34. before
 
              一歩、また一歩と踏み出すたび、冷えた頭の芯で早希の声が響いた。
 
              『隠し事はないか、聞いたら答えてくれなかったよね』
 
              ずっと僕を占めていたのは山科さんで、早希と最後に話したのがいつなのか、まし
 
              てや内容なんてロクに覚えていない自分に愕然とする。
 
              射抜く瞳に溢れた涙が頬を伝ってもまだ、己の正当性を信じて女のヒステリーには
 
              付き合いきれないと考えていた。
 
              『それは、嘘だね』
 
              揺らぎ無い表情の中、寄せられた眉根に気づかなかった訳じゃない。
 
              後ろめたさを、やましさを見透かされたことを認められずに、怒りで誤魔化した。
 
              違うのに、悪いのは早希じゃなく全部僕だ。
 
              『ちょっとだけ、あたしの立場で考えてみて』
 
              ひどい言葉を投げたのに、彼女は笑顔でそう言うと疲れたように目を閉じる。
 
              日に透けた肌に生気がないとないとぼんやり感じたのは、もう部屋を出るしかなく
 
              なってから。
 
              早希が僕にさじを投げた後だった。
 
              「…くそっ」
 
              悪態をつき会長達の待つ廊下を避けて外に出ると、最近本数の増えたタバコに火を
 
              つける。
 
              なんでこんなになるまで、知らぬフリができたんだ。彼女の発する信号を素通りで
 
              きた?
 
              簡単だ。僕が似合いもしない善意を言い訳に傷ついた秘書に肩入れしたのが悪い。
 
              手助けはいらないと、見なかったことにしてくれとさめざめ涙を流して言う山科さ
 
              んを助けられるのは自分だけだと、奇妙な保護欲に取り憑かれ彼女の望むよう振る
 
              舞った。
 
              結果、あんなになるまで早希を傷つけるとは知らずに。
 
              夫は悪くないと庇う彼女を病院に送り届ける時間、僕は何を思っていたんだろう。
 
              くずおれそうな風情に、縋り付いてくる瞳に、少しでも心を動かさなかったか?
 
              逃げても行き場がないと言う彼女を連れて適当な部屋を探す間の目的はなんだ?
 
              いつあの男が連れ戻しに来るかわからない、傍についていてくれと言われて断らな
 
              かったのは何故?
 
              早希の言う通りだ、彼女の話をはぐらかしたというなら、僕は本能的に隠そうと判
 
              断したに違いない。
 
              誰かの庇護なしでは生きられないあの女性を、一時でも守らねばと決めたのだから。
 
              それは早希を愛する僕が、決してしてはいけない行為だったのに。
 
              …そう、僕は早希を愛している。
 
              2年前決して認められなかった感情を受け入れたのはごく最近で、あふれ出す愛お
 
              しいという想いに戸惑っていた。
 
              触れれば、気づかれるんじゃないか。重すぎる僕の気持ちが彼女を壊してしまうの
 
              ではないか。
 
              何より、未知の感情に支配される自分を、持て余すことなく受け入れられるのか…。
 
              山科さんにあれほど肩入れたのは僕の逃げで、決して認めず早希を責めたのは愚か
 
              な自尊心だ。
 
              美しく儚い女性に惹かれない男がいるだろうか?
 
              そう言い分けて彼女といる時間を増やし、早希を避けた。これまで以上に早希を縛
 
              る事で大事な人を怯えさせないように。
 
              妊娠だって、意図して結果を出したのだ。進学を希望する早希を止めるため。卒業
 
              と同時に僕の腕に閉じこめてしまえるように。
 
              『あなたにとっての浮気って、どこで線を引くの』
 
              僕が山科さんと共に行動したのは、精神的浮気だ。否定しても、早希がそう思うな
 
              ら、断罪されるのは僕で彼女では決してない。
 
              どんな想いを抱えていようと、早希が泣いたのなら認めなくては。
 
              弱みを見せることになっても、彼女に愛を告白して謝罪しなくては。
 
              愛しているんだと、誰にも見せたくない、外へ出すのも僕の目の届かない場所に早
 
              希がいるのもイヤなんだと。
 
              プライドなど、かなぐり捨てて離れないでくれと懇願しなくては。
 
              今すぐ、夜が明ければいい。彼女が話を聞いてくれるといった朝に。
 
              ボクハ キミヲ アイシテイマス
 
 
 
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                  ホントは番外みたいな感じなんだけどね…。        
                  書かないと次が書けないさ…だからリンクは切ってある(笑)。     
 
 
 
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