12.
 
             目蓋がやけに重い。喉も痛いし、お腹も痛い。どこもかしこも軋みを上げそうに痛む
 
             のに、唯一指先だけが温かくて、理由を知りたくて、苦労しながら目を開けた。
 
             ぼやける視界に真っ白な天井、緩慢な動作で首を巡らせると握り込んだあたしの手に
 
             顔を押しつけて俯く克巳がいる。
 
             「…か…」
 
             掠れてはっきりと音をなさない呟きだったのに、弾かれるように顔を上げた彼は暗い
 
             その瞳を真っ直ぐこちらに向けてきた。
 
             「繭っ!…繭…」
 
             克巳…泣いてた?
 
             淡い日の光に照らされた頬が光って、宝石を思わせる雫が後から後から止めどなく流
 
             れて落ちる。
 
             …変なの、いつもみたいにドジって怒ればいいのに。笑って抱きしめてくれればいい
 
             のに。
 
             「あ……み・ず…」
 
             乾いて張り付いた喉じゃ声が出せないと、潤いを求めた。がさがさの唇も動かすたび
 
             に引きつれてちっとも用をなさないんだもん。
 
             「ん、待ってろ。看護婦さん呼ぶから…」
 
             盛りだくさんのコードをかき分けて克巳がナースコールかけるのを脇目に、力が入ら
 
             ない手で痛みの元を探ってみた。
 
             厚く巻かれた布地の下に、ずきずき痛む傷がある。…あたし、刺されたよね?でも、
 
             生きてる。
 
             沸き上がる安堵に悠長に浸る暇もなく、やってきたお医者さんと看護婦さんにあちこ
 
             ちいじり回されて、お情け程度に口を湿らせてもらうとようやく人心地つけた。
 
             診察の合間どこかに消えていた克巳が退出する彼等と入れ替わりに入ってきて、長時
 
             間会話するのはやめるよう釘を刺されて。
 
             大丈夫なのに、どのくらい眠ってたか知らないけどやたらすっきり目覚めちゃってる
 
             もん。どっちかって言うと、今の診察でダメージ受けたわ…触るなら、加減して欲し
 
             いわよね。
 
             「お父さんとお母さんに連絡した。すぐ見えるそうだ」
 
             「…すぐって、どこから来るの?」
 
             家の田舎片道4時間かかるんだけど…イヤな予感。
 
             「あたしどのくらい眠ってた?」
 
             傍らに腰を下ろして、そっと頬に触れる克巳は笑うこともせず口を開く。
 
             「丸三日。ご両親は近くのホテルに泊まってる」
 
             うわー、そんなに。うーん、でもそっか。一瞬自分でも死ぬかな、って思ったし、案
 
             外重傷だったのね。
 
             でも、そんなことより気になるのは彼の暗い顔。いつもの自信もでっかい態度もナリ
 
             を潜めて、静かに震える指であたしの存在を確かめるように触れる、仕草。
 
             「なんて顔してるのよ」
 
             「……俺の、せいだ」
 
             それ、犯人があの彼だから?だから、泣いてた?
 
