11.
 
              校門から出ると、闇に紛れて紺の車体が目に入った。そんで、煙草なんかふかして
 
              突っ立てる男も。
 
              「律儀だね、マジ待ってんじゃん」
 
              背後霊よろしくくっついてきてた先輩がチャチャを入れるけど、返事してやる余裕
 
              はない。
 
              近衛氏の煙草…会社では吸ってるらしいけど実際くわえてるの見たのは初めてだわ。
 
              ついでに遠目でもわかる不機嫌オーラが…じーっと睨みつけてるんだよ、怖いよ!
 
              「先輩、一緒に逃げない?」
 
              「この状況でか?イヤだね、痴話げんかに首突っ込むのは面倒が多いだろうが」
 
              「そこをなんとか。あんたを囮に、あたしは逃げおおせるかもしれないじゃない」
 
              「…そういう魂胆かよ」
 
              バカな会話で時間を稼いだつもりで、動きを止めたのは失敗ね。ずんずん悪魔が近
 
              づいてくるー!
 
              退路はなく、帰る家も同じじゃ腹括った方が早いのはわかってる。でもほら、人間
 
              には自己防衛本能があってね、脳が命令するわけよ、危ないぞって。
 
              一歩後退ると、無駄な足掻きとわかりつつ隠れることのできる場所捜したりなんか
 
              して。
 
              「頑張ってケンカすんだろ、諦めろ」
 
              ご親切な先輩に背中を押されてつんのめった。
 
              「遅かったね」
 
              転ばないですんだのは、倒れ込んだ先が近衛氏の腕の中だったから。
 
              がっちり肩を掴まれて、もうダメ、僅かな望みも潰えたわ。計算してあたしを突き
 
              飛ばしやがったこと、いつか後悔させてやるっ!
 
              「また明日な、風間」
 
              人の悪い笑みを浮かべて脇を通り過ぎた先輩を睨みつけてると、じれた声が頭上か
 
              ら降ってきた。
 
              「随分待ったんだよ?そろそろ帰って、早希の話を聞かせて欲しいんだけど」
 
              …寒い…いやだな、どっから冷気が来るんだろ…確認するまでもないのがもっとイ
 
              ヤ。
 
              「1人で帰れるって言ったでしょ?なんでいるの」
 
              そっちが切れる前にこっちが切れてやる。
 
              恐怖に負けじと虚勢を張っても、敵の手の内じゃいささか説得力に欠けた。
 
              「信じて実家にでも逃げ込まれちゃ、困るだろ?」
 
              しまった!思いつかなかったわ。
 
              大失敗に舌打ちしても後の祭りね、早く教えてくれればいいのに…。
 
              「とにかく乗って」
 
              促されて渋々滑り込んだ車内からは、微かに線香の匂いがってそうじゃない、コレ
 
              はお香だ。
 
              インセンスの類と似て非なる上品な香りは、きっとあの女性の纏っていたもの。
 
              姿消してもこんな風に自己主張するなんて、明らかにあたしにケンカ売ってるわね。
 
              「…さっきの誰?」
 
              再びイライラとし始めた胸の内のまま、聞けなかった質問をぶつける。
 
              「やっぱり彼女のコトで機嫌が悪かったの」
 
              決して自分を見ないあたしに、一瞥をくれた近衛氏が車を発進させながら呟く。
 
              「わかってんじゃない。だったらどうして説明も無しに行ったのよ」
 
              余計むかつく。気づいてたなら答えればよかったのに。
 
              「待ってる間に思い当たったんだ。まさかその程度で早希が怒り出すとは思わなか
 
               ったからね」
 
              「…その程度?人が学祭の準備で先輩と買い物してただけで、わざわざ車止めた人
 
               が言う?近衛氏が面白くなコトは、あたしだって一緒なんだけど?」
 
              感情のない人間を相手にしてるつもりなの?それともご主人に忠実な犬猫と、同列?
 
              どっちにしろ神経逆撫でされちゃったんですけど、今の発言は。
 
              「くだらない。結婚してまで、早希にわかるような浮気をするわけないだろ。知り
 
               合いのお嬢さんをお茶会の席までエスコートするのを、いいわける必要がどこに
 
               ある?」
 
              珍しく感情剥き出しの近衛氏は、吐き捨てるようにそういうと乱暴にハンドルを切
 
              り、お陰様でガラスに頭をぶつけたこっちは、火に油を注がれた。
 
              「痛いなっ!もっと丁寧に運転しなさいよね。あの人がその程度なら、先輩だって
 
               同じよ。子供みたいにいちいち目くじらたてないで」
 
              「子供…」
 
              一瞬絶句した悪魔が、きつい眼差しであたしを流し見ると盛大なため息をつく。
 
              「ムキになってケンカを売ってくるのは早希の方だろ?世間ではそれを子供って言
 
               うんじゃないのかい?」
 
              あくまで自分は大人である、と。冗談ぬかしてんじゃないわよ、人の男友達に端か
 
              ら牽制入れる大人がいるか!
 
