7.やっかいな上司。    
 
 
           社内随一の人気を誇る営業二課には、ついこの間まで笑顔の可愛らしいパート社員がいた。
 
           40半ばの彼女がダンナさんの転勤に伴い退社したことから、事件は起こる。
 
           「部長、私もうダメです!」
 
           半泣きで飛び込んできたのは、庶務係最後の女子社員。
 
           …違った、私がいるから最後じゃないわ。
 
           「もう少し我慢できなかったのかね」
 
           気弱そうな面に、滝のような汗を浮かべた総務部長が言ったのも無理はあるまい。
 
           彼女がアソコに行ってから…えーと2時間ね、最長記録だ。でも無期限で貸し出された社
 
           員が戻るにしては早すぎる。
 
           「そう言われても、男性との会話が全て課長経由なんですよ?それじゃ意味がないでしょ」
 
           いやいやいやいや、アンタなにしに行ったのよ。
 
           二課がいい男のるつぼだと言うのは女子社員口を揃える事実で、容姿に自信を持つ彼女が
 
           期待に胸膨らませていたのは容易に想像が付く。
 
           でもですね、それが故に若い女性が長らく足を踏み入れられなかった事実もあるわけで。
 
           欠員補充の希望を出した課長が、絶対に譲れなかった条件は男性事務職。仕事半分、結婚
 
           相手探し半分の中途半端さんはお断りしたかったらしいのだ。
 
           ところが折りからの不況、暗黙の了解で女子より給料の高い男性は雇用できない。加えて
 
           婚期の遅くなった女子社員は余り放題だったから、人事課は掃き溜めから借りてこいとに
 
           べもなく切り捨てた。
 
           総務部庶務係、通称お局養成所。コネ入社と、覇気のない社員のたまり場です。
 
           備品購入、電話の取り次ぎ、雑用をこなすだけの部署であるのに実に8人の女性が在籍し
 
           ているここには、美容部員並みの化粧知識を誇る女と、退社時間を指折り待つ女しかいな
 
           い。
 
           部長が「二課に行きたい人〜」と間延びした希望をとった時、私以外の全員が挙手をした。
 
           国際営業部は腰掛け社員にとって、絶好の餌だもん。寿退社万歳よ。
 
           …課長が妨害しなきゃね。
 
           7人全て返り討ちにあった辺り、予想通りで笑っちゃうけど責任者の苦労を考えると涙も
 
           のだわ。一体どんな仕事してきたのやら。
 
           「…乃木君」
 
           部署対抗ボーリング大会のお知らせを作成中ですからね、今のは聞こえませんでした。
 
           「乃木君」
 
           顔が上げられないわ、目を合わせたらやっかい事に巻き込まれる。
 
           「のーぎーくーん」
 
           「不気味な呼び方しないで下さい!顔も近づけない!」
 
           液晶ディスプレイの影から、亡霊の如く現れた部長を叱りつけて、椅子ごと後ろへ引く私
 
           は平社員ですよ?役職を怒鳴りつけられるほど、偉くないです。
 
           「君で最後だ。頑張ってくれ」
 
           うっかり怒鳴っちゃったばっかりに、今後のオフィスは針のむしろと決定したのだった。
 
 
 
