29.
 
              「…もう、いい。ごめんね、変なこと聞いて」
 
              近衛氏がそう言うなら、信じたフリして通り過ぎるしか道は残っていない。
 
              いつぞやみたいに単純な思いこみで、ちょっと話せば解決する程度ならいいのに。
 
              あたしが見たのは全部幻で、白日夢みたいなもんならいいのに。
 
              なんだかひどく疲れて、近衛氏に背を向けるとあたしは机をかたづけ始めた。立ち
 
              去ることなくこっちを見てるから、参考書の下のマンガとか、真っ白なノートとか
 
              見られたんだろうけど、もうどうでもいいや。
 
              だるい、眠りたい。
 
              「早希、やっぱり何か気になってることがあるんだね?」
 
              「ないよ」
 
              振り返らずに答えて皮肉に唇を歪めた。
 
              だから、聞いたじゃない。でも秘密を温めてるのはそっちで、あたしは愚かな目撃
 
              者に過ぎない、これ以上の追求は無駄だ。
 
              「嘘だ。一体どうしたの?言わないとわからないだろ」
 
              「…何でもない」
 
              思い当たることがあるから、しつこく問いつめるんだろうか。
 
              ばれてるなら、次の手を考えなくちゃって?
 
              とにかく一刻も早く近衛氏から離れて、静かな眠りに安らぎを見いだしたい、そう
 
              思って踵を返したのに。
 
              「待った」
 
              肩を捕らわれた瞬間、目も眩むような怒りに支配された。握りしめた拳に爪が深く
 
              食い込み、鋭い痛みを生む。
 
              短く息を吸い込んで、痛みに気を散らして、喚く前に落ち着いて。
 
              「…学校でね、ちょっと深刻な話をしたからナーバスになってたんだ」
 
              いつも、近衛氏を騙しおおせないのはこの人があたしの一挙手一投足を見逃すまい
 
              と注目してくれているからだと、思う。別のとこに気がいってる今なら、こんな苦
 
              しい言い訳でもどうにかなるんじゃないか。
 
              「そう、それならいいんだけどね」
 
              未練がましい賭は、いとも簡単に負けて。
 
              やれやれと珍しいオーバーアクションで答える近衛氏は、明らかに安堵を滲ませた
 
              表情でこっちを見るから、鉛でも仕込んだみたいに体が重くなった。
 
              「寝る…」
 
              「ん、ゆっくりおやすみ」
 
              笑っちゃうくらい、あたしは弱虫だ。
 
              一夜明け、ダイニングテーブルに残されたメモに、堰を切った涙が止まらない。
 
              『急ぎの仕事が入りました。帰りは遅くなります』
 
              何がホントで、何がウソなのか、それすらもわからなくなっちゃった…。
 
              −本当に仕事かも知れない−
 
              そう信じた裏で、
 
              −夜までずっと?まだ7時なのに一体いつ家を出たの?−
 
              疑いが神経を苛むのだ。
 
              見渡すどこにも近衛氏の気配がない部屋で、あたしはどうしたらいいんだろう。
 
              静かに待っていれば、いつか真実がわかる時が来る?
 
              わめき散らして引き留めれば、笑って誤解だと言ってくれる?
 
              声もなく泣きながら、結局確かめなきゃいられないんだと携帯を探した。
 
              会社に行ってみればいいのだ。こそこそ相手の行動をさぐるなんて、一番嫌いな事
 
              だけど、こんなとこで1人いらぬ想像をしてたって仕方ない。
 
              平沢さんに頼むわけにも、お祖父ちゃんやお父さん達に頼るわけにもいかないから、
 
              唯一の味方に緊急コールをした。
 
              極端な夜型人間のくせに、文句も言わずやってくるのはあたしが泣いてたせいだろ
 
              うか。
 
 
 
