気付いたのは、バス停だった。
ぬかったわ、近衛氏に会うからって着替えさせられた時、当然だけど腰に巻いてたウ
エストバックはずしちゃったんだよ。財布入ってたのにぃ。
虚しく行き過ぎるバスを見送った後、歩道にへたり込んだあたしは満天の星空を見上
げた。
疲れる一日だったなぁ。せっかくの日曜だってのに、してたことと言ったら逃亡計画
練るだけだった。じじばばはろくなもんじゃないし、顔は天使みたいなのに性格は悪
魔みたいな男に会うし。
そんな下らない感傷に浸ってるから、あたしは迫り来る追っ手に気付かなかったんだ。
「もう、納得できた？」
星を隠すように顔を覗かせたのは言わずと知れた近衛氏。
そりゃあもう、心臓止まるくらいに驚いちゃったけど参ってた精神がおっつかない。
「できるわけないじゃん」
淡々と返すと、でっかい体を押しのけるように立ち上がった。
本日の業務は終了しましたってね。勝負は明日に持ち越すわよ。
「帰るの？」
意外だとばかりに近衛氏は問いながら、それでも引き返すあたしの背中を追ってきた。
「さっきの終バス。歩いて帰るには遅過ぎんの」
「常識はあるんだね」
朗らかに言うんじゃない。あんたら金持ち連中の常識の方がよっぽど疑わしいわ。
言い返すのも面倒で、もくもくと歩く。
静まりかえった住宅街は物珍しい物も無く退屈で、あたしは空を振り仰ぎながら進ん
だ。
月のない夜の星空は澄んでて綺麗で、胸に染みる。せめて家族の声が聞けたら元気が
出るのに。まさか会うななんて言われると思わなかったから普通に家を出てきちゃっ
たし、それを聞いたみんながどう思ってるのか知りたい。
少しは悪いと思ってくれてるのかな？
携帯も置いて来たことを後悔して、ふと背後の近衛氏の存在を思い出した。
「ねぇ携帯ない？」
振り返ると怪訝そうに、それでも胸ポケットを探って小さな通信機器が差し出された。
不思議な機械、これ一つで会いたい人達に繋がる。
「借りていい？」
指さすと近衛氏は始めてみせる邪気のない笑顔で頷いた。
「どうぞ」
「ありがと」
礼を言って取り上げた携帯を開き、普段はほとんど押すことのないボタンを間違えな
いよう丁寧に触れていく。
耳に付けると短い発信音の後、コールが始まった。
自分の家にかけるのに緊張するって初めてで、ちょっと笑う。ほとんど待つことなく
とぎれたコールが、お姉ちゃんの声と変わった。
「はい、風間です！」
勢い込んで出たって感じに驚いた。彼氏からの電話でも待ってたのかな？そうだった
らあたしじゃ怒るんだろうなぁ。
「…どうしたの、そんな慌てて」
「やっぱり！早希ね、どうしてもっと早く電話よこさないのよ！」
「え？」
「えっじゃない！お父さんに聞いて心配してたんだから」
マジで心配してったお姉ちゃんにこっちの方がびっくりした。
長いこと姉妹やってきたけど、本気で心配されたのなんか始めて。まして相手は『一
人っ子がよかった』ってことあるごとに言ってる人だよ？たった一日行き先もはっき
りしてるってのに、悪い物でも食べたのかな。
「ちょっと、待ってよ」
嬉しいやら照れくさいやらで返事もできないでいると、あちらでは何やらもめ事がお
こってて、
「早希！ごめんねぇ」
今度は涙声のお母さん。こりゃ電話の奪い合いをやってたわけだ。
「落ち着いて、大丈夫？」
条件反射で母親をなだめにかかると、あなたこそって聞かれちゃった。いつもの嘘泣
きじゃない。お母さん本気で泣いてる。
「知らなかったの、そっちに行ったら会うの禁止されちゃうなんて。今までお姉ちゃ
んと二人でお父さんをつるし上げていたのよ」
何度も何度も謝って、収集つかなくなってるお母さんにつられてあたしまで涙が出そ
うだった。
よかった。みんなあたしのこと見捨ててなかったんだね。
「早希、すまなかったな」
「お父さん…」
お祖父ちゃん達がいるところじゃ聞けなかった申し訳なさそうな声。
「お父さん毎日でもそっちに行って、きっと会えるようにするから、ちょっとの間我
慢してくれ。あの二人を今日止めるのは無理だったんでな、何落ち着けば息子の話
だ、聞いてくれるさ」
台詞は楽天的なのに、ちっともそう聞こえない。
うん、わかるよお父さん。あなたの両親は人の話のわかろうとしない、だからあた
しも実力行使に出たんだし。
「待ってるね」
こっちも気合い入れ直して脱出計画練るしってのは黙っておいた。余計な心配させ
ちゃいけなから。
それからも代わる代わる電話口で励ましてくれる家族に元気をもらって、名残惜し
みつつあたしは電話を切った。
かける前のへこみ具合が嘘みたいに今は気分がいい。知らず笑っちゃうくらいには。
「元気が出たね」
携帯を返したあたしに、近衛氏が微笑んだ。
「お陰様で。明日からまた全力で逃げるからね」
にやりと口元を歪めると、それでこそっと返ってくる。
「活きのいい獲物ほど捕まえがいがある」
「できるもんなら、やってみて」
そう不覚はとらないわよ。根性は庶民の方が上なんだからね。
感傷に浸る必要の無くなったあたしは空を見上げることなく、真っ直ぐ前を向いて
バトルフィールドに戻るべく歩き始めた。
明日からの第二戦、覚悟しといてよ！
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