             「違うわよ。克巳のベッドにあたしが寝てたから起こった事じゃない。あんな場面み
 
              て冷静な恋人はいないでしょ、恨まれて当然…ちょっと過激だけど」
 
             おどけて笑って、痛みに呻くのはお馬鹿だからなのに、そんな心配性のお母さんみた
 
             いな顔して。
 
             「アイツは恋人じゃねえよ。人肌恋しい時に利用しただけだ。俺の不徳がお前に怪我
 
              をさせた。予告されてたのに、なんの注意も払わなかった」
 
             「あらら、結構律儀な子だったのね」
 
             克巳に喋らせとくと空気が限りなく重くなっちゃうから、チャチャを入れて場を取り
 
             持つんだけどねぇ、どうやら自己批判奈落の底状態な彼は表情崩しもしないんだもん。
 
             やんなっちゃう。
 
             「…起こったことをぐだぐだ言ったところで、あたしの怪我が無くなるわけでも、彼
 
              の罪が消えるわけでもないでしょ。先に立たない後悔して、克巳はどうしようって
 
              言うの?」
 
             いい考えがあるなら聞かせて頂戴って睨むように視線をやると、目覚めてから初めて
 
             彼が苦笑めいた微笑みを唇に乗せた。
 
             「一緒に住むのやめるか?友人関係もキレイさっぱり解消して、赤の他人に戻るんだ」
 
             「…」
 
             体に力が入らないのが口惜しくてしょうがない。情けなくって涙が出るわよ。自由に
 
             動けたら、ぶん殴ってやるのに。
 
             怒り狂ってるあたしに優しい指先が触れているのが許せない、諦めたセリフを吐きな
 
             がら縋るような瞳を向けるのに腹が立つ。
 
             「あたしを試してるの?できるわけ無いって泣いて縋るの待ってる?冗談じゃないわ、
 
              どっちもお断り。克巳が一緒に暮らしたくないならミオさんとこに行く、畑野さん
 
              だって置いてくれるだろうから気にしないで。縁を切りたいなら今すぐ出てってよ、
 
              他人に面倒見てもらわなくたって、困んないんだから!」
 
             怪我人に長セリフ喋らすんじゃない。怒鳴ったりしたから傷は痛むし、くだらない話
 
             聞いたから胸は痛むし、ホントに涙が出てきて止まらないし、克巳はあたしの傷が悪
 
             化すればいいと思ってるんじゃないの?
 
             でも、動かないの。一世一代の人の啖呵を全然無視で涙なんか拭っちゃって、複雑に
 
             歪んだ顔でじっと見つめて。
 
             「…なくしたく、ないんだ。繭をこんな目に遭わせたくせに失いたくない。エゴだと
 
              わかっても縛り付けておきたい、ワガママだな」
 
             「人間なんてみんな、エゴの塊でしょ」
 
             全てを望むのは本能で、自己犠牲なんて高尚なものは悟りきった老人に任せておけば
 
             いい。
 
             自由にならない指先でなんとか克巳の袖口を捕らえると、大きな手がそっと手のひら
 
             を包み込んだ。
 
             「なあ、どこにも行くなよ。いつでも俺の腕の中にいろ。約束が欲しけりゃ結婚して
 
              もいい、仕事やめて店を手伝ってもいい、二度と繭を傷つけさせたりしないから、
 
              捨てないでくれ」
 
             不安に揺れる心の内を吐露する克巳には、きっと重なる記憶があるのかも知れない。
 
             大切な人に捨てられた過去とか、失った想いとか。自分の持ってるカードを全部使っ
 
             て、あたしを引き留めなきゃいけない理由が。
 
             でも、知りたくないわ。同情で傍にいると思われたくはないから。
 
             「捨てようとしたのは克巳じゃない。あたしは何一つ手放す気はないわ。克巳もミオ
 
              さんも畑野さんも、仕事、家、生活、今ある全てはあたしのモノ。」
 
             ニヤリとしばし呆然な顔に視線をやると、繋いだ手に力を込めた。
 
             「逃げようたって、逃がさないわよ」
 
             「…逃げねえよ」
 
             ようやく笑みに唇を上げた克巳は、乱暴にあたしの髪をかき混ぜる。
 
             照れ隠しか、照れ隠しなんだろうな…。うん。
 
             「覚悟しとけよ、これから来る連中はお前と俺を引き離そうと必死だからな…」
 
             せっかく丸く収めたってのに、随分不吉な予言をするわね。
 
             訝しんだあたしに答えをくれる人々は、すぐそこ、廊下のはじっこまで来てると後で
 
             知る。
 
             弱みにつけ込んで、彼に抱いて逃げてもらうんだった…。
 
 
 
だーくへぶん  だーくのべる  
 
 
           いや、なんとか収まった…つか、収めた?                     
               さて、誰が来るんだろうね、ふふふ。      
 
 
 
             
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