           「また女子社員なのか…」
 
           落胆の色を隠そうともしない男に、こっちこそと叫ばなかったのは痛い教訓のたまものだ
 
           ろう。耐えるのよ、彼は上司なんだから。
 
           「庶務係から出向して参りました、乃木美月です」
 
           課長は腰を折った私に、おざなりな返事を返すと他のデスクから故意的に離された小島を
 
           示す。
 
           「課長の星野緑(りょく)だ。デスクはあれ、仕事内容は書類のファイリングおよび電算
 
            化、電話番、以上。…ああ、男性社員に用がある場合は私を通してくれっと言ってもそ
 
            のナリじゃ奴らの方が興味を示すまい」
 
           チラリと全身を舐めた視線の、感じの悪さは思わず頬に赤みが差すくらいだった。
 
           薄化粧も、ひっつめた髪も、実用一辺倒のメガネも、確かに洒落てはいないけど仕事に差
 
           し支えないんだからほっといて欲しいもんだわ。
 
           確かにあなたは綺麗な顔してるわよ、目元は涼しげだし、鼻も高い。銀のフレームが怜悧
 
           なイメージに拍車をかけて、イマドキオールバックに耐えうる造作は感動モン。
 
           だからって初対面の女を侮辱していい理由にはなんない。
 
           頷くと腹立ちに顔を歪めたまま、散らかり放題のデスクに腰を下ろす。
 
           さすがに営業、出払った社員で閑散としたフロアは寂しいくらいだが、今は丁度いい。
 
           私の主義は定時退社、サービス残業お断りだもの。さっさと片づけてゆったりと寛げる総
 
           務に帰るのよ。
 
           かくして、静寂の支配する室内で孤独な戦いが幕を上げた訳なのだが…。
 
           「…総務に行ってきます」
 
           開始10分、席を立った私に呆れた視線が突き刺さった。
 
           「逃げ帰るのか?だから女は…」
 
           「そっくりその言葉お返しします。何ですかこの未決書類の山は!ったく、デスクワーク
 
            もロクにできない男共が会社の一番人気なんて呆れるわ」
 
           無造作に積まれた書類は、本当なら何ヶ月も前に整理・計算・決済を必要とする物ばかり
 
           じゃないの。パートさんがいなくなってから、手つかずで放り出しておくなんて給料泥棒
 
           と言われても反論させないんだから。
 
           鼻息荒く意見した私に、一瞬面食らった課長もすぐに体勢を立て直した。
 
           「では総務に何の用があるんだ」
 
           わかんないの?あっきれたっ!
 
           「ファイルを取ってくるんですよ。クリップもトレーも、あるだけじゃ到底足りません」
 
           後は後ろも見ずに部屋を出て、私の顔を見て青くなった総務部長から備品を強奪し、(必
 
           要書類は課長に回してやったわ)経理に顔を出し未決済があることを報告した(詳細は課
 
           長に問い合わせろと脅しておいた)。
 
           昼食を摘みながらも手を休めることはなく、気づけば終業。
 
           「では、お先に失礼致します」
 
           軽やかになるチャイムをバックに、久しぶりの会話はさよならのご挨拶で締める。
 
           「…終わってはいないようだが?」
 
           皮肉に歪んだ唇を鼻で笑ってやると、明日にしようと思っていた書類を課長のデスクにお
 
           届けした。
 
           「なんだ、これは」
 
           百科事典並みの紙切れは、課長の承認印を待つありがたいお品で、本日の収穫でもある。
 
           「目を通して判を下さい。明日経理に精算に行きます。それと」
    
           効果を出すためには、ここで腰に手を当てるのがいいんじゃないかしら。
 
           「今日までほっといた物を、今更慌てて片づける必要性を感じません、よって残業はお断
 
            り致します。ああ、男性諸氏がお帰りになったらお伝え下さい、未決書類を私の机に置
 
            いたら明日はこちらに参りませんから、と」
 
           高飛車な態度に課長の額がシワを濃くするが知ったことか。反論できるものならしてごら
 
           ん。
 
           「あそこに一枚二枚増えても変わりは…」
 
           顎でしゃくったデスクが、その用途を果たせるくらいに綺麗に片づいていたら黙るわよね。
 
           勝利に酔った微笑みを浮かべて、爽やかにドアを滑り出た私は知らない。
 
           お綺麗な顔立ちからは想像もつかない、罵りの数々が部屋を満たしていたことを。
 
           あーすっきりした!
 
 
 
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                     オフィスラブ通り越してオフィスバトル。 
                     さて、どう恋愛感情が生まれるんだろう?       
 
 
 
 
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