2.
「せんぱーい!飲んでますかぁ?」
すっかり酒に飲まれた後輩が陽気に手を振っている。
椅子一つ分しか離れてないのに大声を張り上げる必要は全くないのよ、わかってる?
って睨んだところで始まらないわね。
隣にはべらしたトオル君にもたれかかって、甘い囁きにいちいち奇声を上げている香奈
は既に使い物にならない。
インタビューを始めると同時に勢いよくグラスを空にし始めた彼女は、ものの数分で仕
事を忘れた。
どうするのよ、あんたが潰れて!
意味深な笑みの真意を探ろうにもテーブルに着いてすぐ、ご指名を頂いたライは一時
間近くここに戻っていない。
待ち時間にお酒を勧められた香奈はあの状態だし、一通りの撮影を終えたカメラマンは
さっさと社に戻ったし(男はこんなところにいても楽しくないものね)、正に踏んだり蹴
ったり。
結局、私が取材するしかないのよね
…
。
できるなら二度と顔付き合わせて話したくないホストの事を考えると、鈍痛を訴える頭
が破裂しそうだった。
言動があやふやになってきた香奈から必死の思いで取り上げた取材ノートは、先輩に憧
れる女子高生のごとき質問で溢れかえっていて私は己の迂闊さを呪うしかない。
編集長に任された時点でせめてこれだけでもチェックを入れておけば、順調にインタビ
ューを終え早々と引き上げることも可能だったのに、焼き直さなきゃ。
薄暗い照明の下、妥当な内容に文章を置き換えながら抜き取った煙草に火をつけよう
とした時、横から赤い揺らめきが差し出された。
「どうぞ」
ソファーの背後に立ったライが、乗り出して炎を差し出している。
その表情は、初対面の時と変わらない秀麗な美貌をたたえていたけれど、口角を上げ
ただけの微笑みが虚構の世界を映しているようで妙に興ざめした。
つまり笑顔が嘘くさいって事よ。
さっきみたいに困惑させられるよりはましだけれど、いかにそう言う場所でもはっきり
悟られるのも客商売としてどうかと思うわ。
「自分でつけられますからご心配なく」
微笑むと身を乗り出してテーブルに放っていたジッポを取り上げ、ライを無視して煙を
吸い込む。
テレビで見るホストの生態からすれば、客の煙草に火をつけるのはパフォーマンスの一
つみたいだけど、個人的に男にそんな真似をされるのは好きじゃない。もちろん、私が
してやるのもお断りだけどね。
「大抵のお客様は喜ばれるんですが、こういうのお嫌いですか?」
回り込んで隣に座ったライの表情が、傷ついた子猫のように歪んでて良心をちくちく刺
激した。
うっ
…
そんな顔されるといたいけな少年をいじめてるみたいじゃない。さっき見せた性
悪な視線はどうしたの?頼むからあのままでいて頂戴、やりにくいわ
…
。
うつむき加減にこちらを伺っている男に徐々に集まる周囲の視線は、彼が人気ホスト故
なのか。
怖いから睨まないでよお嬢さん方、謝ればいいんでしょ!
「ごめんなさい、そんなことないのよ。ただ馴れてないものだから
…
」
限りない理不尽に頬を引きつらせながら謝罪して、私は話題転換を図ろうと書きかけの
取材ノートを掲げて見せた。
こうなりゃさっさと仕事終わらせてこの地獄から解放されるまでよ。
「お忙しいようだし、インタビューさせてもらいんだけどいいかしら?」
「はい」
にっこり微笑むライの表情に先程までの陰りが見えずに息をついたんだけど、もしかし
て計算ずく?
