6.始まり
      
      待ち合わせ時間の十分前、凪子は駅前広場に所在なげに立っている。
 
      かすみが打ったメールに短い了承が返って来たのはあれからすぐで、心の準備をする間もなく時間は
 
      無情に過ぎていった。
 
      追い立てられるように学校を出た凪子は、どうしたものかと行き過ぎる人波をぼうっと眺めている。
 
      決心したまではよかった。逃げないで頑張る気はあるのだが。
 
      けれど肝心の友人二人は当たって砕けろ、なんて無責任な応援をしただけで、アドバイスの一つもく
 
      れなかった。
 
      砕け散ったらいやだから経験談を聞きたかったのに…。
 
      緊張でカラカラに乾いた唇をちょっとなめて、凪子はこれから過ごす数時間を暗い気持ちで待ってい
 
      た。
 
      「なーぎーこーちゃん!」
 
      緊張で凍り付いた体が、背中に走った軽い衝撃を逃しきれずつんのめる。
 
      そのままぺたりと座り込んでしたまった凪子の頭上で慌てまくった北条の声が響いた。
 
      「わ、悪い!俺そんなに力入れたつもりはなかってんけど…。どっか痛いとこないか?」
 
      仰ぎ見た先に困惑顔の京介がいる。
 
      相変わらずの綺麗な顔に、一気に心臓が走り出した。
 
      どうしよう、立ちたいのに余計に力が入らない…。
 
      固まったように動けない凪子は、仕方なく京介に助けを求めた。
    
      「立たせて…」
 
      絞り出した声は、想像よりずっと小さく、情けないものになってしまって涙が浮いてくる。
 
      せっかく会えたのに最初からこのていたらく、きっと京介は呆れていることだろう。でも立たなくて
 
      は逃げることもできないのだ。さすがにここから這って逃げるのはごめん被る。
 
      「ははは!かっわええな自分。そんな涙目でおねだりされてもうたら、断れんやんな」
 
      想像とは逆に、楽しそうに笑った京介がかがみ込んだ。そのまま凪子の二の腕を掴むと、ひょいっと
 
      持ち上げる。
 
      宙に浮くんじゃないかと思うくらい軽々と持ち上げられた体は、ふわりと地面に降ろされた。
 
      「ちゃんと立てるか?」
 
      優しい声に頷くと、京介の手が離れる。
 
      「…ありがと」
 
      意外な反応に戸惑いながらも凪子は礼を言い、ありもしない制服の汚れを払い始めた。
 
      気恥ずかしくて、顔が上げられない。パニックを起こして立てなくなったのなんて、生まれて初めて
 
      の経験で、更に助け起こしてもらうなんて。
 
      やめるタイミングを逃していつまでも制服を叩き続ける凪子の手が、京介の大きな手と繋がった。
 
      包まれた温かい感触に驚いて顔を上げると、ばっちり目が合ってしまう。
 
      「また転んだら大変やろ?こうしといたら俺が絶対転ばんようにしたげるし」
 
      瞬間、顔が真っ赤に染まった。焼けるように頬が熱い。
 
      初めて男の人と繋いだ手は、自分が女の子だと自覚するには充分すぎる大きさと力強さを持っていて…。
 
      「じゃ、行こか」
 
      照れに照れて返事をすることもできない凪子を京介が優しく引っ張った。
 
      つんのめるように歩き出すと肩が触れる。そんな距離に耳にまで心臓の音が聞こえてきて、凪子はそ
 
      っと深呼吸する。
 
      何度が取り込んだ酸素がやっと全身に行き渡り、心臓もやや早いくらいで収まり始めた頃、京介が声
 
      をかけてきた。
 
      「お茶でもしよか?」
 
      気がつけばとうに駅を離れ、アーケード内にある喫茶店の前にいる。
 
      向かい合って二人だけで話すのは自信がなかったが、さりとてこのまま街を放浪しても進展があると
 
      も思えないので、凪子は頷いた。
 
      手を引かれたまま入った珈琲専門店はチェーン展開している店とは違って落ち着いた雰囲気で、制服
 
