18.
 
              慌てふためいてもね、パニック起こしても、帰る家は一つしかないのよ。
 
              お姉ちゃんか歌織さんに泣きついちゃおうかなぁって考えてもみたんだけど、今日
 
              痛い教訓をもらったばかりで腰が引けちゃった。
 
              秘密は漏らしちゃいけないの、自分1人の胸の内にしまっとかなきゃ危ない。
 
              それにさ、体中に跡がついてるなら一つや二つ増えたってばれないかも知れないで
 
              しょ?…魔王様の記憶力が常人から外れてるって事実を忘れて、ばっくれちゃおう、
 
              そうしよう。
 
              「あの時の彼が犯人かな?」
 
              「…お行儀悪いよ」
 
              お箸で首に触れてみせる近衛氏にはやっぱり誤魔化せないと悟った瞬間、あたしは
 
              できうる限りの冷静を総動員しなくちゃならなかった。
 
              焦んない、狼狽えない、自爆しない。…スローガンみたいだ。
 
              「答えないの?」
 
              食事の手を止めてまでしなきゃなんない会話ですかー!!…ですね、そうですね、
 
              突っ込まないカレシもダンナさんもいませんね、はい。
 
              無言の脅迫は慣れっこになっちゃった綺麗な微笑みで、これが輝きを増すほどあた
 
              しの立場が悪くなるのは実体験済みだからもうしらばっくれることはできないです。
 
              頼むから怒んないでね〜。
 
              「だって、先輩キスしようとしたんだもん。必死に避けたら首に吸い付かれちゃっ
 
               てさ、ね、これ不可抗力だと思うでしょ?ね、ね?」
 
              涙ぐんでの自己弁護は、果たして近衛氏になにをもたらしたんだろう。
 
              こつこつと爪先でテーブルをノックして熟考した彼は、何ともやるせな吐息をつい
 
              た。
         
              表情が無いよー、目が据わってて怖いよー。
 
              「早希、僕とケンカした後彼と会ったね?」
 
              「え?うん」
 
              「相談相手に選んだね?」
 
              「…なんで知ってるの」
 
              「泣いたんでしょ、子供みたいにボロボロと」
              
              「どっかでみてた、もしくは探偵を使ったな」
 
              「抱きしめて慰めてもらった、違う?」
 
              「…仰る通りでございます。ごめんなさい」
 
              ふえーんっ!現場にいたみたいに克明な解説だよぅ。いつもみたいに意地悪い声も
 
              してないよぅ。なにより顔が元のまんまだよぅ。
 
              呆れた空気をガンガン製造する近衛氏は、こめかみを押さえて自嘲気味のセリフを
 
              つづる。
 
              「うん、彼の辿った道筋がよくわかるよ。初めて合った時から少し僕と似てるなと
 
               は思ってたけど、同じ罠にはまっちゃったんだね。…立派なライバル宣言だ」
 
              伸ばした指先で先輩のつけた跡をなぞった悪魔に、少しの怒りも見えないのは嬉し
 
              い発見だ。
 
              珍しい…絶対烈火の如く怒り狂うと思ってたのに、やれやれだぁね。
 
              そんで、こんなコトで気を抜いちゃうあたしは全く進歩のない馬鹿者だ、と。
 
              ちょいちょい手招きされて、ご主人の許しを得た犬みたいに嬉々として近づいちゃ
 
              うんだから。
 
              軽く引いた腕で器用にあたしを反転させた近衛氏は、膝の上に落ちてきた体を深く
 
              抱き込んだ。丁度鼻先に当たる髪に唇を落として、苦笑混じりの声がくぐもる。
 
              「意地っ張りはむやみに泣くものじゃないんだよ」
 
              「…それ、あたしのこと?」
 
              こんな素直なお嬢さんを捕まえてあなた、失礼じゃありませんか。
 
              「早希は感情がストレートだから、僕みたいな人間はつい惹かれてしまう」
 
              …おや?
 
              「きっと彼も同じだ、怒って泣いて近くの温もりにしがみつく、無防備な君に自分
 
               にないものを見た」
 
              あれれ?
 
              「人の物だとわかっていても、我慢する術を知らないから、困るね」
 
              わかった、近衛氏があたしを呼んだ訳。身動きできないよう、背後からきつく戒め
 
              られてる理由が。
 
              勇気が必要な告白だもんね、本音を吐露するのは彼にとってなによりイヤなコトだ
 
              ともう、知ってるから。
 
              だから余計に見たいじゃない、照れてるであろう顔を。
 
              鬼悪魔で結構よ、やられっぱなしなんだから機会があったら即復讐しなくっちゃ割
 
              に合わないわ!
 
