36.
 
              「ところで山科さん、妻を紹介したでしょうか?」
 
              際限なく謝り、止めどなく言い訳を垂れ流す真知子(もう、呼び捨てで充分だ)を、
 
              近衛氏が止めたのは入室から5分弱たった頃だった。
 
              困惑気味に微笑む彼を少しも怒る気になれないのは、美しいお声の演説を一緒に聴
 
              いていたからに他ならない。
 
              止める暇もありゃしない…。
 
              タイミングは計るんだが、割り込む隙がないんだよ。肩に力が入ってる近衛氏を観
 
              察しながら、あたしも口を挟もうと数度試みたから知っている。
 
              そのうち諦めてサイドテーブルから雑誌を取り上げたくらい、真知子はノンストッ
 
              プ、大人しく話の切れ目を待ってた近衛氏は偉い。
 
              「え、あ、いいえ。まぁ、私ったら…っ!ご挨拶もせずいきなり風間さんと話し始
 
               めてしまうなんて、奥様、大変失礼致しました」
 
              「………」
 
              ………しまった…適切な言葉が浮かばなくて、ついまじまじと彼女を見つめちゃっ
 
              たよ。
 
              生まれて初めてです。謝って頂いてるのに、ものすごっ!バカにされた気分になっ
 
              たのは。
 
              秘書さんが社長を役職じゃなく個人名で呼ぶ意図はなんでしょう?
 
              今気づいたと言わんばかりのその態度、あんまりにも白々しいと思うのは、あたし
 
              の根性が曲がってるから?
 
              勘ぐり過ぎなんだろうか…敵意から関係を始めようとするから、穿った見方になる
 
              んだろうか?
 
