17.ケガの功名。     
 
 
           今日ほど自分のマヌケを呪ったことはない。
 
           夕方、帰宅を急ぐ人波に押されてミュールのヒールが折れ、隣のおばあちゃんにぶつかっ
 
           ちゃ潰してしまうとおかしな方向に体重をかけたら、駅の階段から転げ落ちた。
 
           山ほどいる人を器用に縫って真下まで一直線すれば、交錯する悲鳴と救急車のサイレン。
 
           めちゃめちゃ、恥ずかしかったんよ。ここでないとこなら、どこでもええから連れてって
 
           〜って叫びたくなるくらい。
 
           希望が叶った先で、もう一度おんなしこと思うとはさすがに想定してへんかってんけど。
 
           「左下腿単純骨折、各所打撲に加え…右肋骨3本も骨折?カルシウムと注意力が足らんの
 
            は入院中に治せるかもしれんけど、切れた運動神経をつなぐんは僕でもムリやな」
 
           レンズ越しに嘲笑されながらのセリフ、いちいち核心をついてて痛いわぁ…。
 
           って、ちゃうやろ。なんでお医者にばかにされなあかんの。ちょっとばかりイケメンで、
 
           合コンで引っ張りだこの職業で、明らかに私なんかとは人種が違うんやろなぁって高級オ
 
           ーラが出てるからって、患者コケにしたらあかんやろ?!
 
           怒ってんのに貶し言葉の一つも出てこーへん自分の頭が、ちょっと悲しいけど…。だって、
 
           仕方ないやないの。ストライクゾーンバリバリ、好みのタイプなんやもん。
 
           これ以上恥かく前に、転院てできひんやろか?
 
 
 
           個人病院らしいけど、この規模はちょっとした総合病院並なんよね。
 
           外来にも患者さんがたくさんいてるし、看護師さんも多い。もちろん先生かていっぱいお
 
           るはずやのに、なんで私の担当がこの人なんやろ。
 
           「不満があるんでしたら言うて頂けませんか、香月さん」
 
           おでこの青筋もよう見える距離やなぁ。つまり、
 
           「近い、センセ近すぎ!」
 
           ベッドにかがみ込んだ上体が、目の上30センチもないとこで笑うてる。それも優しげな
 
           微笑みなら嬉しいんやけど、薄ら寒い冷笑なんやから不自由な体で逃げ回る先を探してし
 
           まう私を、誰も責められんと思うの。痛いし。
 
           身動きできん人に、そんな近づいたらあかん。容姿が不自由な男がやったら、セクハラで
 
           訴えられると思う。
 
           「イヤやったら、逃げたらいい。そんだけ元気やったらできるやろ?」
 
           背筋に冷たいもんが流れましたよ。古典的表現やけど、冷や汗がダラダラ。
 
           なんでこんなに責められなあかんの?入ってくる早々、説明もせんとこれはあんまりとち
 
           ゃう?!
 
           そこで私は勇気を振り絞って聞いてみる決意を固めた。そんなもんわざわざ宣言せんでも
 
           思う様聞いたらええやん。は禁句よ。この人相手には、どうしてか勇気をかき集める必要
 
           があるんよ!
 
           まず、背が高いから威圧感があるやろ?黒髪をオールバックに撫でつけてるのも、○暴の
 
           お兄さんみたいで恐いし、銀縁メガネもきっちり締めたネクタイもきれいな顔と相まって
 
           一分の隙もないから、声かけるんもはばかられる。
 
           触ったら、氷みたいに冷たいんと違うかな。
 
           「あ、あの!なんで怒ってはるんですか?」
 
           裏返った声に一瞬センセの唇が歪んだんは、気のせいや…そうに決まってる。
 
           「いきなり不満を言え、言われても、なんもありませんから…」
 
           ご飯はおいしい、看護師さんは親切、センセ以外に私の心の平安を乱すもんなんかないや
 
           ないの。
 
           との不埒な考えは、表情に出てしまったんやろか?元々流れていた冷たい空気が、更に数
 
           度一気に下がり、もう局地的氷点下。バナナで釘が打てますの世界。
 
           すっと細くなった切れ長な瞳は、ああ、壊れてます!危険です!!
 
           「香月さんが転院希望してはるって聞いたんですが、理由は?」
 
           「そ、それは…実家の近くがええなぁと。ほら、私一人暮らしですから」
 
           「ほう」
 
           全く信じてないと、全身が主張してるやないですか。
 
           「それに!3日入院した後自宅療養なら、一人だと不便や思うんですよ」
 
           「正論やな」
 
           鷹揚に頷いて同意してくれはるんやったら、是非お慈悲を!
 
