2.
 
              目覚めれば近衛氏の姿はなく…正直助かった。
 
              えーえー、馴れません、全然馴れないわよ。
 
              そもそも一緒に暮らすのも、隣で眠るのも馴れる以前の問題じゃないのさ。
 
              愛の告白もプロポーズもろくになくてどうして夫婦になれようか、イヤなれない。
 
              反語。
 
              って、古典の復習しても理解不能のメールが消えてなくなるわけはないやね。
 
              『アニーローザに6時までに来るように』
 
              近衛氏に強制連行され、彼好みの服を山と買わされた店に呼び出された理由は何?
 
              人が眠ってる隙にワードローブをチェックして、あまりの貧相さに目眩を覚えたか
 
              らってんじゃないでしょうね?普段着にもならない実用性皆無の布きれを増やそう
 
              ってんならブチってやる!
 
              と言う叫びを、まんまメールしてやったあたしの親切に返されたのは、無視。
 
              2時間目終了時に入ってた携帯の着信に、速攻返信してからかれこれ8時間なしの
 
              つぶてとはいい根性してんじゃないの。
 
              その間、一時間おきに同じ内容送り続けたあたしも相当暇人だけどさ。
 
              「人呼び出して遅刻とは…殴ってやる」
 
              「それは中に入って確認してからの方がいいんじゃないですか?」
 
              ウインドー越しに店内を覗き込み、握り拳を固めた姿に冷静なつっこみを入れた平
 
              沢さんは隣で大きなため息をついた。
 
              「一人で入るには敷居が高いんだからしょうがないじゃないですか」
 
              ふくれっ面で言い返すと、綺麗にディスプレイされた店内を再び覗き込む。
 
              この店の店員さんは、よく覚えてる。
 
              お洋服を買いに行こうツアーで二軒目に訪れ、偉そうにふんぞり返って座った近衛
 
              氏の注文を嫌な顔一つせずに聞き、バーゲン品の服を着たあたしをバカにすること
 
              なく丁寧に接客してくれた感じのいい人達だ。
 
              意外にも似合ったその衣装は、お祖母ちゃんのおめがねに叶う貴重なアイテムとし
 
              て今も重宝しているけど、あれ以来訪れたことはない。
 
              だって、怖いじゃない。近衛氏の付き添いがなかったらあたしなんて邪険にされる
 
              かもしれないし、記憶されてないかも知れないのよ?
 
              てなわけで、臆病風に吹かれまくって中に入ることもできずウインドウに張り付く
 
              女と、付き添いの中年という気味の悪い構図をさっきから作り上げてるわけだ。
 
              ……早く来なさいよね、近衛氏!
 
              「営業妨害よ、お嬢ちゃん」
 
              背後からの女性の声に、体がビクリと跳ね上がった。
 
              て、店員さん?気づいて注意に来た??
 
              恐る恐る振り向けば、口角をつり上げた可愛らしいお姉さんが風貌に似合わない冷
 
              たい瞳であたし達を見下ろしてる。正確にはみくだしてる、だな。あからさまに侮
 
              蔑の表情が浮かんでるから。
 
              「…すいません」
 
              ひっじょーに不本意ながら、己の行動のみっともなさは自覚していただけに素直に
 
              ガラスから離れた。
 
              「分不相応な服装をしようとしてもお里が知れるだけよ。あなたにこの店の服が買
 
               えるわけないでしょ?」
 
              ウエーブのかかった髪を後ろに払いのける芝居がかった仕草であたしに腰を屈めた
 
              彼女は、ベビーピン
 
              クのスーツが泣き出す感じの悪さを全身に纏って鼻で笑いやがった。
 
              小さな顔に並んだ大きな瞳も、綺麗な弧を書く唇も、そりゃあ可愛らしい小柄な女
 
              性に殺意を覚えたのは生まれて初めて。
 
             こいつ店員じゃないな。いいとこの根性悪のお嬢って顔に書いてあるもん。
 
              相手がお人形さんでも売られたケンカを買わずにいられるほど、あたしゃできた人
 
              間じゃない。
 
              「あなたが着るよりは数段ましな気がするんですがね」
 
              言い返してみやがれ、性悪女!ってなもんよ。
 
              眉をつり上げて、一瞬鬼の形相を覗かせた女は底光りする目であたしを睨みつけた。
 
              「言うじゃない。値札見て冷や汗かいても遅いわよ」
 
              伸ばした爪が腕に食い込む痛さを抗議する前に、あたしは店内に引き入れられる。
 
              「早希さん?!」
 
              後ろからオロオロついてくるのは平沢さんに、大丈夫と微笑むと一斉に降りかかる
 
              歓迎の声。
 
              「いらっしゃいませ、鈴原様」
 
              進み出た店長さんに(この前紹介されたから覚えてる)打って変わったお上品な笑
 
              顔を返すと、くそ女はあたしをぐいっと前に突きだした。
 
              痛いな、腕千切れたらどうしてくれんだ!
 