              きっちり90度腰を折った真知子の視線が30度ほど上がり、あたしを伺った顔が
 
              これ見よがしに広げられた雑誌で止まって、盛大に歪んだ。
 
              「申し訳ありませんっ!私の態度がお気に障ったんですねっ!!」
 
              わっと泣き伏さんばかりの彼女に、つける薬はお医者さん調合してくんないんだろ
 
              うな…。
 
              すっごい深読み。いやまぁ、思い当たる節があるから急に発想が飛ぶんだろうけど
 
              さ、どう対処するよ、この人。
 
              程度の低いサスペンスドラマか、はたまた中学生の修羅場か、クイーンオブ悲劇の
 
              ヒロインの登場だい。
 
              「あのですね、誤解しないで下さい。今更あなたの態度の一つや二つで腹たてたり
 
               しませんから」
 
              困り果てても、正直者だから嘘がつけないんだよね。
 
              つい本音が零れるほど、嫌いだってのもあるんだけど…。
 
              どうどうとべそかいてる真知子を宥めながら、陽気に言ったんだけどやっぱり含ん
 
              だ意味には気づかれたようだ。
 
              「今更…っ!では、今まで私の存在に怒っておられたんですね?」
 
              小動物のように震えながら言うの、やめて下さい。
 
              ああ、気分はヒール…。
 
              「いえいえ、それも違います。あなたの存在にだけ怒り狂うほどあたしは心が狭く
 
               ないです。一蓮托生、近衛氏と2人セットで蔑みの対象だっただけです。誤解は
 
               いけませんよ?」
 
              穏やかな口調と張り付いた偽善スマイルが抉ったのは、真知子の心じゃなく近衛氏
 
              の心臓だったようだが、問題はない。
 
              どっちもどっちだしね、本人に会うまでは一方的に近衛氏が悪いんだと、巻き込ま
 
              れた女性には同情さえしてたってのに、実際見るとそんな気が失せる。
 
              あんたら同罪だし。責められた時ってのは、より多く良心を持つ人が傷つくって理
 
              屈が根底にあるから、唇噛んで視線を逸らした近衛氏より、泣きながらもあたしか
 
              ら視線を外さない真知子の方が強者だとわかるから、攻撃に手加減はいるまい。
 
              …自分にこんな陰険な面があるとは知らなかった…。
 
              「身重の奥様にそれ程深い憎しみを植え付けてしまったなんて…私一体どう、お詫
 
               びすれば…」
 
              なんでもすると縋ってきそうな彼女をあしらういい手は…
 
              「憎んでないんでお詫びはいりません」
 
              心からでない謝罪に存在価値があるのか?そもそもその目、底光りしてるし、ちっ
 
              とも謝ってないじゃん。
 
              「でも、風間さんとのことで奥様にご不快な思いをさせたのは事実です」
 
              ほほう。
 
              「困った女性を助けるのは、世界中の男の使命でしょう?近衛氏の真意がわかれば、
 
               怒っているのもバカらしい些細なことですよ」
 
              些細だと笑い飛ばしたら、近衛氏がチラリと安堵の表情を覗かせたけど、それはそ
 
              れ、これはこれ。
 
              わだかまりが一気に消えるほど、単純な問題でないのは身に染みてるでしょうに。
 
              まだ、許さないんで。
 
              「おわかり頂けたんですか?私を許して頂けると?」
 
              またか。この人は、もう。
 
              近衛氏に、香織さんに、おば様に鍛えられていなかったらこのデリケートなやり取
 
              りのホントの意味を捕らえられなかったと思う。
 
              誰しもが保護欲をそそられ、少しでも突いた人が悪者だ、と見せる真知子の容姿で、
 
              騙されることがある。
 
              トゲを含まない言葉に、毒がたっぷり塗り込められていることに。
 
              彼女はここまでの会話中、一度も近衛氏との仲に言及していないんだ。
 
              すまなかった、申し訳ないと謝りながら、誤解であるとは絶対言わない。
 
              近衛氏との間にある事実を、決して語らない。
 
              頭に血が上った状態で真知子と会ったなら、あたしはきっと更に疑惑を深めていた
 
              ことだろう。
 
              自分が悪いと繰り返す彼女が、なぜ言い訳をしないのかと。しおらしく泣き崩れな
 
              がら、二度と会わないとは口にしないではないかと。
 
              単純だから一足飛びに、やっぱり近衛氏と真知子の間には並々ならぬ事が!って誤
 
              解したに違いない。うん、絶対したな。
 
              おバカなダンナさんも気づいたかね?あはは、わかったかい。なっさけない顔しち
 
              ゃって、口惜しそうに唇噛んだって遅いっつーの。所詮近衛氏に女が理解できる日
 
              は来ないのよ。諦めて、深入りしないのが身の為ね。
 
              「近衛氏に聞いた話を信じるし、あなたのダンナさんの悲痛な叫びも理解できるよ。
 
               つまりね、全部真知子さんがキレイなのがいけないんだよ。例えばあたしが青あ
 
               ざ作って学校に行っても、同情してアパート探してあげようとか、相手から守っ
 
               てやろうなんて言ってくれる物好きはそうはいないもん」
 
              ホントは約一名いたけど、それはこの際おいといて。近衛氏のバツの悪そうな顔も
 
              面白いし。
 
              「近衛氏もきっとあなたがキレイでか弱くて、1人じゃなにもできない人に見えた
 
               から手を差し伸べずにいられなかったんだね。ダンナさんが異常なまでに奥さん
 
               に干渉する気持ちもわかる。これだけの美人さんが、昼間目の届かない会社の中
 
               でいろんな男と話してると思うだけでおかしくなるよ。あ、でも暴力はいけない、
 
               絶対ダメ。だから、今度はその美貌がトラブルを招かないよう、あたしが責任を
 
               持て真知子さんの面倒を見る。安心して?」
 
              強烈な意趣返しだと、内心苦笑した。
 
              まだ近衛氏を諦めてない人に、自ら関わると宣言したんだもん。おかげで真知子に
 
              は近衛氏との接点がなくなる。もちろん、社長と秘書、首にするわけにもいかない
 
              から毎日会える距離なんだけどね、その点はもう大丈夫だと信じよう。
 
              「いえ…奥様に心配を頂くようなことではありません。風間さんに十分して頂きま
 
               したから」
 
              遠慮がちに言って口元を笑みで飾る真知子の表情が、ごく自然だから驚きだ。
 
              もしやこの人、天然なのか?天然で人が極悪なのか?
 
              そっと視線を送ると近衛氏もちょっぴり驚いたようで、ま、この人の場合今日初め
 
              て彼女の本性を知ったんだとは思うけど?
 
              「主人の両親と風間さんのご配慮で話すことができまして、彼は精神科にしばらく
 
               入院させて頂けることになったんです。その直前に逃げ出して、奥様にご迷惑を
 
               お掛けしてしまったようで…ご厚意を恋愛感情だと勘違いした私が全部悪いんです」
 
              「え、やっぱりしてたんだ」
 
              「待って、それは違う」
 
              妙に納得した声と、きっぱり否定する声が被る。
 
              相変わらず潤んだ瞳でこっちを見る真知子が、零した本音の真意がわからない。
 
              もっと引っかき回そうってのか、真実謝る気があるのか、どっちだ?
 
 
 
BACK  NOVELTOP     NEXT…
 
 
 
                  うむ。まとまらない。                  
                  無駄にページが増えそうなんで、ここでいったん止め。         
 
 
 
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送