9.告白
 
      「おお、鮫やで」
 
      「見ればわかる」
 
      むくれたままで歩く凪子の機嫌を取ろうと、涙ぐましい京介の努力が続いていた。
 
      親子連れでにぎわう館内を不機嫌極まりない女と、商人のごとく腰を落とした男が歩いて行くという
 
      のも一種異様な光景ではあるが、これはこれで凪子は楽しい。いや、おかしいというべきか。
 
      実のところ怒りはとっくに収まっていた。大量の水が反射する静かな青のせいか、のんびり泳ぐ回遊
 
      魚のせいか、理由は定かではないが正に癒しの水族館。
 
      入り口をくぐって数分もすると、いつも以上に落ち着いた自分になっていた。
    
      「あ、かわいい!」
 
      目に留まった大きな水槽にはイルカが泳いでいる。狭い水槽の中でそれでも優雅に進む二匹のイルカ
 
      は、ランデブーをしながら凪子達の前を通りすぎていく。
 
      「…狭くて、可哀想ね」
 
      ぽつりと漏らした独り言に背後から同意の声がかかった。
 
      「せやな。ほんまは大っきな海で泳ぐんが好きなんやろな」
 
      肩が触れるほどに近づいて、それでも凪子に触れることなく立つ大きな体は、覗き込むように青いガ
 
      ラスを見つめている。
 
      「人間の勝手で閉じこめられちゃったんだよね」
 
      水族館に来ている自分が偉そうに言えた事ではないが、海とは比較にならない小さな空間が罪悪感を
 
      煽った。
 
      「けど、一人やないしな。奥さんと一緒やったら住めば都かもしれんで」
 
      「ホントに?」
 
      見上げれば優しく笑う京介の瞳と出会う。
 
      「そうだといいな」
 
      自由とは言えないけれど、そこに好きな人と二人でいる、そんな風にイルカも思ってくれたらいいと
 
      凪子も思った。
 
      できることなら隣で微笑む京介ともそんな関係になりたい。本人は微塵もそんなこと思っちゃいない
 
      だろうが。
 
      「おひいさんのご機嫌も直ったみたいやし、いこか?」
   
      すぐ調子に乗る男は先ほどの凪子の怒りなど忘れたように、肩を抱いて来た。
 
      一瞬振り払ってやろうかとも思ったけれど、イルカに免じてそのままにする。
 
      正直に言うと嬉しかったから、あんな会話の後だと気持ちが通じたんじゃないかと錯覚しそうで。
 
      促されるまま館内を回り、たわいのない会話を交わしながらまるで恋人同士の様な時間を過ごせた凪
 
      子は、上機嫌で屋上のオープンスペースに座っていた。
 
      軽食が楽しめるここでは、そこここでお弁当を広げる人達も見える。崩れた弁当を食べさせるには絶
 
      好の場所だった。
 
      「なんか食べよか?」
 
      あいているテーブルに凪子を座らせて、京介は軽食コーナーを指さす。
 
      「お弁当持ってきた」
 
      チャンスとばかりににやりと笑ってバッグを掲げてみせると、僅かな間をおいて何とも複雑な顔をし
 
      た京介が頬を引きつらせた。
 
      「…それ、さっきむっちゃ振り回しとらんかったか?」
 
      「うん、力一杯。車の中でもひっくり返したしね」
 
      原因は言わずともわかっているだろうと睨みつけると、諦めたように一つ息を吐いてカタンと椅子が
 
      引かれる。
 
      乱暴に腰掛けた京介は凪子からバックを受け取った。。
 
      「わかった、食いましょ」
 
      「よろしい」
 
      得意顔で頷いて見せたが、凪子とて人ごとでないことに気付く。何も買わないのなら、自分もこれを
 
      昼食にしなくてはならないのだ。
 
      「飲み物!そう、飲み物買って来ないと」
 
      ついでにまともな食べ物をっと思った凪子を今度は京介が悪魔の笑みで引き留めた。
 
      「入っとるやん、水筒」
 
      してやったりと持ち上げられた水筒に、凪子も覚悟を決めざる得ない。
 
      おむすびだけなら何とかなるはずだ。覚悟を決めて大振りの弁当箱を取り出すと、凪子は一気に蓋を
 
      開けた。
 
      「「………!」」
 
      この世の物とは思えない有様になった無惨な弁当は、二人に声を失わせる充分な力を持っていて、さ
 
      すがの凪子も慌てて蓋を元に戻した。
 
      仮にも好きな男にこれを食べさせるのは…まずい。
 
      「なんか買おう!あたし奢るから」
 
      「ええって。こっちは無事みたいやし、そっちも食べれるとこだけつまんだら充分腹にたまるやろ?」
 
      京介はおむすびの入った箱を開けている。形は多少崩れているがホイルで包んであった分無傷のそれ
 
      を丁寧に剥ぐと一口ほおばった。
 
