「頼んだわね、田村さん」
 
              「はぁ
 
              金曜日の夜を潰してまでする仕事なのかはわからなかったが、編集長直々の依頼を断
 
              れる訳がない。
 
              気乗りしない返事をしつつ、私は残りの仕事を片づけるためデスクに戻った。
 
              「どうしたんですか、私ミスとかありました?」
 
              声をかけてきたのは後輩で、編集長に押しつけられたやっかいごとの元凶、荒井香奈。
 
              彼女の上げた原稿のチェックを済まし、編集長に最終確認に行った私が眉間に皺を寄せ
 
              た顔で帰ってきたのだ。心配で声をかけてくるのも無理はない。
 
              「大丈夫。原稿は完璧だったわよ」
 
              そう、問題はそこじゃないのよ。
 
              微笑んで請け合って、ホッとした表情の香奈に私は本題を振るため一つため息をついた。
 
              「今晩の取材、同行するように言われたんだけど」
 
              「あ、先輩も来てくれるんですかぁ?」
 
              ほにゃらんと溶けた香奈の顔は、期待と言うより夢を見ているようで、編集長にくれぐ
 
              れもと念押しされた理由が一発でわかる解説不要のモノ。
 
              嬉しいのね、そんなに行きたいのね
 
              「ホスト取材するの、そんなに楽しみ?」
 
              「もちろんです!都会に出てきたからには一度は行ってみたいと思ってたんですけど、
 
               編集部って時間不規則だし、不況でお給料は安いし諦めてたんです。それを取材で
 
               すよ、経費でお酒飲んでいい男はべらせる最高
 
              あ、いっちゃった。
 
              熱弁ふるうほど理解できない憧れをホストクラブに抱いてるんじゃ、呼んでも帰って来
 
              ないわね。
 
              恍惚とした表情で白日夢を見てる香奈を横目に、私は痛む頭をそっと押さえた。
 
              今週の残業で本日の疲れはピーク、二日の休日だけを楽しみに乗り切ったって言うの
 
              に、この上お馬鹿な後輩にストップかけながら深夜取材をしなきゃならないとは、編集
 
              長も他に適当な人材当たってくれたらよかったのに。
 
              田村梨々子、28才。
 
              女性向け情報誌『レイン』の編集として早6年、この年まで仕事に忙殺され、結婚どころ
 
              か彼氏にも不自由する毎日を送る私に、別段キャリア思考があるわけじゃない。
 
              寿退社していった何人かの同期のように、26で結婚28で出産なんて青写真を描いて
 
              いたのよ、数年前までは。ところが出産してるはずの年で連日残業、たまの休みは爆
 
              睡、ショッピングは仕事用のスーツ探しなんて生活してる今じゃ、合コンのお誘いもあり
 
              ゃしない。
 
              友人達のセッティングに現れるのが目の下にくま作ったよれた女で、僅かのアルコール
 
              で悪酔い日々の愚痴を叫びまくった日には敬遠されるのも頷けるけどね。
 
              それだからこそ、ホストクラブなんて死んでも行きたくないわけよ。
 
              だって、洒落にならないでしょ?男にも不自由してるくたびれた私が若くていい男に囲
 
              まれたら、まるで慰めを求めてるお局様みたいじゃない。格好の餌食だと思われるたら
 
              プライドずたずたよ!
 
              「好きだ、なんて言われたら卒倒しちゃいそうですよね
 
              甘い言葉でいい気分にさせてくれるのも仕事のうちだってわかってるのかしらね。
 
              相変わらず遙か彼方に旅だったままの香奈に限りない不安を感じながら、今日だけは
 
              待ち遠しくない終業時刻を私はまんじりともせずに迎えるのだった。
 
              ああ、憂鬱
           
 
 
              『いらっしゃいませー!』
 
              ずらりと並んだ色男(死語)達のお出迎えは、目眩を覚えるほどにキラキラ光ってる。
 
              隣で声にならない悲鳴を上げてる香奈はともかく、私には毒よね、この若さ、この輝き!
 
              きっとこの子達には彼氏もいない仕事人間なんて、顔がお札に見えるんでしょうね
 
              皺のよったスーツに目を落としながら無駄なあがきだと諦めて、オーナーらしいダンデ
 
              ィなおじ様を見つけて歩み寄った香奈の後ろに続く。
 
              「女性雑誌『レイン』編集部の荒井です。こっちが
 
              チラリと流された視線に軽く頷くと、用意してあった名刺を差し出した。
 
              「同行の田村と、カメラマンの斉藤です。就業中の取材ですのに快く受けて頂き、ありが
 
               とうございました」
 
              背後のカメラマンと頭を下げると、慌てた香奈がそれに続いた。
 
              ホントに舞い上がってるわね、この子。いつもなら取材前の挨拶を忘れるようなことし
 
              ないのに。
 
              改めて編集長の意図を理解した私は、さり気なく彼女を促して『気軽に入れるホストク
 
              ラブ』の記事と、それに準じた取材内容とをざっと説明させることに成功する。
 
              前途多難だわこの調子で最後まで無事終わるのかしら。
 
              にこやかなオーナーはこちらの心配など気づくはずもなく、横に控えた数人の中から
 
              二人の男を呼び出した。
 
              「一番人気と新人を、というご希望でしたので、この二人が皆さんのテーブルに着きます」
 
              促されて僅かに前に出た男達が、営業用スマイルで手を差し出してくる。
 
              「ライです」
 
              今時珍しい黒髪を風呂上がりのように乱し、切れ長の瞳と薄い唇が印象的な長身の男
 
              がこの店のNO.1
 
              「トオルです」
 
              爽やかさが売り、海岸でサーフィンでもしてそうな茶髪で日に焼けた少年が新人君。
 
              ライの方が年は上そうだったけど、それだって二人とも私より年下には違いない。カメ
 
              ラマンの希望に添ってあれこれとポーズをつけている彼等を観察しながら、何故か引っ
 
              かかるものを感じて私は首を捻った。
 
              ライって子、どこかで見たことがあるような?でも、結構綺麗な顔してるし、一度見
 
              たら忘れないと思うけど。
 
              霞がかかったように働きの鈍い脳で、記憶の糸を手繰るのはひどく骨が折れる。
 
              例え初対面でないにしろ、すぐに思い出せない程度なら取材に支障はないだろう。
 
              本来ならとっくに仕事のスイッチが切れている時間に、無理をしてもいいことはないと
 
              開き直ると私はぼんやりと撮影タイムが終わるのを待つことにした。
 
              目映いフラッシュの中、くるくると表情を変えるライの視線が、瞬きするほどの時間私の
 
              瞳を捕らえる。
 
              今、何やら気味の悪い笑い方しなかった?
 
              背筋にぞくりと悪寒が走るような、意味もなく不安になるような、そんな笑顔。
 
              ちょっと、私貢ぐほどお金持ってないわよ?寂しい女だからって、だ、騙されたりしない
 
              んだから!
 
              一瞬の邂逅など素知らぬ顔でフィルムの中に収まっていく男を見ながら、不覚にも激し
 
              く波打つ心臓を抱えた私はすぐにもここを飛び出したい衝動を抑えるのに必死になった。
 
              お願い香奈、一刻も早くこの取材を終わらせて頂戴!
 
              上手くフォローする自信、なくなってきたわよ
 
 
 
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