14.
 
             小気味いい音を響かせて、ミオさんの平手が克巳の頬にヒットした。
 
             「やっと殴れたわ」
 
             にっこり笑ってベッドまで歩み寄った彼女は、あたしの髪を梳く。
 
             「意識が戻ってよかったわぁ」
 
             次いで鈍い打撃音。たまらず床にくずおれた克巳を一瞥して、畑野さんはこちらを振
 
             り返った。
 
             「目を覚まさないから、心配したんだぞ」
 
             えーっと…あたしは克巳が心配なんだけど。ついでに2人の行動もイマイチ理解でき
 
             ないんだけど…。
 
             「なんで克巳がいじめられてるの?」
 
             2人とも彼のこと好きでしょ?畑野さんなんか毎晩口説いてたじゃない。
 
             早朝の病室で目にするにしちゃ刺激が強すぎて、枕に埋もれてた体を苦労して起すと
 
             暴力行為についての説明を求めてみる。
 
             「原因は袋だたきにするのが決まりじゃない」
 
             「お前が眠ってる間は意気消沈していて殴るに忍びなかったからな、起きるまで待っ
 
              てたんだ」
 
             って、あたしのせいですかー?!
 
             「違うよ、克巳が悪いんじゃないって…!」
 
             慌ててフォローに走ったんだけど、大声は傷に響くんだわ。
 
             「だめよぉ、まだ無理しちゃ」
 
             ミオさんに背中をさすってもらいながら、それでも説明を入れようと深呼吸を繰り返
 
             す。でもね、唇を塞ぐ細い指がそれを阻止するの。そんで、彼女特有の悪戯っぽい笑
 
             みに暗黒オーラを纏わせるって器用なことして言うんだよね。
 
             「繭が何を言っても無駄よ。あたし達怒ってるんだもの」
 
             だから、なぜっ!刺されるほど恨み買ったのは克巳じゃないでしょ?
 
             「知ってるか?嫉妬っていうのは大抵付き合ってる人間ではなく、そいつが浮気した
 
              相手に向くんだ。本当に悪いのはどっちつかずで甘い汁を吸っていた奴なのに、な」
 
             それは、克巳のことを言っているんですね…。怖いって、畑野さん。皮肉に口元を歪
 
             めるなんてサド全開な真似したら、ファンが泣くよ?!少なくともお局は…もしかし
 
             て喜ぶかな?
 
             …違う、そうじゃないんだ。くだらない想像に首を捻ってる場合じゃない、怒れるア
 
             ブノーマル様達をなんとかしないと!
 
             「あのね、誤解だからそれ…」
 
             「いいんだ、繭。殴ってもらえてすっきりした」
 
             いえ、唇の端から血を流すってべたな真似されて言われてもね…。
 
             大儀そうに体を起こした克巳は吹っ切れたように微笑むけど、2人はちっとも反応を
 
             示さない。きっちり無視して、欲しいモノはないかとかあたしに聞いて来ちゃうのね。
 
             すんごい険悪、めちゃめちゃ空気悪っ!
 
             「お願いだから話を聞いてってば、ほら、仲良くしてくれないと傷が悪化しちゃうか
 
              も…」
 
             「かわいそうに、それはこの男のせいよ」
 
             抱きついて泣き真似するのはやめて…。
 
             「もう心配はないからな。俺たちが交代で世話をする」
 
             得意満面で言わないでほしい…。
 
             「世話は克巳がしてくれるから。一緒に住んでるんだし、荷物とかいろいろ便利でし
 
              ょ?」
 
             何のどの辺が便利なのかは、言ってる本人にも不明。
 
             取り敢えず場を和ませたり取り持ったりしないといけないなーって…怪我人に気を使
 
             わせるんだから最悪の見舞客だわ。
 
             探るように伺い見て、なんだか不穏な空気を感じちゃったのは長い付き合いのせいか
 
             しらね。
 
             一瞬目配せした2人が、どっかわからないとこで同意して、無言で打ち合わせ完了?
 
