10.キス
 
      水族館に行った日から、二人はいろんなデートを楽しんだ。
 
      動物園、遊園地、ショッピング、ゲームセンター、放課後の川縁の散歩。もちろんお弁当を公園で食
 
      べるリベンジも忘れずに。
 
      時間の許す限り一緒に過ごすうちに知っていく他愛のないものを楽しんで、窮屈すぎない緊張感を楽
 
      しんで。
 
      けれど、一つ変わったことがあった。京介の行動と言動である。
 
      隙あらば抱きしめようとする腕も、デートはホテルだと言う決まり文句も、全く聞かれなくなった。
 
      まあ、約束通り真面目にお付き合いをしているんだから喜ばなくてはならないのだろうが、それが一
 
      ヶ月二ヶ月と続けば不安材料になる。現に話を聞いた友人’sなどはあからさまにおかしな顔をした。
 
      「どっかぶったんじゃないの?あんたのことだから延髄でも食らわせたとか」
 
      「一週間に渡る破廉恥メールで凪子を困らせた北条さんが?やっぱりあなたに色気がないせいかし
 
       ら?」
 
      どうして全てを凪子のせいにするんだ、というのは置いといても確かにおかしい。
  
      だからと言って何で手を出さないのか問いただすのは抵抗があって、悶々とした気持ちを抱えながら
 
      凪子は今日も健全なデートから帰路についていた。
 
      「凪子?」
 
      助手席で考え込んでいると心配気な京介の声がする。
 
      「あ、何?」
 
      慌てて顔を上げると、信号待ちで停車する車の中じっとこちらを見つめる目があった。
 
      「いや、急に難しい顔して黙り込むさかい、具合でも悪いんか?」
 
      「…大丈夫、なんともない。ほら信号変わったよ」
 
      タイミングよく青くなった表示を指さしながら、凪子は微笑んで見せる。
 
      二人きりの密室で黙り込むのはまずかったな、と思いながらも続く話題が見つけられず流れる景色に
 
      見入る振りをした。
 
      もうじき落ちる太陽が鮮烈な光を放つ外の世界。先程まで遊んだ海岸で見たのならもっと綺麗だった
 
      ろうオレンジ。
 
      暗くなるまでいるとだだをこねたのに、京介にやんわりと拒否されて嫌々車に乗ったのが思い出され
 
      る。
  
      最近の京介は万事この調子だった。危ないから駄目、遅くなるのは駄目、まるで保護が必要な幼子の
 
      ように凪子を扱う。
 
      大事にしていると言うよりは、過保護な父親と一緒にいるようでおもしろくない。
 
      「保護者なんかいらない…」
 
      くすぶっていた不満がつい、声に出てしまった。
 
      …小声だったし、聞こえても意味わかんないよね、と探るように隣を流し見ると明らかに強ばってい
 
      る京介の顔がある。
 
      フォロー…。
   
      雪崩のようにあふれ出る言い訳を選りすぐるより先に、暗い京介の声がした。
 
      「保護者になった覚えはない」
 
      「それはそうよ、ね…はは、は…」
 
      乾いた笑いでは誤魔化せそうもない、怒りのオーラに凪子は竦み上がる。
 
      大抵の事は冗談で済ますような男が保護者呼ばわりされたくらいで怒る理由が彼女には一向にわから
 
      なかった。
 
      「…凪子は俺をカレシやのうて保護者や思うとるんか」
 
      「いえ、決してそのような事は…」
 
      思ってるけど。しかしそれは言えまい。
 
      「思うとるから言うたんやろ?最近帰りがけになると不機嫌になっとった理由はそれか」
 
      「不機嫌になんてなってない…かな?」
 
      じろりと睨まれて慌てて言い換えた。最初に怒り始めたのは凪子の筈なのに、どうして立場が逆転し
 
      ているのだろう?さっぱ
 
      りわからない。
 
      「大事にしとるんが不満なんか?約束通りでは凪子はいやや、言うことやな?」
 
      「と、とんでもございません。大変ありがたいです、本当に」
 
      「…門限あるんか?」
 
      「は?」
 
      「何時までに帰れゆうて家族に言われとらんのか聞いとんのや」
 
      「ああ、いえ両親は…しいて言えば弟が九時までに帰らないとうるさいかな…?」
 
      「後二時間か」
 
      それっきり京介は黙り込んでしまった。呼べど叫べど反応はない。
 
      凪子の話など聞こうともせず、自分の殻に閉じこもってしまった相手に仕舞いには彼女も匙を投げた。
 
      車はいつの間にか峠道を走っていて、不安この上ないのだがハンドルを握っている京介が説明を拒ん
 
      でいては打つ手がない。
 
      チラチラと盗み見る限り先程までの怒りオーラは消えているようだったが、横顔が知らない人のよう
 
