28.
 
              どっぷりと平和な生活につかると、危機感てやつが薄くなる。
 
              学園生活はいたって平和、先輩は歌織さんに監視されたまま卒業を迎えたし、当然
 
              同時に歌織さんもいなくなった。
 
              お祖父ちゃんとお祖母ちゃんも子供ができずに2年も過ぎれば、孫は天下の授かり
 
              物となぐさめてくれるくらいだし。
 
              いやん、あたしってばハッピー♪…てな具合よ。
 
              で、本題はここから。もちろん平穏な生活を支える柱は、根性性格共に宇宙クラス
 
              の極悪、地獄の使者どころか魔王そのものの近衛氏に他ならない。
 
              質の悪いいじめや、行き過ぎのジョークが所々に点在しても、基本的にラブラブカ
 
              ップル(?)、一緒にいることに違和感なくなったなぁと思っていた矢先の出来事。
 
              「………早とちりは、過去にもあったからね」
 
              納得するのにゆうに3分は要したことを、付け加えておこう。
 
              スーツから微かに香水の香りが、これは奥さんがダンナさんの浮気を見つける際重
 
              要なファクターとなるに違いない。
 
              しかし、これには誤解の要素も多々含まれており、それがほら、満員電車の押し合
 
              いへし合いだったり、きつい匂いを纏わせた女性と一室で営業の話を詰めてたりだ
 
              ったりすると、大げんかに発展する危険を孕むわけだ。
 
              だけどね、ワイシャツだったらどうよ?
 
              衣替えも終わってジャケットは必需品の11月、スーツは匂わないのにシャツに香
 
              水が付く、その過程がわからない。いや、想像したくない。
 
              幸か不幸か近衛氏は電車に乗らず自家用車で会社までいらっしゃるから、偶然もあ
 
              り得なくて、疑ったらばキリがない。
 
              信じ合うのが夫婦だもんね。
 
              虚勢を張りながらクリーニング行きのバッグにワイシャツを放り込んだのが1週間
 
              前のこと。
 
              何となくすっきりしない気持ちから、用もないのにお祖父ちゃんの会社の前を歩い
 
              てみた。近衛氏が社長に就任してるから、近衛氏の会社って言った方がいいかも。
 
              …そんなことはいいんだ、問題はその後だから。
 
              肩を抱かれた綺麗な女の人が、車に乗り込むのを見たんだ。近衛氏のエスコート付
 
              きで近衛氏の車に。
 
              理由があって彼女を送らなくちゃならなかったんだろう、きっとそう。例えリラッ
 
              クスした表情の珍しい近衛氏と微笑みあってたって。
 
              ここで終われば1ヶ月後には忘れていたと思うんだ。何しろ鳥頭だし、深く物事考
 
              えないからね。
 
              3度目は、接待があると車を置いていった近衛氏が深夜帰宅をする現場を目撃しち
 
              ゃったことで発覚した。
 
              イロイロ気になってたせいで捕まえ損ねた睡魔は中々次のチャンスをくれない。
 
              相変わらずメルヘンなベッドで、何度となくうつ寝返りに飽きて水を飲もうと起き
 
              あがった時だった。
 
              カーテンの隙間から漏れる強い光が車のライトだと気づき、微かなエンジン音に帰
 
              ってきたのかなと道路を覗いたのがまずかった。
 
              細い街灯の下、抱き合う男女のシルエット。
 
              横顔はイヤと言うほど見覚えのある近衛氏と、会社の前で見かけたあの女の人で。
 
              もう、誤解とか訳があるんだとか自分自身を誤魔化すのが、きつくなってしまった。
 
 
 
              「どうしたの、早希?」
 
              襖の隙間、困惑に表情を曇らせた近衛氏が覗いている。
 
              …なんで、入ってくるのかな。せっかく逃げてるのに。
 
              一昨日の夜、知らない方が幸せな現実を垣間見たあたしは、ずっと近衛氏を避けて
 
              いた。
 
              ま、たかが知れてるけどね。元々帰りの遅いダンナさんは待たずに寝る習慣が付い
 
              てるし、顔を合わす朝食は日直やらクラスの用事やら理由をつけて早起き早出でや
 
              り過ごしただけだから。
 
              だがしかし、土曜日はそうもいかない。昼間は買い物に行ってくると書き置きを残
 
              し、嫌がるお姉ちゃんを引きずって街を一日彷徨った。夕ご飯は実家で食べる念の
 
              入れようだから、食卓で向かい合うこともない。
 
              でもさ〜続く就寝までの時間、どうすりゃいいのよ。リビングで一緒にテレビ見る
 
              のはいや。かといってもう一台テレビのある寝室に籠もれば何かあるのかと聞かれ
 
              るに決まってる。
 
              仕方なし、プライベートルームにもなってる勉強部屋に引っ込んだのよ。高3と言
 
              えば天下無敵の受験生、11月のこの時期に机にかじりついておかしな事はあるま
 
              い。そんなあたしの邪魔はできまい。
 
              なのに邪魔された。あっさり、なんの抵抗もなく。
 
              「あ〜受験勉強。落ちるのいやだからさ」
 
              なんて、実はマンガを読んでいたとは言えまい。柱をノックする音に慌てて参考書
 
              を上にかぶせたんだけど、気づいてないよね?
 
