8.抱擁
 
      土曜日は快晴だった。
 
      車で迎えに現れた京介は、駅前で凪子を拾うと目的の水族館に向かって快適にとばす。
 
      車内にはじゃまにならない程度にBGMも流れ、何を話したらいいかわからない沈黙を和らげてくれ
 
      ていた。
 
      「タバコ、ええか?」
 
      掲げられた小さな箱に頷くと、カチャリとライターの音がして細い煙が吐き出される。
 
      それは薄く開けられた窓から流れ出てほとんど気にならない程度だったが、間近で感じたタバコの香
 
      りは凪子には新鮮だった。
 
      彼女の周りにはタバコを吸う人はいないので。
 
      「ちゃんと水族館に向かってるよね?」
 
      電車とは違う風景に、なんとなく感じていた不安を口にした凪子は、隣をそっと盗み見た。
 
      上機嫌でハンドルを握る京介は一瞬渋い顔をして見せたが、大丈夫と請け合ってくれる。
 
      そもそも、凪子の不安要素は京介が作ったのだという自覚があるのやら。ここ数日のメールのやりと
 
      りはそれ程ひどい内容だった。
 
      かすみに言いつけたのが効いたのか、再び小林に怒られたらしい京介は、確かに中学生デートコース
 
      を提示はしているのだが、その中で、清い交際ってどこまでなのか、どのくらい経ったらキスしてい
 
      いのかと加えることを忘れない。
 
      プロセスがあるじゃないかと説明してもわかったのかどうか…結局一日メールをほったらかしたらご
 
      めんなさいと電話で泣きが入り、なんとか今日にこぎ着けたいきさつがある。凪子の心配は当然と言
 
      えた。
 
      「今日はええ子にしときます。約束するさかいちよっとは信じてーな」
 
      「それは今日が終わったらね」
 
      鼻息も荒く言い切ると、凪子は膝の上のバッグを抱え直す。
 
      かすみにも美和にもさんざん笑われたが無視して作ったお弁当入りのバックは、今日のデートの目玉
 
      商品だ。
 
      京介が喜んで食べるのかは疑問だが、付き合おうと言ったからには凪子の少女趣味にあわせる義務が
 
      あると、彼女は勝手に決めつけていた。
 
      人前で広げるのが恥ずかしいなんて言ったら、持ち帰ってでも食べさせてやる。
 
      「重いなら後ろ置いといたらどうや?じゃまやろ」
 
      膝のほとんどを占めている大きさは京介も気になったらしい。しかし、礼を言いながらも凪子はその
 
      申し出は断った。
 
      横にでもして、せっかくの盛りつけが壊れたら、早起きした苦労が水の泡になってしまう。
 
      「それより、この車どうしたの、借りた?」
 
      話題転換を図るため、凪子はずっと不思議だった事を質問した。
 
      乗り込む前に見たナンバーは地元のもので、京介が実家から持ってきたのではないらしい車の素性が
 
      気になる。まさか今日の為にレンタカーでは無理をさせているようでいやだった。
 
      「俺の。去年卒業した先輩に安く譲ってもらってん。古くて嫌か?」
 
      「全然。動けばいいじゃない」
 
      凪子には車の善し悪しなんてわからない。自分が買えないほど高い物だとわかっているだけに、所有
 
      しているだけで充分格好よかった。
 
      「そんなん言われたの初めてや。今までの女はもっとええ車乗れぇ言うてうるさかったしな」
 
      ここは喜んでいいところなのだろうか…?
 