…
聞くまでもないわね、ホストの言葉に嘘はつきものじゃない。負けた私
が悪いんでしょ。
うがった物の見方のせいか彼が向けてくる明るい瞳がどうしても腑に落ちないんだけ
ど、まぁいいわ。
お仕事お仕事。
「まずお年を聞かせて下さい」
「23です」
…
若いわね、香奈の一つ上か。
「この世界に入った切っ掛けは?」
「女性が好きだから。疲れた女性を笑顔にするのは楽しいですよね。梨々子さんも笑っ
てくれるといいんだけど」
「私のことはいいのよってどうしてファーストネーム知ってるの」
「テーブルに着いた時名刺頂きましたから」
ポケットから取り出した紙をヒラヒラ振ってみせるライに、そうだっけと記憶を辿ってみる。
ああ、そんなことがあった気もする。本当に集中力がなくなってるなぁ、これは早く帰
って寝ないと。
痛むこめかみに無意識に指を這わせた私は、逸れてしまった会話を元に戻すためライ
の返答をノートに書き留めた。
「そうだったわね、じゃあ次。一日にどのくらい指名を受けるのかしら」
「
………
」
返らない声にふと横を見れば、何事か考え込むライがいる。
「どうかした?」
「調子、悪いんですか?」
じっとこちらに視線を据える彼は、職業柄からか客の異変に敏感らしい。
目線を追えば、こめかみに置いたままの指を注視しているし、それにっと続けた言葉が
私を驚かせた。
「顔色よくありませんよ。煙草も火をつけたまま灰皿に置きっぱなしだ。お酒も食べ物も
手をつけてない」
指摘されることはいちいち的確で、久しぶりにテーブルに戻ってきたとは思えない。
暗い照明の中で私の顔色がどう見えているかは知らないが、煙草は煙を吸い込んだ途
端気分が悪くなって放置した。
食欲はなく、お酒に至っては飲んだら吐く自信があったから見向きもしていない。
「大丈夫、週末だから疲れが溜まってるだけ。あっちの果物は少し食べてるのよ」
香奈がトオルと消費している皿を指して誤魔化した私は、燃え尽きそうな煙草ももみ消
した。
「煙草も仕事が始まったから忘れただけだし、心配してくれるなら急いでインタビュー
を終わらせてもらえると助かるわ」
疑わしそうな視線をかわして口元に笑みを貼り付けると、最後だけは真実を告げる。
イレギュラーな仕事を片づけて家へ返してもらえるのが一番のクスリなの、わかって。
心中の願いが通じたのか、ややあって頷いたライに質問を続けようとした私の声は、申
し訳なさそうに彼の横にしゃがみ込んだフロアボーイに遮られた。
「すみませんお話中、ライさん橋本様がお見えです」
またか
…
人気ホストに取材なんて申し込むから。香奈覚えてなさいよ!
苛立ちを精神力で押さえ込んだ私は、迷いを見せる瞳に愛想良く微笑んで促す。
「行って下さい。こちらには暇ができた時いらして頂ければ結構です。トオル君にもまだ
伺うことがありますから」
「
…
わかりました。すぐ戻りますから」
断言して席を立ったライが、客の合間を縫ってテーブルに帰ってきたのは確かに早かっ
たけれど、すぐに次の指名がかかるもんだから細切れのインタビューはなかなか終わら
ない。
ついでに盛り上がってる香奈をせき止めて新人に質問をするのも困難を極めちゃった
おかげで、待ち望んだ終了は閉店間際までずれ込んだ。
「どうもお世話様でした。雑誌が出来上がりましたら郵送させて頂きます」
オーナーにお礼を述べてる辺りでは、香奈は正体不明、私は血の気が引いて唇に震え
が走る最悪のコンディション。
酔っぱらいを連れてタクシーで長旅
…
想像しただけで吐き気が
…
。
しかし、イヤでも仕事中。支払いで領収書をもらうのも、揺るぎない足取りでの挨拶回り
も気力で乗り切った。
小脇にくそ重たい香奈を抱えてね。
「オーナー、僕もう上がりですからお二人をお送りしていいでしょうか?」
店を出ようと踵を返した時、背後でライの心配げな声がする。
「いえ、結構です」
慌てて振り返ったおかげでグルグル回る視界にもめげず、私は彼に手を振った。足下が
ぐらついたのはお荷物があったせいよ。
「そうだな
…
お前車か?」
「はい。それに田村さんとは家が近いですから」
「わかった。お連れさんがアレじゃタクシーの中で吐いちまうかもしれんからな、彼女の
手には余るか
…
行ってやれ」
「本当に大丈夫ですから」
「ちょっと待ってて下さい、車回してきますから」
「ライは酔っぱらいには馴れてますから、ご心配なく」
愛想のいいオーナーも飛び出したライも、私の話しなんて全く聞いてない。
べろべろのトオルに見送られながら人通りもまばらになった夜の街に踏み出して、諦め
に汚れた空を見上げた。
早く一人になりたいわ
…
。
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ライの正体は子犬かケルベロスか…、さあどっち!
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