30.
 
              「なんだよ、また昼寝?」
 
              勝手知ったる何とやら、玄関を顔パスで通過したらしい先輩が母屋の縁側でひっく
 
              り返るあたしの顔を覗き込む。
 
              逆さから見てもマヌケ顔にならない造作の良さにむかつくけど、まぁ嬉しい方が大
 
              きいから笑っとけ。土曜日の昼間っから1人でほっとかれてる人妻に、会いに来て
 
              くれる人なんて先輩くらいなんだから。
 
              「疲れがとれないんだ。あんま寝た気がしないんだよね」
 
              差し伸べられた手を取って起きあがると、インディアンサマーにぐっと背骨をスト
 
              レッチ。
 
              あの日からもう一週間、帰りの遅い近衛氏は今日も会社に行った。
 
              もう確かめる気も起こらないけど、きっと彼女と一緒なんじゃないかな。だって1
 
              人でいるのイヤだってあたしがお祖父ちゃんの家に泊まり続けることに反対しなか
 
              ったし、むしろその方が安心とかって、喜んで送り出されたもん。
 
              「いないんか?」
 
              並んで腰を下ろしながら親指で離れを示した先輩に頷いて、自嘲気味に笑う。
 
              「朝、早く出かけたよ。昨夜も遅かったのに、元気だね〜」
 
              「…お前、寝ずに待ってるんか?そんで、奴が家出る前にまた起きるんか?」
 
              「わざわざそんなことしないって。寝れないから車のエンジン音に気づくし、目が
 
               覚めるからジャリを踏む音に気づくんだよ」
 
              心配に眉根を寄せた彼を安心させようとした言い訳が、更に痛ましげな表情を生ん
 
              だことに胸の奥がじりりと焦げる。
 
              ああ、またやった。
 
              様子がおかしいあたしに周囲が心を砕いてくれるから、なんとかうまく誤魔化そう
 
              とするんだけど悪化するばかっりなの。
 
              わかってる、言い方が悪いんだって。でも頭がきちんと働かない。選んだはずの言
 
              葉が的はずれで、暗に辛いと訴える台詞にばかりなってしまう。
 
              いやだ…これじゃ、先生に悪口言いつける子供みたいだ。あたしはこんなに苦しい
 
              の、助けって自分ばっかり被害者ぶって。
 
              「早希ちゃん…」
 
              「ごめん!おかしいんだよ、なんか変なことばっかり口走る」
 
              ぎゅっと唇を噛んで二度と弱音を吐かないように。
 
              けれど、ぎゅっとあたしを抱き込んだ腕は、無理をするなと甘やかす。
 
              「誰に言えなくてもさ、俺には言えよ。一緒に謎を解明した仲じゃん、事情知って
 
               る分、悪口なら大いに聞くぜ」
 
              ちゃかした口調なのに、なぐさめる手は真剣で、だからもう心を抑えるのが苦しく
 
              て、吐き出した吐息と共に涙が先輩のシャツを濡らした。。
 
              そのジワリと温かなシミを切っ掛けに、一週間考え続けた想いをあたしは口にして。
 
              「もう、さ、あたし、いらないのかな?」
 
              ずっと話してない。顔だって見てない、メールもちょっとしたメモさえ残してくれ
 
              ないのに、他の女の人には会うんだよ。
 
              くぐもって嗚咽で途切れる声は聞きづらいだろうに、優しく背を撫でる彼は黙って
 
              聞いてくれる。
 
              近衛氏があたしにはくれない時間、だだ会話するほんの少しの空間を、この人が与
 
              えてくれるのだ。
 
              「好きな人の隣、いなくて平気?顔、見なくていい?」
 
              どっちもできない。あたしは、我慢できない。
 
              「…人それぞれだしな、学生と社会人じゃ時間の流れが違う。早希ちゃんや俺ほど、
 
               奴は暇じゃないんだろうよ」
 
              違う…それは、違う!
 
              「働いてても、関係ない!!」
 
              腕を突っ張って開いた距離から、強く先輩を睨んだ。
 
              八つ当たりだけど、ホントは…ホントに怒りをぶつけなきゃいけないのは近衛氏だ
 
              けど、臆病なあたしにはできない。まるで片思いの人に声をかけるように、今の近
 
              衛氏と話すことは難しくて、優しい聞き手にやりきれなさをぶつけるのだ。
 
              「恋人同士じゃないんだよ?家に帰れば会えるのに、あたしがお祖父ちゃんのとこ
 
               にいることに何も言わない。顔見るだけでも、安心でしょ?声聞けなくても隣で
 
               眠れれば満足じゃない?なんで、ほっといて平気?!」
 
              噛みつく勢いで言い募ると、表情を歪めた彼はそっと首を振った。+
 
              「…俺は、平気じゃない。あいつにはあいつの事情があるかも知れないと思うけど、
 
               早希ちゃんが泣いてんのに、どうして傍にいてやんねぇのか、わかんねぇ」
 
              涙と鼻水と、もう人に見せるにはあんまりな顔をしてただろうに、先輩は気にする
 
              ことなくもう一度胸の内に閉じこめて、囁く。
 
              「ごめんな、いっこも安心させてやれなくて。こうしてやることしかできなくて、
 
               ごめん」
 
              小さな小さな声が、苦しそうで余計に泣けた。
 
              なんで、傍にいてくれるのが近衛氏じゃないんだろう。
 
              不安を消してくれるのも、重かった胸を軽くしてくれたのも、彼じゃない。
 
              今ここにいる、森山純太だ。
 
              口惜しくて悲しくて、でもちょっとだけ優しい言葉が嬉しくて、泣いた。
 
              枯れるんじゃないかってくらい水分を出して、戻ってきたなけなしの理性と融合し
 
              て、現実に戻る。
 
              しょっぱい現実に。
 
              「…ありがと…」
 
              「…どういたしまして…」
 
              冷静になるとおかしなくらい照れくさくて、離れて見交わした視線で片頬だけ上げ
 
              て笑う。
 
              はは、笑えたや。最近乱発してたどっか乾いた笑いと違う、ホントの笑顔。意識し
 
              ないで、できた。
 
              びっくりしたのは先輩も一緒みたいで、数度瞬くと深い笑みで相好を崩した。
 
              「久しぶりに見たな、早希ちゃん笑ったとこ」
 
              やりくりした時間で、毎日様子を見に来てくれた彼は気づいてたんだろうな。
 
              示されていた厚意に今更ながら思い当たるのは大分失礼だなと思いつつ、お礼だけ
 
              でもと開きかけた口が止まる。
 
              それはいつになく慌てて叫ぶお手伝いさんの声と、視界に飛び込んできた人影に驚
 
              いたから。
 
              「早希さん!!」
 
              「…アンタが、風間隆人の女房か」
 
              おじさんと言うほど年をとってなくて、大人と言えるほどきちんとした恰好をして
 
              いない、無精ヒゲに象られた顔の中、ギラギラと殺気にも似た光を放つ瞳をした男
 
              がどうしてあたしを捜しているのかはわからない。
 
              先輩に庇われた背中の影から彼を見て、頭の芯がキンと冷えた。
 
 
 
 
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                  とにかく、純太は活躍しないといけないわけです(笑)。  
                  さて、近衛は申し開きができるのか?                
 
 
 
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