      「じゃこと梅か。うまいやないか」
 
      「…ありがと」
 
      情けなくてあふれ出そうな涙を凪子は何とかこらえると、自分も一つ手に取る。
 
      腹いせとは言え、あんなに振り回さなければよかった。得意ではないが頑張って作ったのだから、せ
 
      めてまともな状態で見てもらいたかった。あんな状態なのに食べてくれる人がいるのだから。
 
      優しいから、もてるんだろうな…。
 
      改めて触れた京介の心根に、自分の意地悪な意地っ張りが悪目立ちしているようで、凪子は悲しかっ
 
      た。
     
      「泣くことあらへんやろ?弁当こんなんになったんは、俺のせいなんやから」
 
      伸ばされた腕が頬をぬぐう感触で自分が泣いているのを知った凪子は、ぶんぶん首を振る。
 
      「違うの、お弁当じゃなくて北条さんがこんなの食べてくれるから…」
 
      「ほんなら余計、泣く所ちゃうやろ。食えるから食うとるだけやし、うまいんも本当や」
 
      「ごめんね、意地悪して」
 
      ぽろぽろ何故だか際限なく落ちてくる涙に顔を上げられないまま謝ると、大きな手が頭に乗せられた。
   
      「先にいけずしたんは俺や、気にせんとき。それよりそのまま泣いとると人気のない所連れ込むで?」
 
      「…どうして?」
 
      ちゃかすように言われたのに、怒る気になれなくて凪子は聞く。
 
      「抱きしめるより外の慰め方知らんから」
 
      「…じゃあそうして」
 
      弱気なのか素直なのかわからないけれど、言葉が零れる。涙と一緒に零れる。
 
      返事をしないまま、テーブルを片づけ始めた京介は立ち上がるとそっと凪子の手を取った。
 
      前が曇ってよく見えないままついて行くと、立ち止まった京介に引き寄せられてその腕の中に囲わて。
 
      「………」
 
      一言も発することなく、なだめるように背をさする京介の手が昂ぶった凪子の心を静めていった。
 
      ゆっくり、静かに、優しく。
 
      「…緊張しっとたんやな。初めて男と出かけるっちゅーのに俺はこんなんやし、気が張ってたんや」
 
      耳元で囁かれる低い声に、凪子はそっと吐息をついた。
 
      そうかな、そうなんだろうな。妙に肩肘張っていたのは確かかもしれない。
 
      「ごめんな、軽い気持ちで付き合おなんて言うて。混乱させてしもたな」
 
      苦しそうに吐き出される告白に、凪子の体が強ばった。
 
      もしかして、嫌われた?うざいから、もう一緒にいるのはいやだって言われる?
 
      そんな彼女の心に気付いたように、京介の腕に少し力が籠もる。
 
      「ほんまは気になってたんや。合コンや言うてるのに男と話しもせんで下向いとる凪子が。話してみ
 
       たらびっくりするくらい擦れとらんし、けど、最初はからかい半分やった」
 
      止まりかけた涙がまた溢れそうだった。やっぱり本気で相手にはされてなかったんだと。
 
      「…もう、聞きたくない」
 
      最後通達なんてしてくれなくていい。絞り出すように言って腕から逃れようとするのに、京介はそれ
 
      を許さない。
 
      「最後まで聞きい。今はちゃう、ちゃんと考えとる。凪子が俺を好きでいてくれとるように、俺も凪
 
       子と付き合いたい」
 
      「…好き、なの?」
 
      「わからん。こんなマジに相手の事考えるんは久しぶりやし、可愛ええとは思うけどそれが好き言う
 
       ことなんかようわからん」
 
      言い切ると京介は一つ深呼吸をした。考え込むように更に強く凪子を抱き込んで、そして。
 
      「むっちゃ後悔しとる。真面目に恋愛せんかったバチが当たったんやろな。大事な場面やのにうまい
 
       言葉が見つからん。けど、真面目に付き合うから、凪子の事大事にするから、もうちょっと俺に付
 
       き合うてくれへんやろか」
 
      望んでいた言葉をもらったのに、凪子の胸はなんだか苦しかった。
 
      嬉しいんじゃない、悲しいんでもない、切ないくらい幸せでだから苦しい。
 
      片思いじゃない、未来のある恋愛も苦しいなんて、恋って変だ。
 
      「きっと好きになってね」
 
      力いっぱい京介を抱き返して、凪子は少しだけ笑った。
 
 
 
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     私にも先が見えてきたー(泣き)
      終わるのかどうか不安だったけど、何とか行けそう。
      しかし、自分で書いてて恥ずかしいんですけど、読んで下さってる方どうですか?
 
 
 
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