              「このお嬢さんがお洋服を欲しいんですって。見立ててあげて下さらない?」
 
              本音を隠した猫撫で声に悪寒が走っちゃったじゃないか…。二重人格、近衛氏なん
 
              て足下にも及ばない立派な二枚舌。金持ちの建前は、庶民には理解できんわ。
 
              「まぁ、ありがとうございます。どんなものをお望みですか?」
 
              どうしたものかと顔をひきつらせるあたしを覗き込んだ店長さんは、不意に動きを
 
              止めるとパンと両手を胸の前で打ち合わせた。
 
              な、何?どうかしたの?なんでそんな嬉しそうな顔してんの〜?
 
              「お待ちしてたんですよ!遅いからお電話差し上げようかと思っていたところです
 
               わ。さ、あちらでお召し替えなさって下さいな。もうすぐお迎えにいらしてしま
 
               いすよ」
 
              「や、あ、あの?」
 
              「急いで、ヘアメイクもするお約束なんですから」
 
              にこやかに、しかし抵抗を許さない断固たる態度でフィッティングルームにあたし
 
              を追い立てようとした店長に、代わりに質問してくれたのは背後で立ちつくすあの
 
              女だった。
 
              「こちらでお約束があるお嬢さんだったの?」
 
              声に動揺が見え隠れするのは、優位にいたはずの自分が窮地に陥っていることに気
 
              がついたが故なんだろうな。
 
              ほれみろ、人は見かけによらないんだ。先入観で決めつけるからそんな目にあうん
 
              だ。
 
              …って、あたしの方が引っ立てられる罪人みたいじゃ言っても様になんないけど。
 
              「はい、近衛様がお食事にお連れになるのに相応しい服装をとお望みでして。無頓
 
               着なお嬢様で放っておくと着飾ったりなさらないそうなんです」
 
              無頓着…いい表現ね。まさかつい最近までバリバリの庶民だから、普段着がジャー
 
              ジとは言えまい。
 
              食事に行くんだったのか。それならこの前のワンピでいいじゃんかよ。
 
              「近衛…大嗣さん?」
 
              店長さんの懇切丁寧な解説は無視して、女が気に留めたのは近衛の名前だったらし
 
              い。
 
              それも大嗣兄ちゃん?こいつも群がるお嬢さん方の一人か。何か兄ちゃんズが女性
 
              に対して妙な偏見持ってる理由を垣間見た気がする。あたしもこれはイヤだな。
 
              「いえ、隆人様です」
 
              「隆人さんのお付き合いしてる方だったの?」
 
              おお、近衛氏までチェック済みとは。これは将彦さんも知ってるな。
 
              「昨日ご結婚なさったと伺いましたよ。今日はお祝いのお食事に行かれるそうです」
 
              「結婚…?あら、まぁ。三男と結婚してもいいことはないんじゃないかしら?」
 
              嘲るように、店員さんに囲まれたあたしを見た女のセリフに引っかかりを感じる。
      
              三男、ですか。確か近衛氏の元カノはそれを理由に彼を振ったと伺った気がします
 
              よ?
 
              「……隆人さんは家に養子に来たから、近衛家の財産はいらないんです」
 
              もしこの人が噂の彼女なら、ちょっとばかり苦労させられた恨みもあるし、普段は
 
              余計なものにしか思えない家の名前を使ってみるのもいいかもしれない。
 
              近衛氏の心の傷と、あたしの紆余曲折分の恨みを込めて彼女を睨み返すのに、人バ
 
              カにした瞳から意地悪な光りが消えることはなかった。
 
              「そうね、三男なんてそれくらいの使い道しかないものね。それであなたのお家に
 
               は彼を養子にしてまで守らなければならない立派な家名がおありなのかしら?」
 
              ここでね、切れちゃった。
 
              人間に向かって使い道とは何だ!長男だろうが三男だろうが、人間性を問うのに生
 
              まれた順が関係あるわけないじゃない。この人は男の顔が札束に見えてんじゃなか
 
              ろうか。
 
              怒鳴りつけたいのは山々だけど、この勝負切れちゃったら負けな気がするからでき
 
              るだけ静かにあたしは言葉を紡いだ。
 
              「祖父母はそう思っているみたいですけど、あたしはよく知りません。だからあな
 
               たが判断して下さい。風間の家と会社は金持ち社会でどの程度の位置づけにいる
 
               んですかね?」
 
              「風間…まさか、あなた風間純一郎の血縁なの?」
 
              「純一郎は祖父です」
 
              見る見る赤く染まる彼女の顔が、家が結構なお家柄だと教えてくれる。
 
              迷惑しかこうむったことのない名前がこれ程の攻撃力を持つとは知らなかった。
 
              ありがとう、お祖父ちゃん、お祖母ちゃん。今初めて風間の名前が役に立ったよ!
              
              「で、人の家や夫に偉そうにけちつけるあなたは、誰なんですか?」
 
              もしかして、イヤほとんど100%あんた近衛氏の元カノだ!
 
              「鈴原ひかるよ」
 
              悔しそうに唇を噛んで、そっぽを向きながらの自己紹介を受けながら、あたしは大
 
              きなミスに気づく。
 
              元カノの名前知らんのに、彼女の聞いたってどうにもなんないじゃん。
 
              多分、いやきっと、あたしのカンは間違ってないと思うんだけどなぁ…どうなんだ
 
              ろ?
 
 
              
 
 
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                  元カノ登場!お待たせしました(誰が待ってたって?)
                  初回からこてんぱんなのは過去の行状のせいだね。   
 
 
 
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