35.
 
              先輩、笑ってた。よかったなって、でもキツイから当分は会うのパスな、って。
 
              …あたし、サイテーだ。
 
              寄りかかるのは誰でもよくて、一番身近で好意を持ってくれてる先輩を利用したん
 
              だ。
 
              結局は誤解だと、噛んで含めるように自分に言い聞かせて、近衛氏の「愛してる」
 
              に全てをうやむやにしようとしてる。
 
              殺しきれない感情がそれでもこの人がいいっていうんだもん。優しく包んでくれる
 
              先輩より、臆病で狡い近衛氏の方が、好きだって言うんだもん。
 
              傷ついたのはあたしだけじゃない。先輩も家族も、真知子さんでさえ某かの痛みを
 
              抱いたに違いない。
 
              近衛氏の理不尽に、あたしの弱さに。
 
              「…少し、横になったらどう?」
 
              鼓膜が捕らえた響きに、ふと我に返った。
 
              じんと痛くなった目に、瞬きを忘れていたと知る。視界を占める白に未だ病院だと
 
              自覚し、気遣わしげな微笑みに近衛氏がいたんだと思い出した。
 
              昨日、消灯まで付き添っていた彼は、息詰まる沈黙にもめげず今朝も早くから質素
 
              な丸椅子に陣取って何くれとあたしの世話を焼いてくれる。
 
              食事を用意したり、飲み物を調達してくれたり、ぼんやりすることの多いのに心配
 
              の声をかけたり。
 
              怪我をした顔は昨日より腫れが引いて幾分マシだけど、まだ痛々しい近衛氏に気に
 
              かけられるとこちらの方が恐縮してしまうのもまた事実。
 
              入院はしているけど至って健康なあたしと、明らかな怪我人、横にならなきゃいけ
 
              ないのはそっちに見えるんだけど。
 
              「大丈夫。近衛氏こそ、帰って寝たら?怪我は…寝てて治るモノかどうか知らない
 
               けど、ここにいてもすることないでしょ?」
 
              イヤミでも、顔が見たくないから帰れっていうのでもなく、本音でそう思ったのだ。
 
              昨日の今日で陽気に談笑する雰囲気なんてできるわけない。
 
              終始黙りがち、たまに口を開いてもぎこちない会話。天下の魔王様の弱気な態度に
 
              主従が入れ替わったかの如くあたしのすること全てを温かく見守り、些細なことに
 
              手を貸そうとする様が苦しい。
 
              気詰まりだわ…歩み寄りは必要だけど、一気に距離が縮まったりするわけじゃなし、
 
              スローベースでお願いできないモノかな…。
 
              だが妻の心夫知らず。
 
              「できるだけ早希の傍にいたいんだ。迷惑なら帰るけど、そうでないならここにい
 
               させてくれないかな」
 
              哀願されてしまって、否やが言えるだろうか?いや、言えない。
 
              惚れた弱みとでも、負け犬根性がみについてるとでも、好きに言ってちょうだい。
 
              捨てられる寸前の子犬の瞳に勝てる術を、あたしは持ってないのよ!
 
              「迷惑じゃないよ…いくらでもいていいよ」
 
              弱虫!意気地なし!…とこう、自分に非難を浴びせつつさり気なく視線を外すのが
 
              現実であると。
 
              午後も長くなりそうね…まだ、2時だもん。おやつにもならない…。
 
              『コンコン』
 
              タイミングよく聞こえたノックは、だから神様のお慈悲なんじゃないかと思ったく
 
              らいだ。
 
              この際誰でもいい。精神安定によくなさそうな空気を打破する切っ掛けを下さ〜い。
 
              「どうぞ」
 
              振り返って入室を促した近衛氏に導かれ、顔を覗かせたのは…真知子さん。
 
              遠目でも充分キレイだと思ったその人は、間近で見るとなお一層キレイで言葉を失
 
              う。癖のない真っ黒な髪が肩口で揺れ、大きくて潤んだ瞳が柔らかで甘い印象を醸
 
              し出している。肌は抜けるように白く、強く抱いたら折れそうな体とか、風が吹い
 
              たら飛びそうな風情なんか直視しちゃうと、同じ女として逃げ出したくなるくらい。
 
              穴があったら入りたい、この人には絶対、対抗なんてできない。
 
              …闘う前から負けてるよ〜。
 
              「あの、すみません、突然。ご迷惑かとは思ったんですが、私のせいで奥様が危険
 
               な目に会われたと聞いて、お詫びだけでもと…」
 
              話し声でさえ、美人はキレイなんだ。鈴を転がすようって表現はなんと的を射てる
 
              ことか、感じ入ったと拍手を送りたいくらいだ。
 
              小柄な体を更に竦ませて、早口に言いながら真知子さんはゆっくり近衛氏に近づい
 
              ていく。
 
              立ち上がり応対する表情をこっそり覗いたのは、やっぱりあたしが彼の浮気疑惑を
 
              クリアできてない証拠で、微笑みが固いとか伸ばしかけた手を途中で引っ込めたな、
 
              とか細かくチェックを入れちゃうんだ。
 
              イヤな女だな〜…でも、近衛氏のこの態度、わかる気がする。
 
              当事者になってみるまで、わからない事ってあるよね。
 
              女性不信で、辛辣なこと悪魔の如しを誇るダンナ様が、一体どうして秘書なんてや
 
              っかいな立場の女性を、自分を試す実験対象にしたのかよくわからなかった。
 
              お祖父ちゃんに見つかる可能性の高い社内じゃなく、よそでいくらでも調達できた
 
              女性を真知子さんに定めたわけは、これだ。
 
              この人が纏う、ほっとけないオーラ。
 
              1人じゃ危なっかしい、誰かが、いや自分が手を貸さなきゃ生きていけないんじゃ
 
              ないかって儚さ、間違いなく原因でしょ。
 
              しかし、女のカンは舐めたらいけんのですよ。
 
              あたしはこの人苦手。っていうか、はっきり言って嫌い。
 
              初対面でこんなこと言うのいけないけど、でもやっぱり、変だもん。
 
              真知子さんは、今も近衛氏と話す彼女は、部屋に入ってきてから一度もあたしを見
 
              ていない。わざと無視してるってより、元より視界に入ってませんて感じ。
 
              熱心に近衛氏を見つめて、抱きつかんばかりに近寄って、とくとくと謝罪してらっ
 
              しゃいますが、入院患者は放置です。つーか被害者は近衛氏かって勢いがあります。
 
              これで魔王様が少々困惑気味にしてらっしゃらなければ、切れてたところだ。
 
              なんでしょ、気に入らない女性です…。
 
 
 
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                  真知子が登場です。                   
                  あんま進んでませんが、ご勘弁を〜。                 
 
 
 
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