      密かに凪子は首をひねる。車をけなされずにご機嫌になった京介はいいが、さらっと前カノと比べら
 
      れたあたり何とも複雑だ。
 
      過去の彼女とのやりとりなんて、知りたくなかったような。
 
      だが、それを言っても無駄だろう。本人は気をよくしてニコニコと車について語り始めているのだ。
 
      失言したとは欠片も思っていない。
 
      延々と続く車自慢を適当な相づちで聞いていたら、窓の外に水族館の外観が見えてきた。
 
      「ついた!」
 
      「…聞いとらんかったな自分」
 
      そこそこの混み具合を見せる駐車場に進路を取りながら、不満げな京介の声がする。
 
      「だって、半分もわかんないんだもん。排気ccとかFRの性能とか説明されてもFRって何?って
 
       感じ」
 
      ラインの中に車を納めた京介は、いきなりこちらを向くとチョークスリーパーをかけてきた。
 
      「なら、そこで質問せんかい!ちゃんと聞かんとまた意地悪すんで」
 
      「ブレイク、ブレイク!もうしてるじゃない!」
 
      緩くもなくきつくもない絶妙な力加減で首を締め上げる京介の腕を凪子はタップする。
 
      「ちゃんと聞く言うて約束しい」
 
      笑い声の隙間から囁かれる声の近さに、心臓が跳ね上がった。
 
      いつの間にか京介の腕の中にすっぽり収まっている自分の上半身。じゃれ合ってるだけだと言うのに
 
      意識してしまうとその熱に頬が熱くなる。
 
      「する、するから離して!」
   
      必死に腕の中から藻掻きでようとする凪子の体を、更に強い力が押さえつけた。気付けばそれは両腕
 
      を回した抱擁に代わっていて。
 
      「うん。離しとるやろ?もう首は絞めてへんよ」
 
      「そうじゃなくてっ!腕、腕離してよ」
 
      楽しそうに凪子を抱え込む京介は、抗議の声もなんのその鼻先を髪に埋めながら更に体を密着させた。
 
      「可愛い、凪子」
 
      血液が沸騰する。真っ昼間に屋外の駐車場で抱きしめられている事実は恥ずかしい以外何物でもない
 
      筈なのに、それにも増して熱い腕が凪子の理性を消し飛ばそうとする。
 
      どうしよう、どうしよう!!
 
      ともすれば切れそうになる意識をつなぎ止めたのは、車外から聞こえる子供のはしゃいだ声だった。
 
      休日のありふれた風景、楽しそうな家族連れ、健全極まりない水族館。
 
      「痛て!!」
 
      口を開けて触れた腕に力の限り噛みついた。
 
      反射的に外された拘束から無事生還した凪子は、助手席の端にまで飛びずさると真っ赤な顔で京介を
 
      睨みつける。
 
      「約束したでしょう?!エッチなことしないって!」
 
      「しとらんやろ?じゃれとっただけや」
 
      しれっと言う京介はかまれた腕をさすりながら人の悪い笑みを浮かべていた。
 
      からかわれた!こいつ人の反応で遊んでる!!
 
      「…帰る」
 
      「わー!たんま」
 
      凪子の手がドアノブにかかったのを見ると同時に、カシャンとロックオンがして、京介の腕が伸びて
 
      くる。
   
      あっけなく両腕を拘束された凪子はこちらを見つめる京介に横を向いた。
 
      「ごめん、もうしません。やから帰るなんて言わんといて」
 
      懇願する声に視線だけ送ると、真顔で謝る京介が見える。
 
      「…そんなにエッチしたいなら、あたしじゃなくて馴れてる女の人見つけた方がいいのに」
 
      何となく感じていた疑問。京介は何度も謝ったり譲歩してくれたりするけど、好きでもない相手にそ
 
      んな手間をかけなくても、もっと楽しく過ごせる人を見つける方が簡単なはずなのに。
 
      どうして凪子と付き合おうとするのか、わからない。
 
      「凪子ちゃんやからおもろいんやない。そんな反応返してくれる女もう周りにおらんし」
 
      言葉より先に足が出た。
 
      狭いので回し蹴りとまでは行かなかったが、ニーキックは見事京介の脇腹にヒットする。
 
      「人をおもちゃにすんな!」
 
      自由になった手でドアを開けた凪子は、お弁当入りのでっかいバックを振り回して歩き出した。
 
      もちろん水族館に向かって。あんな男のどこがよかったのか忘れそうだけれど、まだ好きなものはし
 
      ょうがない。
 
      もう絶対からかわれないんだから!
 
      好きになってもらうまで、意地で降りられなくなったこの勝負。ここで家に帰ったらその機会が遠の
 
      いてしまう。
 
      背後から慌てて近づいてくる気配に、今日は何が何でもぐちゃぐちゃになったお弁当を食べさせてや
 
      る!決意を新たにした凪子は振り返り思いっきり舌を出してやった。
 
 
 
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        恥ずかしい…。この話恥ずかしいです…。         
          そんで何だか格闘物のごとくやたらと暴力シーンが。     
          凪子の設定はこんな人じゃなかったんだけど、がんばれ京介(泣)
 
 
 
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