11.
 
             野次馬を押しのけた克巳の前に、タンカに乗せられた繭の姿が飛び込む。
 
             「繭!!」
 
             顔色は青白く、呼びかけにも反応は示さない。人形のようにただ横たわる彼女の腹部
 
             は、かけられた毛布での上からもわかる奇妙な膨らみがあった。
 
             「身内の方ですか?」
 
             慌ただしく救急車に運び入れられる繭に駆け寄ろうとした行く手を、事務的な隊員に
 
             押しとどめられ、いらだった克巳は叫び声を上げる。
 
             「そうだよ!!繭に、アイツに会わせてくれ!」
 
             「落ち着いて、状況を説明しますから一緒に乗って下さい」
 
             言われるまでもなかった。邪魔なハイヒールで転げるように駆け込むと、震える指で
 
             血の気の失せた唇に頬に触れていく。
 
             (…温かい…まだ、生きてる…)
 
             けれど、伏せられた瞳が目蓋を上げることはなく、僅かな声も漏れてはこない。
 
             「繭…繭、目を開けろよ、大丈夫だって言えよ…」
 
             頼むから、と縋り付いた体を背後から伸びた腕が押しとどめて引き戻す。
 
             「腹部に凶器が刺さったままです。下手に触ると患部を広げる可能性がありますから、
 
              気をつけて」
 
             淡々と事実を告げる声に、僅かに理性が戻った克巳は力なく落ちた手のひらを握りし
 
             め、隊員を振り返った。
 
             「大丈夫、なんですか?彼女は、助かる?」
 
             「まだ何とも言えません。…脈が弱く、失血性のショック症状を起こしかけている。
 
              医者ではないのではっきりした判断を下すことはできませんが、一刻の猶予も惜し
 
              い」
 
             緊迫を物語る硬い表情に事態の深刻さを知らされるが、克巳の霞んだ脳はどこか冷め
 
             て、悪夢のような現実を受け入れることができずにいる。
 
             「大丈夫、大丈夫だよ。繭は死んだりしない、すぐにまた笑うんだ」
 
             それっきり静かになった車内は、病院へ着くまでの短い時間を克巳に感じさせること
 
             もせず、次に彼が正気づく頃には滲んだ赤いランプが視界を占めていた。
 
             −−手術中−−
 
             記憶の片隅で、喧噪の中運び去られる繭の姿が揺れている。引き離されて、狂ったよ
 
             うに喚く自分を宥める看護婦はなんと言ったか。
 
             『ナイフを抜くき、傷ついた内臓を処置するために手術します』
 
             書類を渡された気がする、いくつかの質問にも答えはしなかったか?どれも自分がし
 
             たことだというのに、曖昧で現実味がない。
 
             「すみません、付き添ってきた方ですね?」
 
             事務的にかけられた声に顔を上げると、スーツ姿の男が克巳を見下ろしていた。その
 
             後ろにも数人の男がいる。
 
             「はい…」
 
             訝しむ必要はなかった。人1人が刺されれば刑事事件になる、警察が事情を聞こうと
 
             病院に現れて、なんの不思議があるだろう。
 
             乱れた髪を掻き上げて、クリアになった視界で周囲を見渡せば喧噪も忙しく行き交う
 
             人も見えてくる。
 
             「携帯に電話をもらいました。時間は…覚えてません。着信記録を見て下さい」
 
             持ったままだった小さな機械を差し出すと、無言で重みが消えていく。
 
             「刺された、と言っていました。すぐに救急車を呼んで、マンションについた時には
 
              彼女は運び出された後だったので現場は見ていません」
 
             「…犯人に心当たりはありますか?」
 
             問いかけに頷いて、克巳は最後に見たユタカの顔を脳裏に描く。
 
             涙でぐしゃぐしゃになった表情の中、目だけが異常に輝いていた。懇願と罵りを交互
 
             に叫びながら、繭を許さないと捨てぜりふを残して消えた男。
 
             せいぜい姑息な嫌がらせでも考えつく程度だろうと、タカをくくっていた。油断して
 
             繭にも気をつけろと促すことをしなかった。
 
             だから、刺されたと聞いて自分を呪ったのだ。心臓が破れそうなほど走りながら、己
 
             の迂闊さを責めた。
 
             「その中に、ユタカの番号があります。住所は確か…世田谷だと、すみませんこれ以
 
              上は知らないんです」
 
             付き合う相手に興味はない。克巳の世界は繭と2人の友人だけで構成されている。
 
             知り合いに多くは求めない、抱き合うだけの相手に生活圏を侵されるのは不快だ。
 
             大切なものだけで、満たされていればいい。それが繭を傷つけた。
 
             「…わかりました。番号から人物は特定できると思います。ご協力ありがとうござい
 
              ました」
 
             小声で囁き合いながら去っていく後ろ姿を見送って、気づく。
 
             (ミオと畑野に連絡を…)
 
             携帯を失っては連絡手段がない。職場なら電話帳に出ているだろうか。
 
             立ち上がろうとして、指に触れたバックが見慣れたものだと認識した。
 
             誰かが克巳に預けたであろう、繭の持ち物は探ると血痕の付着した携帯を見つけるこ
 
             とができる。
 
             赤黒く染まったそれを、一瞬握りしめて克巳はアドレスから畑野の番号をコールした。
 
             『…繭?どうした』
 
             聞き慣れた低い声に押さえていたモノが噴き出す。熱く、素早く全身を駆けめぐるマ
 
             グマに焼かれながら、彼は震える声を絞り出した。
 
             「畑野…繭が刺された…」
 
             嗚咽混じりの告白を、彼は黙って聞いていた。
 
 
 
だーくへぶん  だーくのべる  
 
 
           せっかくの克巳サイドなのに、恐ろしく暗い。そんでヤな奴だぞ、克巳。       
               繭が話せるのは次回からですな。        
 
 
 
             
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