           冷徹に見下ろすこの人と、違った形で会っていたら積極的に近づいて激しくアプローチも
 
           したかも知れない。
 
           だって、めっちゃ好みの顔してる条件的にもバッチリなんやもん、そらラッキーってほく
 
           そ笑んで追っかけるに決まってる。けど、今回の出会いはいただけない。
 
           間抜けな理由で駅の階段から転げ、それを笑われた挙げ句に毎日すっぴん・パジャマ姿を
 
           見られているんじゃ、恋の花は咲く前に枯れた。枯れ果てた。
 
           23歳、香月真彩、新入社員で苦労が多い上に私生活でも前途多難。
 
           「で、実家はどこか聞かせて貰おか」
 
           絶対疑ってるな…?でも、これ言うたら絶対苦し紛れの言い訳やないってわかってもらえ
 
           るもんね。
 
           府外である旨を伝えると、ほんのちょっとだけ驚いた…ように見えたんやけど気のせいか
 
           な、指摘して不機嫌に拍車がかかるとイヤやしそっとしとこ。
 
           けど、わかってはくれたみたい。短く吐息をついて、一つ頷いたから。
 
           「確かに、遠いな。入院のことは知らせたんか?」
 
           「いちお。母は今日の午後に来てくれる言うてましたけど」
 
           車いすで移動してる娘を、笑い飛ばすおかんを信用していいとすれば。
 
           「その後は実家に帰るんか?」
 
           「そうしないと、生活できませんから」
 
           ご飯も作れない、お風呂も一人じゃ入れない人は一人暮らしできないでしょ。
 
           「仕事はどうする?」
 
           「休みますが…」
 
           大丈夫、やろか。長期欠勤とかして会社に行ったら席がないとか…ありそう。
 
           ギプスでがちがちに固まった足と、痛みで起きあがることもままならない体が恨めしい。
 
           自分で踏んだドジとはいえ、きついわぁ。
 
           人知れず、と言うか堂々とへこんでると頭上からクスリと笑う声がする。
 
           それはホントにホントに嬉しそうに零れた声、だったような…そうでないような…。
 
           こっそり見上げても、レンズが反射して表情が読めへん。
 
           「不安なんやろ?クビになるんとちゃうやろか、とか考えてんのやろ。そんなら、遠い実
 
            家に帰んのイヤやろなぁ」
 
           「…いや、ですねぇ…でも…」
 
           帰らんでも結果は一緒な気がするんよね。出勤できんのやったら、結果はクビになるよう
 
           な…それに、なんぞ企んでそうな物言いがとっても引っかかる…
 
           「でも、はいらん。イヤやな?」
 
           「………」
 
           「イヤ、やな??」
 
           「はいいぃぃぃ!!」
 
           そんな、顔近づけんで!お願いやから!
 
           色気全開で、けど色っぽいこと一つもない会話の行き着く先はどこ?私が実家に帰ると良
 
           くないことが起こるとでも?
 
           的はずれだとわかっても勘ぐらずにおれんセンセの脅迫まがいの態度は、何故かドンぴし
 
           ゃ的中してたみたいで。
 
           勝ち誇った顔、満足そうに鳴った喉、ふんぞり返った背中。…猫みたい。
 
           「香月さんの治療は、他の患者さんより手がかかるんや。なにしろ、切れた運動神経まで
 
            繋がなあかんやろ?」
 
           「ええ?!はぁ?!」
 
           あんた、それはできんて初対面でわろうたやないですか!なんやの、このセンセ、何考え
 
           てはるの?!
 
           言うてる間にもどんどん無くなる二人の距離が、恐い。はっきしいって、めっちゃ恐い。
 
           気を抜くと、なけなしの理性、根こそぎ引っ張られてキスの一つもしちゃいそうよ。
 
           「な、ななな、なな!」
 
           「僕は人語しか解せんのですが?」
 
           この、いけず!
 
           「運動、神経は!治されへんのとちゃいますの?」
 
           「従来通りの治療法ではな。医学とは日々進歩するもんや」
 
           「じ、人体実験反対!」
 
           「失礼な。臨床実験といいたまえ。まぁ確かに実験台にはするが、他の患者さんには使わ
 
            れへんやろし…ええやないか、無料で最高の医療を受けさせたる言うてるんやぞ」
 
           「いらん!そんなん、いりません〜!!」
 
           楽しげに、どんどん瞳が不穏な光を帯びるのを見るにつけ、身の危険をひしひし感じるな
 
           ぁ、感じちゃうなぁ…。
 
 
 
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                     今更なんですが…センセのお名前出てきません(笑)。    
                     方言指導、ゆかりん、ふうきさん、ありがとぉ!      
 
 
 
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