      で入っていいのかと足が止まる。
     
      「どないした?」
 
      「…制服で大丈夫かな?怒られない?」
 
      「平気やって。保護者同伴なんやから」
 
      自信満々で言い切った京介に凪子は吹き出した。
 
      確か一昨日の晩かすみも同じ事を言っていた気がする。二十歳過ぎたら保護者だって、そうは見えな
 
      くても。
 
      笑った勢いで店内に入った二人は、一番奥のテーブルに腰を下ろした。
 
      すぐに現れた店員にモカとブルマンを注文しメニューから顔を上げた凪子は、こちらをじっと見つめ
 
      ていた京介の視線に気付く。自分に据えられた瞳にはそれまでの軽さが微塵も感じられなくて、少し
 
      戸惑ってしまった。
 
      「やっと笑ろうたね」
 
      息苦しい沈黙を破って、響く静かな声。
 
      「え?」
 
      言われてみれば凪子の笑顔は店に入った時からずっと、保たれたままだった。
 
      「土曜の晩、俺が付き合お言うてから凪子ちゃん笑ろうてくれへんかったから」
 
      「そう、だっけ?」
 
      「せや。だいぶ怒っとったし、まずいこと言うたかなぁ思うとった」
 
      髪をかき上げながら言いにくそうに言葉を紡いでゆく京介が、初めて視線を逸らす。
 
      「日曜、待っとったけどメールも電話もくれへんかったし、こっちからとも思ったんやけどな、傷つ
 
       けたんなら俺の声聞くんもいやかなって。メールは返事貰われへんかったらショックでかいしな」
 
      自嘲気味に笑って、それから京介は意を決したように凪子に向き直った。
 
      「ごめん!酒入っとったにしても無神経やった。あないな場所で言うたらあかんかったよな、ちゃん
 
       と二人の時に言わな。小林にもむちゃくちゃ怒られたんや、TPO考ええて」
 
      真剣に謝ってくれているのは凪子にもよーくわかった。問題は論点がずれているところ。
 
      合コン会場で言ったのが悪いんじゃない、内容が悪いんだとは小林と二人で話しても思いもよらなか
 
      ったらしい。
 
      この男に自分を好きになって貰うのは至難の業なんじゃないかと凪子の心に一抹の不安が走った。
 
      しかし同時に嬉しくもなる。人の心を思いやれる優しい人だとわかったから。些細なことを気にして
 
      自分のせいだと謝ってくれる誠実さは、この先の付き合いにもいい加減な事をしないと信じられる要
 
      素になる。
 
      問題はそれが彼の中の倫理感に大きく左右されると言うことだが。
 
      「もう、怒ってないです。だから今北条さんと会ってるし」
 
      希望が見えた分、凪子は余裕が持てた。
 
      とりあえずをきっと好きに変えて、京介を手に入れて見せると思えたから、スタートの躓きは忘れて
 
      しまおう。
 
      「ホントに、彼女にしてくれますか?」
 
      恥ずかしさをねじ伏せて言った言葉に、京介が極上の笑顔で答えてくれた。
 
      「もちろん」
 
      くすぐったい幸せでいっぱいになった凪子は、今カレシになった男を感慨深げに見やる。
 
      前途は多難だけど、絶対頑張るんだから!
 
      「よろしくお願いします」
 
      珈琲を苦くないと思えたのは、その日が初めてだった。
 
 
 
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           苦しい…これはこのお話で一番苦しいところでした。
              全然動かないキャラを無理矢理動かした感があるのでどこかおかしいかも。
              しかし、中編のつもりで書き始めたのに、これはどこまで続くんでしょう?
             (遠い目)付き合って読んで下さってる方、いるんでしょうか?
 
    
 
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