             「あたしのとこに引っ越してらっしゃいな」
 
             「はあぁ?」
 
             「俺のところでも構わんぞ」
 
             「ええぇ?」
 
             いきなりまた…どうしたの。
 
             「あたしには嫉妬深いカレシなんていないから心配はないわよぉ。それに男か女かわ
 
              からない奴と住むより、女同士シェアした方が自然でしょ?」
 
             「俺だって特定の人物と付き合ってはいないから、安心だ。部屋も余っているしな」
 
             読めた、読めました。克巳の言ってたあたし達を引き離したがってる人って、両親だ
 
             だけじゃなくミオさん達も含んでたのね…。
 
             徹底的だわ、お父さんなんてもんじゃない勢いと執念を感じちゃう。
 
             直接攻撃のみならず、痛い嫌みに無視でしょ。二人して全然克巳と会話しないんだか
 
             らきっちり説得できないと退院したら家が変わってるってことになりかねない。
 
             やっかいな人達ね、もう。
 
             「引っ越しません。ミオさんも畑野さんも好きだけど、あたしは克巳といるの」
 
             少し強い口調で言い切ると、不服だと言わんばかりに眉を上げたのは畑野さん。
 
             「その理由は?1人が寂しいだけなら同居相手は誰でも構わないだろ。むしろ恋人が
 
              いない分、俺やミオの方が面倒がないと思うぞ」
 
             「替わりに身の危険を感じるでしょ、特に畑野さんなんか。朝起きて縄でグルグル巻
 
              きなんてやーよ」
 
             「じゃ、あたしは?」
 
             「ミオさんでも…いいはいいんだけど、やっぱり克巳が一番」
 
             ねって同意を求めると、彼は困った顔で笑うだけ。
 
             ちょっと、少しは味方してくれなきゃダメじゃないのよ。
 
             「恋人も作らないって、さっき約束してくれたモノ」
 
             更に話を振ると、2人からの厳しい視線も手伝ってあたしをチラリと見た克巳が素直
 
             に頷き口を開く。
 
             「俺は、繭が大切だ。…同じくらい畑野とミオも必要としてる」
 
             静かにゆっくりと言葉を紡ぐ彼は、常にない真剣な瞳で注目する一同を見回した。
 
             「女装すると落ち着くと告白した時、オヤジに殴り飛ばされて家を出ざるを得なくな
 
              った。会社勤めも性に合わなかったからついでに辞めて店を始めて、客の一号は畑
 
              野だったな?」
 
             「…ああ」
 
             過ぎた日を思い出してかふと畑野さんの目元が緩み、記憶を辿って微かに頷く。
 
             「下手な化粧と、作り馴れないカクテル、暇を持て余してるお前の愚痴を聞いたな」
 
             「そうだ、翌日には夜のお仲間を大量に連れて現れて、あれから固定客がついたんだ」
 
             聞いたことのなかった2人の出会いは、意外にシンプルでかつ深い。
 
             きっと克巳は店だけじゃなく不安だった心を畑野さんに救ってもらって、世間に親に
 
             まで否定された自分を認めることができたんだろう。
 
             交わされたたくさんの声を聞かなくても、その時の彼等の想いがわかる。流れた濃密
 
             な時間が見える。
 
             …人と違うって、とっても苦しいことだもの。
 
             「ミオは客と大げんかしたって、くだ巻いたんだよな」
 
             送られた視線にそうだったかしら、なんてとぼけてるけど、過去に微笑む彼女の横顔
 
             は綺麗で、少し切ない。
 
             「女とどこが違うのかやらせろって言われたんだったか、随分飲んで喚いて畑野と苦
 
              労して宥めたんだよな」
 
             「…若かったのよ。バカの軽口も捌けないほど、無知で純情だったんだもの」
 
             きっと同じ道を辿っている三人にだけ、通じているモノがある。
 
             今なら笑って話せて、それでも決して消えることのない痛み。苦もなく自分の性別を
 
             受け入れ、世間の枠からはみ出さずに生きていく人間では決してたどり着かない場所。
 
             勉強ができないとか、綺麗になりたいとか、努力で補えることじゃない。
 
             誰もが経験する悩みや挫折が、種類が違うってだけで白い目で見られる。
 
             「その後もなんかあるたびに騒ぎに来たんだよな、畑野とも妙に気があってカウンタ
 
              ーの常連になったけ」
 
             「居心地がよかったんですもの。店じゃ誰もが友達で家族、励ましてくれるけど詮索
 
              はしない。克巳は聞き上手だったから」
 
             「おかしな拾いモノも多かったから、退屈しなかったしな」
 
             で、みんなしてあたしを見るのはなぜよ!
 
             「他にもあるでしょ?猫とか犬とか酔っぱらいとか、えーと子供?」
 
             「部屋にまで居着いたのは繭1人だったわよぉ」
 
             「あそこに入り浸るノーマルもな」
 
             「違和感なく馴染んだからな」
 
             だからー、ちょっと前の深刻さはどこいっちゃったの。
 
             殴った人と殴られた人が和むのやめてくれないかしら?人を肴にしちゃってさ。
 
             ふくれてそっぽを向くと、一斉に笑い出した連中が代わる代わる人の頭を撫でていく。
 
             小動物にするみたいに、愛情は籠もってるけどなんかイヤ。
 
             「最初は保護者な気分だったんだけどな、いつの間にかこっちが元気もらってた」
 
             嘘ばっかり。まだ保護者じゃない、ほらその表情。
 
             「めげないのよね、繭は。何度玉砕しても無駄に足掻くし」
 
             ひどい。優しく抱きしめられたって、発言にバカにされてるからチャラ!
 