              「なあ早希ちゃん、全部誤解ってことはねぇの?」
 
              休日出勤をしていた秘書さんに案内してもらった空っぽの社長室を見て、先輩のな
 
              ぐさめは虚しいほど意味を成さない。追い打ちで、朝からいるけど近衛氏の姿は見
 
              ていないとの証言までくれた彼には、特別報償でも出したいくらいだ。
 
              「…例え誤解だとして、先輩はどう言い訳をしたらもっともらしいと思う?今日嘘
 
               をつかれたことを含め、一番夢だと思いたいあたしを納得させてよ」
 
              「無理、だな」
 
              いい加減涙も出やしない。諦めのいい即答くらいじゃ、ノーダメージよ。
 
              ことこと走るクーパーの助手席で流れ去るカップル達に、一つ決意をした。
 
              ぐれてやる。随分昔の流行語だけど、永遠に使えるフレーズだわ。
 
              まず、タバコよね、お酒にクラブに…あ〜クスリは絶対やめとこう。やけになった
 
              ついでに人生捨てるほど、あたしはバカじゃない。どうせなら、むかつく相手が落
 
              ちぶれてく様でも眺めてる方が体にも心にも優しいじゃない。
 
              そんで、そんで、後は…。
 
              「お前ねぇ、声に出して独り言は気味悪いからやめれ。だいたい酒・タバコ・夜遊
 
               びって祖父ちゃんや祖母ちゃんにも心配かけるだろ」
 
              「う〜ん、お祖父ちゃん達には、まずいか」
 
              ああ、浅慮よ、早希!そうじゃない、人様に心配かけるのはダメよ。近衛氏だけに
 
              通じる悪さじゃなきゃならないんだから。
 
              「ダンナにだけ心配かけるなんて器用なマネ、できねぇよ。くだらねぇ策略巡らす
 
               より、当たって砕けりゃいいじゃねぇか」
 
              「いや!」
 
              「…なんなんですかね、このお嬢ちゃんは」
 
              伸ばした手で、ぐしゃりと人の髪をかき回した先輩は、吐息混じりに視線を投げか
 
              けてきた。
 
              理由は、と目だけで聞くから、
 
              「最後通告が恐いの。だって近衛氏好きなんだもん」
 
              「…俺に向かって言うかね、その台詞を」
 
              苦笑混じりの横顔に、ちょっとだけ反応する罪悪感。
 
              先輩はすごいのだ。何がって、あれからずっと歌織さんの猛攻を交わし続けている
 
              のが。
 
              迫られても、愛情の押し売りにも、絶対首を縦に振らない。律儀にもあの日の約束
 
              を守って、家人のいる時あたしを訪ねて口説き倒す、筋金入りの片思いファイター
 
              なのだ。
 
              で、その善人を悪用するあたしは、根っから極悪なのかも知れない。先輩は助けて
 
              くれると知っていて利用した挙げ句、近衛氏が好きだから浮気確認ができないとほ
 
              ざくんだ。
 
              千載一遇のチャンスをぶら下げられた先輩に、お預けをするサイテー女。
 
              「ごめん…でも、近衛氏がいなきゃ、先輩が一番好きなんだよ」
 
              一生懸命言ったのに、余計に悪いと怒られた。
 
              チラチラ交差する車の列を見送って、低い声がする。
 
              「アイツがいる限り、俺に順番は回ってこねえって事だろ?イヤな現実教えんなよ」
 
              …イヤな現実、か。ごく最近痛いほどあたしも学んだよ。
 
              でも、だからこそ先輩にとって悪い情報では無いのかも知れない。
 
              諦めるつもりは無いけれど、耐えきれなくなったり、もうやめようと言われる日が
 
              来ないとは保証できないから。
 
              無人の部屋を確認して、少しだけ覚悟ができたんだ。…待てなくなる日が来るんじ
 
              ゃないかと。
 
              「…永遠に続くモノ、あると思う?」
 
              この平和がと、グローバルなことをのたまう人がいる。固く結ばれた友情はと、人
 
              生半分も生きていない子供が言う。
 
              愛し続けると、神の前で先の見えない約束をする男女がいた。
 
              「あるわけねえだろ。寝ぼけてんのか?」
 
              リアリストを自称する先輩の答えは身も蓋もない。でも、ちゃんと独自のフォロー
 
              を入れるから流石だ。
 
              「ねえから、努力すんだろ?継続は力なり、だ」
 
              …ちょこっと間違ってる気もするけど、力説してるんだから納得してやろう。少な
 
              くとも頭ごなしの否定じゃない、お互いにガンバレと言ってるわけだから。
 
              「そんならさ、先輩にもチャンスはあるかも知れないじゃん」
 
              今まで絶対に匂わせることのなかった台詞に、こちらを向いた顔を正面に押し戻す。
 
              一大決心をした後に事故死なんて冗談じゃない。勘ぐる人がいたら、自殺…ううん、
 
              先輩が一緒だから心中とか言われちゃうかも…絶対いや。
 
              「嘘なら泣くぞ」
 
              女々しい宣言をしたから、笑ってやった。盛大に。
 
              「優先順位、一位だよ」
 
 
 
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                  とにかく、純太は活躍しないといけないわけです(笑)。  
                  さて、近衛は申し開きができるのか?                
 
 
 
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