃうのよ。
 
              「タチの悪い独占欲」
 
              すがめた目に睨んでも、笑い病にかかった魔王様はちっとも堪えたりしないで。
 
              ああ、魔王なんて言ったらダメね。邪気のないピカピカの笑顔は、なんだか天使み
 
              たいだもの。ケガした顔なのに、本気で綺麗だもん。
 
              「また、嫌いになった?」
 
              そう聞くなら、少しは不安そうな表情をしたらいいのに、さっきまでのしおらしさ
 
              はどこ行っちゃったの?!て、晴れやかな顔で。
 
              何よね、ちょっと触ってもらったくらいで勘違いしちゃって、まだ許したりしない
 
              んだから、そんな簡単なものじゃないのよ。
 
              でも、でも…
 
              「昨日よりは、好き」
 
              頼りなく震えた声で、でもイヤにはっきりとあたしは答えた。
 
              久々にきっちり合わせた視線で、真正面から近衛氏と向き合って告白。
 
              あのどうしようもない不安からは、脱出できたと思う。
 
              時間をかけてゆっくり納得しようと思った近衛氏の本心に、思いがけないスパイス
 
              をふりかけてもらって、ごくりと飲み込めてしまったから。
 
              破綻した表情を晒した近衛氏が、ためらいがちに肩にかかる髪を拾いサラリと落と
 
              す。そうしてあたしの末端に触れて、長い息を吐いて。
 
              「もう、気持ちを試したりはしないから。離れることだけは、しないで?」
 
              僅かに震える声で、揺れる瞳で。
 
              「僕は一生、早希しか愛せないから」
 
              少し首を傾げて、儚げに笑ってみせるから、猶予が欲しいと昨日言えた唇が固まっ
 
              てしまう。
 
              相変わらず口の上手い男ね。しかもツボを心得てるってか、近衛氏を好きなあたし
 
              なら絶対逆らえない言葉を用意するのよ。
 
              これまでみたいに魔王様の笑顔でさくっと脅すんじゃなく、天使の微笑みで可愛ら
 
              しくお願いするから、更にパワーアップ。もう、手に負えない。
 
              「…離れないかどうかは、この事態の収拾如何にかかってるね」
 
              とは、照れ隠しでもなんでもなくただの事実。
 
              真っ直ぐに見つめられる気恥ずかしさに目を逸らして、呆然と成り行きを見守る真
 
              知子と目が合っちゃったのだ。
 
              これはまずい、大恥だ。どうする、あたし?どうする、近衛氏?
 
              彼女説得しないであたし説得しても、意味無いじゃないのさ!
 
              「そう、だったね」
 
              可愛らしく笑ったのはあくまで表面上だから。
 
              天使の陰に隠れてた魔王様、降臨。ひっさびさに全開で、人の悪さが全身からにじ
 
              み出してるわよ!!きゃ〜っ!
 
              半身だけ振り返った近衛氏は、にっこり真知子に言ったさ。
 
              「ずっと聞いて、見てらっしゃいましたよね?」
 
              「…え、ええ」
 
              それはもう、この距離ですもの!…と彼女の叫びが聞こえるようじゃないですか。
 
              困り果てながらも笑顔を見せる真知子は、やっぱり天然で男を転がすことのできる
 
              悪女の資質が充分だ。いや、既に出来上がってるのかも。
 
              透明な笑顔に(どんな笑い方だよ…)少なくともあたしはノックアウトしたからね。
 
              いかん、申し訳ないほっといてと、謝りたくなってきた。
 
              「山科さんには誤解をさせてしまって申し訳ありませんでした。僕はあなたを当て
 
               馬に使ってしまったんですよ」
 
              「あ、あて、あて…っ」
 
              この人、鬼畜だ。よく知ってたつもりだったけど、時間をおいて確認するとえらく
 
              極悪非道なんだ。
 
              言うに事欠いてこんな綺麗な人に当て馬…ぷぷっ悪いとわかっても笑っちゃうじゃ
 
              ないか…ダメだって、噴き出すな、あたし!真知子の表情なんて引きつってるんだ
 
              ぞ、この上あたしごときに笑われたら立場が、立場が…
 
              「妻に比べたらあなたはなにもかもが完璧に近い素晴らしい女性です。なのに僕に
 
               は早希が絶対で唯一無二。これはもう、愚かな感情に他ならないのですがね」
 
              もう絶句してしまっている憐れな彼女に、近衛氏はだめ押しの一撃を加えるから性
 
              格が破綻してる。
 
              「僕の下らない実験に付き合って下さってありがとう。あなたでも、他のどんな女
 
               性でも全く役に立たないとわかりました。明日からは『社長』と呼んで下さいね?」
 
              親しげに名前を呼ぶんじゃないと言うのか。
 
              なんて身勝手な男なんだ!全部、全部自分で蒔いた種のくせに!!
 
              真知子なんて嫌いだが、世界中の女性の敵はもっと嫌いだ。
 
              形いい後頭部を力一杯殴って、ひどいこと言うんじゃないと怒鳴ったあたしを、天
 
              使の笑みでもって嬉しげに見つめる男がいる。
 
              どうやら近衛氏は、新しい技を覚えてしまったようです。
 
              その名も必殺『純粋ぶりっこ』………。
 
              この人にこれ以上の攻撃力は、必要ないんじゃない?
 
              …後日談を一つ。おかしくなったダンナも恐ければ恋心を抱いた上司と一緒にいる
 
              のは辛かろうと、お祖父ちゃんが真知子に用意した転勤先はアラスカだったとか…。
 
              やりすぎじゃない…?
 
 
 
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                  読了お疲れ様でございます〜立ち止まってる終了〜     
                  後数本それから…ってのを上げるんで、お待ち下さい(泣)       
 
 
 
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