              「大事な話は視線を合わせないとっ!放せ、これを!そんであたしを振り向かせて
 
               ー!」
 
              絶好のチャンスに浮かれているから忘れてる。あくまで相手は近衛氏だ、なにがあ
 
              っても近衛氏だ。
 
              どんなに声が優しかろうと、抱きしめる腕が温かろうと、本性はちょっとやそっと
 
              で揺るがないから人の根本なのだ。
 
              「…せっかく水に流してあげようと思ったのに」
 
              地を這うような響きに、全身の血が音を立てて引いていくのが合図で、馴染み深い
 
              恐怖がいらっしゃーいと陽気にあたしを呼んでいる。
 
              踏みましたー!久々地雷を踏み抜きました!!
 
              「こここ、近衛さん!」
 
              「なんですか、風間さん」
 
              ああ、なんでこの人はこんなにも楽しそうなんでしょう。
 
              それはね、憐れな獲物が腕の中で無駄な抵抗を続けているからに他なりませんよ。
 
              くだらない自問自答を繰り広げてる間にも、近衛氏の攻撃(?)の手は緩まない。
 
              髪から首筋へと移された唇は、甘い痛みを残しながら転々と被害を拡大しついには
 
              先輩が印した悪意の象徴に辿り着いた。
 
              「もう、やめて…」
 
              このまんまじゃ隠すどころかホントに登校できなくなるに違いない。
 
              鏡を見るのが怖い…。
 
              「そうだね、これを片づけたらすぐにも解放してあげるよ」
 
              いつの間にか向き合って座っていたから、霞む視界に眉間に皺を寄せた近衛氏を見
 
              ることができた。
 
              ポーカーフェイスに覆われた彼の、人間らしい一面。不機嫌にしかめられた顔は、
 
              他人がつけたキスマークを許す気なんて欠片も持ち合わせていない狭量さ。
 
              「どうしようって言うのよ…消せないのに」
 
              時間が経たなきゃどうにもなんないのに。だいたい近衛氏が企み事すると、あたし
 
              が被害甚大なんですけど。
 
              「…塗りかえればいいんだよ」
 
              なにをっと聞く暇もなく、舌が赤い花を舐め取った。
 
              繰り返し飽きることなく行き来する様は、動物が傷を癒す動きに酷似している。
 
              でも、それ怪我じゃないから。クスリ塗ろうが手当てしようが消えないんだって。
 
              生暖かい感触にくすぐったかったり、不思議に気持ちよかったり、首を竦めて近衛
 
              氏を制す頃には息が切れるくらい体力を消耗してた。
 
              「いつまで!なにを!するつもりなんですか!!」
 
              じんじんと痺れて熱を持ってるんじゃないかと疑いたくなる首筋を押さえて叫べば、
 
              したり顔がニタリと口角を吊り上げる。
 
              「そこは僕がしつこいくらい舐めたところで、件(くだん)の彼が不埒な跡を刻ん
 
               だところじゃない。赤い色を見るたび早希が思い出すのは、僕のこと」
 
              「…そう言う意味なのか…」
 
              塗り替えは確かに成功ですね。いや、記憶のすり替えって方が正しいんじゃないで
 
              しょうか。
 
              どっちにしても茜色の一室で痛いくらいに躍った心臓の音は遠のいて、明るいリビ
 
              ングで見た不機嫌な顔と疼くような舌の感触が脳にハレーションを起こしてる。
 
              好きって感情を伴う分、近衛氏有利。策略家め!
 
              「言っておいて、挑戦は何度でも受けるって」
 
              微笑んだ男があたしを抱えたまま立ち上がったのはきっと計画のうちに違いない。
 
              「ごはんっ!まだ食べてない」
 
              手つかずに近いテーブルを指さしたって、既に食卓に背を向けてる視界には入って
 
              いないってわかってる。
 
              でも!連日連夜はご勘弁下さい〜。心臓が持たないって。
 
              「お仕置きは終わってないよ?」
 
              楽しそうに笑う悪魔に意味がわからず首を傾げるあたし。
 
              「怒られること、したっけ?」
 
              「僕の弱みを握ろうとしたでしょ。ついでに他の男に無防備な姿を晒したのも気に
 
               入らないな」
 
              しまった!ほんの数分前の復讐心も記憶と一緒に飛ばしちゃった。おまけに先輩の
 
              ことも静かに根に持ってたんだな、魔王様は。
 
              「見逃してよぅ、何度もエッチして赤ちゃんできたら困る〜」
 
              「避妊しててできるわけ無いでしょ」
 
              …はい?だって最初の時責任もてるって豪語して、してくれなかったんじゃなかっ
 
              た?
 
              「僕は善人だからね、人の嫌がることはしないの」
 
              ベッドの上に放りだしたあたしにのし掛かって、それを言うか!
 
              「してる、今!」
 
              「嘘にも取り合わないことにしてるから」
 
              随分都合のいい脳味噌じゃない…いつか壊れるまで殴ってやる!
 
              不条理な行いに対する抗議を飲み込んで、静かな夜は更けていくのだった。
 
              …どこか間違ってる…。
 
 
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                  結局、早希も純太も近衛には勝てなかったんですね…。   
                  はたして純太は巻き返せるんでしょうか?              
 
 
 
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