      で怖くて、この居心地悪い沈黙をやり過ごすのに凪子は四苦八苦した。
 
      意味もなくカバンの中を探ったり、来てもいないメールをチェックしてみたり。
 
      「降りい」
 
      だから、だだっ広い場所で車を停めた京介がそう声をかけてくれた時、心底ホッとした。
 
      例えその声にまだ、底知れない暗さが残っていたとしても、だ。
 
      どこかの施設の駐車場なのだろうか、照明も無い真っ暗闇な空間は背後に不気味な恐怖を感じさせる
 
      くらい静まり返り、人っ子一人いなかった。
 
      「どこ?」
 
      不安できょろきょろと暗闇を見回しながら聞いてみると、いつの間に近づいてきたのか京介が肩を抱
 
      いてくれる。
 
      けれど肝心の返事はなく、強引に転落防止に巡らされた手すりまで歩かされた。
 
      望んでいた恋人らしいふれあいを楽しむ余裕もなく恐る恐る目にした先には、見事な夜景が広がって
 
      いる。
 
      「え、すっごーい!」
 
      きらめく街の明かりに、その目映さに、ただただ見とれていた彼女は背後から手すりを挟んで凪子を
 
      捕らえた腕に気づけなかった。眼下に広がる幻想は、夢見がちな彼女をうっとりとさせるには絶好で。
 
      「凪子…」
    
      囁き声が吹き込まれた耳元に意識を戻した時にはキス、していた。
 
      背後から伸ばされた指が顎を捕らえ、柔らかな唇がついばむように何度も触れて、離れて。
 
      「…やっ…!」
 
      抗議の声を上げようと開いた唇の間を割って柔らかな物が進入してきた。
    
      目眩がするほど深く、深く、京介に浸食されて。脳は融けそうなのに神経は張りつめて。
 
      いっそ意識を手放したいと思う頃、ようやく解放された。
 
      「…ん…」
 
      震える膝を支える為にジャケットを握りしめたのに、指に力が入らない。
 
      けれど、崩れ落ちることは無く、いつの間にか向かい合っていた体を京介が強く抱きしめていた。
 
      「…わかったやろ?」
 
      崩壊寸前の脳に、からかい声が響いた。
 
      「凪子にはまだ早いんや。俺の本気に付き合うんは、な」
 
      次第にはっきりとしてくる意識は京介を殴りつけてやれと言っているのに、情けないかな体はちっと
 
      も凪子の言うことを聞いてくれない。なすがまま、その腕に抱かれているので精一杯だった。
 
      「これに懲りたら生意気ゆうんやない。凪子はお子ちゃまなんやから」
 
      「…馴れる」
 
      「…は?」
 
      「馴れれば平気」
 
      かすれ声ではあったけれど、凪子のできる限りの反抗。キス一つでバカにされるなんて、冗談じゃな
 
      い。
   
      「無理せんでも…」
 
      「うるさい」
     
      声に力が入らないのは悔しが、焦っているらしい京介がわかるから、気分がいい。
 
      お子様扱いなんかするからいけないのよ。
 
      「……ふーん。ほんなら我慢せんでもええんやな」
 
      「……え?」
 
      楽しそうな京介の声に、チカチカと赤い光が点滅した。
 
      「いやー、好きな子前に我慢するんはつらかったんや。妙な約束した手前紳士でおらなあかんて自分
 
       を諫めてなぁ」
 
      地雷?もしかして、踏んじゃった?
 
      パニくる凪子はそこで大事なことに気付く。
 
      「…好きな子?」
   
      今そう聞こえた気がする。
 
      「ん、付きおうて少し立った頃からかな、ちゃんと凪子を好きや自覚したんは」
 
      底意地の悪い笑い声と、ずっと待ていた台詞。どこまで人の悪い男なんだろう。
 
      「ちゃんと言え!」
 
      出せる限りの力で向こうずねを蹴飛ばしてやったのに、京介は少しも効いていないとばかり余計腕に
 
      力を込めた。
 
      「やから、無理せんとゆっくり行こな」
 
      できればそう願いたい。意地を張らなければちゃんとそう言える。
 
      こくんと頷いたのは決して本気の京介が怖かったからではない。
 
      断じてない。
 
 
HOME         NOVELTOP
 
 
 
         あとがき
 
           終わりです。長らくお付き合い下さりありがとうございました。
           恥ずかしー。つたない文章にお付き合い下さり感謝感謝です。
           もっと書きたいこととかいっぱいあったのに入りませんでした(自爆)
           次も頑張りますので、よろしければまた見に来て下さいねー。
 
 
 
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送