             「騙されても懲りずに信用するからな」
 
             全く褒めてないじゃない!
 
             「本題からずれてるわよ。あたしのことはいいでしょーに」
 
             早いとこ引っ越しの話にもどんなさいよね。…あ、うやむやにできるチャンスだった
 
             のかな?おやぁ?
 
             「いや、これが本題だよ。俺にとっては繭がいてミオがいて畑野がいる、それが全て
 
              だって話だから」
 
             そう言うと克巳は随分和んだ空気に頭を下げた。
 
             「悪かった、2度と繭を傷つけない。だから連れていかないでくれ。1人でいられな
 
              いのは俺の方なんだ。誰でも受け入れるような顔をして、その実懐に入れた人間に
 
              しか心を許せない。繭を抱きしめながらこいつの温もりに縋っていたのは俺だから」
 
             まさか、と否定する声に、そうね、と肯定する自分がいる。
 
             不安定な心に寄り添う克巳は、包み込みながら欲していたと知っているから。奪いな
 
             がら与え合う体温で、1人じゃないと確認してたのはきっと同じ。
 
             見ないふりで甘えていたのは、それこそあたしの弱さ。誰かをいだけるほどの強さを、
 
             この腕は持っていないと信じていたかったの。傷つくことの怖さを知っているから、
 
             踏み出して大人になるのを拒んでいたの。
 
             「あたしも…あたしも強くなるよ。みんなに甘えて逃げるのは楽だったけど、今のま
 
              まじゃ一生誰とも抱き合えない。思い出してその…最中に吐きそうなっても、大丈
 
              夫って言ってもらえるの知ってるから変わらないでいられたの。でも、それじゃダ
 
              メなんだよね。永遠にこのままでいられるわけじゃない」
 
             問題だって片づいてるんだもの、一歩踏み出さなきゃ。
 
             「あたしはずっとこのままでいたいわよぉ」
 
             可愛らしく小首を傾げたミオさんは、下げられていた克巳の顎を持ち上げると笑みを
 
             漏らした。
 
             「克巳ちゃんはあたし達と離れられなくて、繭と一緒に暮らしたいのね?」
 
             「ああ」
 
             「繭は、あたし達を切り捨ててまで変わりたいの?」
   
             「えっ?!違う、そうじゃない!」
 
             振り向いた微笑みに慌てて首を振ると、畑野さんが動くなと頬に指を這わせる。
 
             「繭が欲しているのは心の強さ、だろ?」
 
             交わる視線に思いっきり肯定の光りをぶつけて、アイコンタクト。
 
             もちろんわかってくれてる彼にはそれで充分で、ポンと頭に置かれた手のひらで味方
 
             のいることに息をつく。
 
             眺めていたミオさんもわかっててやったらしい意地悪に表情を和ませて、それなら、
 
             と続けた。
 
             「4人で一緒に住んじゃえばいいのよ」
 
             …は?
 
             「マンションを買うのもいいな」
 
             買う?
 
             「あら、郊外の一軒家もいいわよ」
 
             もしもし?
 
             「…仕事場から近い方がいい」
 
             か、克巳まで…
 
             「「「繭はどうしたい?」」」
 
             「あたしー??」
 
             最終決定はあたしなの?ってか、どうしていきなりそんな話に?
 
             混乱するのをよそに、返事を待つ3対の瞳。
 
             同居人が増えるの…まぁみんな好きだしいいんだけど、いやいや、これ友情とか越え
 
             ちゃって運命共同体みたいになってない?
 
             「あ…の、一緒にいたりなんかしたらもっと甘えてダメなんじゃないかなー…」
 
             「厳しく接するから大丈夫だ」
 
             は、畑野さんの『厳しい』は、ちょっと怖い…。
 
             「変わるのは結構だけど、トンビに油揚げはいやなの」
 
             …どんな意味…?同居と関係あるの…?
 
             「にぎやかでいいぞ」
 
             克巳、壊れた?
 
             「…わかった、いいよ、みんな一緒にいよう」
 
             どうしたって諦めそうもないし、これまでだって泊まってくとこが多かったんだもの、
 
             かわんないわよ、もう。
 
             許可を得て、いそいそと手筈を整える相談をする人々をよそに、自分が怪我人だと思
 
             い出したのは遅すぎるかも知れない。
 
             どっと疲労が押し寄せてきたわ…。
 
 
 
だーくへぶん  だーくのべる  
 
 
           長い…ですね。                                 
               なんか切れなかった。しかも無理矢理終わってるし。
 
 
 
             
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