顔に派手なひっかき傷をつけた男と、引きつっている祖父母を前に、居心地悪い思い

    で座ってるあたし。

    広い座敷に膳がしつらえられ、お食事会なわけだけど、この時間は苦痛極まりない。
 
    誰も話すことなく、かと言って箸を付ける雰囲気でもなく、お通夜かっつうのよ。

    ああ違う、一人だけ薄笑いを浮かべてる奴がいた。不気味な笑顔でお通夜に臨む人は

    いないやね。

    「すまなかったな、近衛君」

    暗いお祖父ちゃんの声が沈黙を破った。滲み出てる疲労感は…あたしのせいだろうな、

    やっぱ。

    「いえ、楽しかったですよ」

    おばあちゃんの横、あたしからは斜め前に位置する近衛氏が、マジ楽しそうにこっち

    に視線をくれる。

    …同意を求めないで、お願い。正面からおばあちゃんが睨んでるんだって。

    「教育が行き届かなくて、お恥ずかしい限りです」

    ため息と共に吐き出されたおばあちゃんの言葉に、奴は首を振る。

    「大丈夫ですよ、これからじゃありませんか。一日も早く早希さんが僕の妻となれる

     よう、一緒に頑張りましょう」

    頑張るポイントが間違ってますって、絶対。ついでにその薄ら笑いも間違ってます。

    「結婚を止めるって案はどうですか?」

    さっきはあっさり却下されたけど、じいちゃんばあちゃんの考えは変わったかもしれ

    ないじゃない?手に負えない娘だって自覚するとかして。疲労困憊してる姿を見てた

    らそんな気がしてきたのよねぇ。

    「お前は黙っていなさい」

    ちっ駄目か。

    聞く耳持ちゃしないお祖父ちゃんはめんどくさそうに言うと、近衛氏に視線を向けた。

    「私たちも今日始めてコレに会ったのだが…正直、数時間で疲れた。これ程手に負え

     んとは。それでも婿に来てくれるかね?」

    「はい、是非に」

    言いたいこと言ってくれるじゃないのよ、疲れたのはこっちだっつーの、どれだけ逃

    げ出すのに手間暇かけたと思ってるわけ?最後はうまくいってたのに、台無しにされ

    るしさ。

    人がむかついてるってのに、そっちはいきなり和んじゃって食事始めちゃうし、それ

    以前に当事者の一人であるあたしの意見は即却下だし。

    あれ?無視されてる?おっ、もしかしてチャンス到来?

    盛り上がってる皆さんを一回り見回してみたけど、誰もあたしに注意払ってる人はい

    なかった。まぁまぁ、なんて決まり文句付きで晩酌までしてて、近衛氏はどうだか知

    らないけど、お祖父ちゃんは結構年いってるしお祖母ちゃんも上機嫌で少しだけ、っ

    てな具合に杯開けちゃってるし、もう少し酔ってきたら脱走可能?

    平沢さんの動向が気になるところではあったけど、あたしは気にせず再度脱出計画を

    練り始めた。

    ここから一番近いトイレは玄関付近で、台所はその奧に位置していたはず。料理を作

    ったり運んだりはしてるんだけど、絶えず来るって訳じゃないから、次のお給仕に合

    わせてトイレに立てば人気は無い。

    決意も新たに本日最後になるであろう逃走に、あたしは密かに闘志を燃やした。

    ふふん、人を肴にお酒が飲めるのも後僅かだからね。せいぜい酔っぱらてよね。

    ジリジリしながら適当に料理を摘み、周り具合を確かめるあたしには果てしなく長い

    時間が過ぎ、やっとその時は来た。

    お給仕さんが揚げたてのお天ぷらを運んで来た少し後、仄かに紅潮した祖父母の顔を

    流し見て決断。いける。

    さり気なく立ち上がり、ちょっぴり痺れた足を励ましながら障子の前まで移動した。

    背後からかかる声が無いか、体が廊下に出きっちゃうまで心配で仕方なかったのだけ

    ど、クリアー。

    音もさせずに締め切った障子を確認した時は小躍りしたいくらい嬉しかったけど、落

    ち着いて、あたし。先はまだ長いんだから。

    不安要素だった平沢さんの姿は庭先で発見した。こちらに背を向ける形で犬に餌をや

    っている。

    怖いくらいラッキー。しめしめってなもんで、音をさせない早足でガラス張りの廊下

    を一気に抜けた。遠くで聞こえる使用人さん達の話し声はバロメーター。今なら安全

    ってね。

    そうよ、これ!こんな感じを待ってたの!

    やかましい犬の声やら、冷や汗が流れ落ちる平沢さんとの掛け合いなんていらないの、

    静かに、こっそり、腕のいい泥棒さんの如く誰にも気付かれずに抜け出す。コレが脱

    走の醍醐味よね。

    …なんか最初の趣旨と変わってきてるけど、まぁいいか。とにかく逃げろ!

    軽い引き戸を最新の注意で開け放ったあたしは、街頭の明かりが眩しい夜の道を駆け

    出した。
    
 
 
 
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                   逃げ道の一つ、自力で脱出完成。
 
 
 
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