              「始めに先輩に突っかかったのは、そっちじゃないの!あなたが年相応の精神年齢
 
               なら、笑ってやり過ごせる場面じゃないんですかね」
 
              空気がバチバチ音たてた気がした。
 
              静電気じゃないから、意地と意地の激突って言うの?頭から煙り噴き出してるあた
 
              しに、ブリザードでも起こしそうな勢いで静かに怒ってる近衛氏の精神波が、互い
 
              に一歩も引くことなくぶつかった結果の化学反応。
 
              「…イヤに庇うね。そんなにあの男が気に入ったの」
 
              薄ら寒い笑みを、口元にはいた悪魔が言う。
 
              「どっかの誰かさんと違って、あの人大人だからね」
 
              負けじと顎を上げてこっちも応戦。
 
              「そう、早希は大人が好きだよね。兄さん達にも愛想がよかったし」
 
              「兄ちゃん達は関係ないでしょ?すぐそうやって自分を卑下するのが子供だっての。
 
               自分と誰かを比べて楽しい?」
 
              「仕方ないだろ、君が一緒にいる男はいつだって僕の対極にいるような人間ばかり
 
               だ、比べたくもなる」
 
              「ばっかみたい。そんなあんたで良いって言ってんの、全く信じないから疑心暗鬼
 
               に捕らわれんのよ。…好きなの、あたしは近衛氏が好き」
 
              勢いつければ、言葉だって簡単に滑り落ちる。待っても待ってももらえないなら、
 
              意地なんか張らずに言ってあげるわ。
 
              反応も欲しい、返事だって返してくれたら、祈るみたいに浮かび上がる横顔を見つ
 
              めるのに、凍り付いた表情が溶けることはない。
 
              薄闇に灯る明かりに、いつか見た近衛氏。
 
              恋愛してくれないなら、あなたなんかいらないって言ったあの時と一緒。
 
              「…気持ちを聞かせて。お願いだから、近衛氏も好きだって言って」
 
              沈黙に耐えきれずに腕に縋れば、小さく肩を竦めて感情の籠もらない一瞥が返る。
 
              「強制されて言葉にすることに意味があるの?」
 
              「…強制…?違う、頼んだの。あたしだって言ったんだよ、答えてもくれないの?」
 
              「早希が好きだと言ったら、僕も答えなくちゃいけない?それを強制って言うんだ」
 
              「…答えを望んじゃいけないの…」
 
              告白が失敗したってちゃんと返事はもらえるのに、それすら近衛氏は拒否する。
 
              何だかメビウスの輪の上で、永遠に終わらないおいかけっこをしてる気分。
 
              指先が触れても振り払われて、時に立ち止まるのに決してあたしを待ってはくれな
 
              い。
 
              光りも差さない闇の中、無駄に走り続けるのは、疲れた。
 
              「…そう」
 
              体をシートに預けると、力の抜けた指先から温もりが零れる。
 
              腕と一緒に近衛氏が、あたしの中から抜け落ちるみたい。
 
              水のように、砂のように、サラリと消えて戻らない。
 
              もう、戻らない。
 
              「悪いんだけど、行き先変更できない?」
 
              最後の虚勢。決して暗い顔は見せないで、微笑みさえ浮かべて、何気なく問う。
 
              「…どこへ?」
 
              こちらも強者、くだらない言い争いの気配など微塵も感じさせない平坦な声。
 
              「実家。出戻るのはやっぱ実家でしょ」
 
              そのうち離婚届も送ってやるわ。
 
              結婚して、仲良くなれたと思ったのに、少しはあたしに恋愛感情持ったって言って
 
              くれると思ったのに、全然変わらない。
 
              ゆっくりで良いと、高をくくってたの。いつか素直に好きだよって言ってくれるっ
 
              て。
 
              答えてくれないのは決定打。ましてや強制だなんて、あんまりだ。
 
              心は見えないんだから、交わす言葉が気持ちを繋ぐんだよ。
 
              「この程度で実家?冗談だろ、会長達になんて説明するつもり?夫婦ならケンカの
 
               一つや二つ、あたりまえじゃないか」
 
              「生活習慣が違うとか、料理の味付けが気に入らないのとは訳が違うでしょ。相手
 
               をどう思ってるのか言わない、聞くのも許されない、こんな夫婦いる?恋人だっ
 
               てあり得ないじゃない。修復できるケンカじゃないって理解したら?」
 
              ことごとくかみ合わないな。
 
              事態の深刻さに気づかない男と、深刻になりすぎて暗雲立ちこめちゃってる女。
 
              「…わかったよ、僕が好きだって言えば早希は満足するんだね」
 
              あー、さも嫌々ですよって口調で折れて下さるなんて、あなたはなんて寛大なんで
 
              しょう。あほらし。
 
              「実家がイヤなら、お祖父ちゃんとこで暮らすからいいや。とにかく早く車から降
 
               ろして」
 
              ヒラヒラと手を振ると、窓の外を見つめたまま会話を打ち切る。
 
              堂々巡りしても仕方ないもん。
 
              「早希?」
 
              「喋らないで運転して。殴られたくないでしょ」
 
              それっきり口を閉ざすと、あたしは家につくまで同乗者の存在を忘れた。
 
              車内の空気が重かろうと、失恋で胸が痛かろうとも、知るもんか。
 
 
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                  ケンカー、暗いー、これ、闇?  
                  いえ、表です(笑)。                
 
 
 
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