              ははは、と乾いた笑いを送って振り返らずにヒラヒラした掌で諦めて欲しい。
 
              会話する気はないのだよ。言っちゃいけないことが口をつくのも、聞きたいことを
 
              飲み込んだストレスで胃が痛くなるのもごめんだからさ。
 
              回転の速い頭で、あたしの心情を理解して退出して下さい、お願い。
 
              「今のことだけ聞いてるんじゃないよ。最近おかしいだろ?何日、僕と話してない
 
               と思ってるの」
 
              敵は近衛氏なのだ。こっちの気持ちに気がついたからこそ、突っ込みを入れてくる
 
              のだ。
 
              う〜ん、迷惑。穏便に済ませたいんだけど。近衛氏のこと好きだから、臭い物には
 
              蓋をしたいんだって。なんで、わかってくんないかな。
 
              「たまたま、でしょ。あたしにだって忙しい時はあるの」
 
              「…こっち見て言ってごらん」
 
              ため息を、一つ。
 
              見たくないんだとわかってて、これだからね。
 
              負けるのはいやだから、売られたケンカはきっちり買おうじゃない。
 
              「偶然、あたしも希に忙しいんです。…これでいい?」
 
              ああ、チラチラと笑うあの人が見える。なんでこんな時に思い出すのは、街灯の下
 
              サイレント映画のワンシーンのような2人なんだ。
 
              真っ直ぐ投げた視線が不安を写したりしないよう、決して逸らさない。
 
              対峙する近衛氏が根負けして、ふと表情を緩めるまであたしは頑張る。
 
              どんなに気合いを入れたって9年分の経験値は埋まらない、狡猾さでこの男に勝つ
 
              のは無理だと思い知らされるだけだとしても。
 
              「早希が、逆上もせず喚くこともなく僕の言う通りに行動した時点で、おかしいん
 
               だよ。何を怒ってるの、一体」
 
              苦笑混じりに問いつめる相手に、効果的な言葉ってなんだろう?
 
              アナタ、ウワキシテルデショ。
 
              ドラマや映画でその一言を口にできず、無理に笑う女の人をバカだと蔑んだことが
 
              ある。言いたいことを言えずに何か恋人、どこが夫婦。
 
              聞けるもんかっ。うっかり声にしたばっかりに取り返しがつかなくなるんだから、
 
              心の叫びは聞こえなから誰も傷つけないけど、言っちゃった言葉を取り返すのは無
 
              理なんだ。
 
              恐いのは、誤魔化される事じゃない。罪悪感なく認めて、あまつさえあちらが本気
 
              で、おまえといるのは惰性だ同情だ言われることだ。
 
              ましてや近衛氏の場合職場がかかってる。敬愛する会長夫婦に仇成すわけにいかな
 
              くて、一時の気の迷いで引き取ってしまった孫娘の扱いに困っているのかも知れな
 
              い。
 
              浮気に目をつぶり、堪え忍ぶ女性の半分くらいはこの理由じゃなかろうか、いや、
 
              この理由であって欲しい。あたしだけがダンナさんを大好きだってのは口惜しいか
 
              ら、世の女性の半分くらい好きすぎて聞けないって思って欲しいのだ。
 
              2年半もかけて、よりいっそう恋愛の深みに嵌ってどうする。初心者のくせに!
 
              言葉に詰まっても、それを表情に出したりしてはいけない。長い付き合いで学んだ
 
              ことは少しだけあたしを助ける。
 
              「怒ってない。疲れてるからいちいち反抗してらんないの。ハードな一週間だった
 
               んだからさ、ちょっとはほっといてよ」
 
              笑ったつもりだけど、引きつってないことは祈るしかない。鏡もないし顔面神経に
 
              まで裂く精神力がないからね。
 
              「更に変だ。いつもなら疲れたから遊べだの、眠いからビデオ見ようだの、訳のわ
 
               からない理屈で絡んでくる君が1人にしろ?」
 
              へそで茶が湧くとでも、ちゃんちゃらおかしいとでも続けますか?その頭からあた
 
              しの意見を否定した態度で!
 
              …いかん、挑発に乗ってはいけない。冷静に対処しないとうっかりいけないことを
 
              口走るかも知れない。
 
              心の内で10数えて理性を取り戻すと、目には目をこっちも外国人並みのオーバー
 
              アクションで肩を竦めてせせら笑った。
 
              「殊更機嫌の悪い日や、ずば抜けて1人でいたい日があるんですよ、女の子には。
 
               30も近いおじさんにはわからないかも知れませんけどね〜」
 
              因みにこの態度、わざとだから。決して鬱憤をこんな形で晴らしてる訳じゃない、
 
              近衛氏が怒ってあっちに行ってくれたらいいなって、計算。…ホントよ?
 
              「…まだ27だよ。機嫌が悪ければ遠慮なくケンカを売るでしょ。どうしょうもな
 
               い甘えん坊で、1人でいるくらいなら会長達と過ごすほどの人が、閉じこもらな
 
               いとできない考え事って何?」
 
              ずかずか部屋に踏み込んで、あたしの髪を撫でながら甘い声音で聞く人がとても疎
 
              ましい。心配しているとわかる仕草で微笑まれるのも、目を逸らしたくなるほど腹
 
              立たしい。
 
              どうして、ほっといてくれないんだろう。自分の心に大丈夫だと、近衛氏はそんな
 
              コトしないと言い聞かせる間、見て見ぬフリをしてくれないんだろう。
 
              「…ね、近衛氏。隠し事はない?」
 
              どうか、上手く誤魔化してくれますように。あたしが嘘を見破る事ができませんよ
 
              うに。
 
              願いが通じたのか、見上げた顔は穏やかで一変の偽りも見つからない。
 
              「いきなり、おかしなこと聞くね。韓国ドラマでも見たの?」
 
              でも、それはちっとも答えになっていないから。
 
              あたしの中で疑惑の種が育ってしまった。
 
 
 
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                  SSSといい、何故か最近浮気が私のテーマです(笑)。    
                  でも、近衛の浮気はいつかやろうと思ってたの。           
 
 
 
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