6.

3人残ったテーブルは、てんでバラバラのおかしな空気が流れていた。
ご機嫌な、女。
不機嫌な、男。
読めない、男。
「畑野さんは、なんのお仕事なさってるんですか?」
「繭との関係を質すのに、俺の仕事が関係あるとは思えんな」
「あら、友人の将来がかかってるんですから、関係ありますよ」
「余計なお世話だ。俺と彼女が愛し合ってること以外、第三者が知る必要はない」
「隠さなくっても披露宴をなさるならそこで知れることではありません?」
「自分が招待されるつもりでいるとは、厚かましい」
「繭ちゃんをこんなに心配している私が、呼ばれないわけ無いじゃないですか」
「自己中心的思考もそこまでいくと、返す言葉を失うな」
毒舌家と、それを聞き流し己のペースに持ち込もうとするめげない人間同士では、会話は成立しても意思の疎通は望めない。
「畑野さんて、女性の扱いがひどいって言われません?」
あれほど邪険にあしらわれても全く意に介すことなく、上目遣いの色仕掛けモードでいることが証拠だろう。
畑野が隠すことなく顔を顰めようと、これ見よがしに舌打ちしようと、五月は少しも気にした様子がないのだから。
「言われるわけがない。加減なく攻撃するのは嫌悪対象にだけだ」
「え〜そんな可哀相な人、いるんですか?」
にっこり、はぐらかして笑う彼女は、いい加減畑野の纏う空気が黒く染まっても見ないふりで。
大した強心臓だが、いささか芳しくない成り行きになってきたではないか。
「…おい、どうするんだこのバカ」
聞こえよがしに克己に問う姿に、冷静沈着が売りの彼の苛立ちが覗く。
「俺に聞くなよ。縛って吊してみちゃどうだ」
だがしかし、傍観者には実害がないものだから茶化して返しすと、
「本気でやるぞ」
睨んできた目がいつにない冷酷な光を帯びていたから、克己は潮時かとため息をついた。
おもしろいから、もうしばらく眺めていたかったのに、これ以上は己の身が危険にさらされそうだ。
やはり繭の人生を数年影に押しやっただけあって、この女、強者である。
畑野がこれほど感情を露わにするのは希なことであり、諦めない精神構造も不快を通り越して興味深い。
是非一度、頭を開いて中身を見せて頂きたいものだ。
「悪いんだがおかしなパフォーマンスをやめてもらわないと、こいつが火、吹きそうなんだけど」
始めから喧嘩腰では畑野の二の舞になる。けれど友好関係を築きたいとも思わないから、穏便にを心がけて克己は五月に笑顔を向けた。
さて、出会ってからこれまでの言動、行動が彼女の目的を露呈させているとすれば、この先自分と畑野は横取り対象として狙われることとなる。
遙か昔に連絡が途絶えた友人にそんな仕打ちをしてなんの意味があるのかわからないが、五月は盲目的に計画を実行しようとしているから少々付き合ってみるのも一興かも知れない。
「パフォーマンスが何を指すのかわかりませんけど、畑野さんが私に敵意を持つのやめて下さればスムーズに会話出来ますよ」
無邪気にこんな事を言わなければ、きっと克己は人生を斜めに見る常のまま彼女の言動を行動を楽しんだと思う。
なのに、
「だって私はお2人と仲良くしたいんですもの」
と、舌なめずりする蛇を思わせる顔を覗かせてしまったからまずかった。
すっと茶化す表情を消した克己は、どこからこの謂われのない自信が来るのかと冷徹な視線で五月の全身を睨め回す。
容姿は十人並みより少々上で、本人が意識して作っているシナ(・・)は気味が悪いとしか思えない。
妖艶な毒婦をイメージしているようだが、どうみても都合良くやらせてくれる女にしか見えず、騙されるのは誠レベルの程度の低い男だけだろう。
一度うまくいって、味でも占めたのだろうか?だから今度も成功すると?
恐いもの知らずだな。
口角を皮肉に上げた克己は、彼の本心すら読めない愚かな女がどうやって彼等の注意を自分に向けるのか再び萎えた好奇心が沸き起こるのを感じた。
「…仲良くして、どうするんだ。友達のダンナと友好関係を結んでも、いいことないぞ」
「あら、家族ぐるみでお付き合いって、素敵じゃないですか」
撒いた餌に食い付いた証拠は、面白みのない一般的に過ぎる返事で僅かでも五月の意図が覗いているとは思えない。
「そりゃ、あんたにもダンナがいた場合にはな。独り者が夫婦と、特にダンナと仲良くなった日には目も当てられない悲惨な出来事になること請け合いだぜ」
ならばと、一笑に付してみればしてやったりと彼女は真意を含む反撃に出た。
「下世話なこと言わないで下さい。私は単純に友情の話をしてるんですから。どちらかといえば繭ちゃんとあなた、さっきの女性の方が余程危うい関係なんじゃないですか?」
朗らかな声とは違い探る色を宿した瞳が、克己にはひどく不快だった。
他人の裏を見極められるほど経験も感性もないくせに。
流し見た畑野も跳ね上げた眉だけで彼と同じ苛立ちを伝えて、僅か頷く。
「でも、そうね…繭ちゃんなら何をしてもおかしくないものね」
ところがそこで五月の全てが一変した。
意地悪い笑みを刷いた唇が悲しげに、彼等の怒りを煽っていた瞳は憂いが陰りを落とし、つんと上向いていた顎は伏せた目線に同調して儚い彼女の憐れを演出する。
「あの子は、いつも、私の好きになる人を…取っちゃうんだもの」
何故と、変化を尋ねることも憚られる沈んだ空気を振るわせ、落ちる毒。
頭ごなしの否定を許さない本気の響きがあったから、あり得ることではないとわかりながら彼等は耳を傾けてしまった。
強かな彼女の、密やかな武器に。
「応援してるって言うくせに、こっそり先回りして、私が告白すると決まって言われるの『ごめん、僕が好きなのは君の友達なんだ』って」
淡々とした大げさに過ぎない口調がかえって言葉に真実味を持たせ…いや、真実であると確信させる。
だが長く一緒にいるが繭からそんなことを聞いたことはないし、なにより彼女を知っている彼等にはそこに幾ばくかの嘘が含まれている確信をも同時にさせた。
「…それで?仕返しに片思いの相手を取ったのか」
荒れていた感情をきれいに収めて畑野が尋ねる声は、悪魔からでも答えを引き出せそうなほど静かで柔らかい。
僅か前まで自分を天敵のように攻撃してきた男の豹変ぶりに一瞬考え込む表情を見せた五月だが、すぐにあの憂い顔のまま答え始めた。
「違います。私だって…誠君のこと好きだったの。でも、繭ちゃんはずっと彼を思ってたから言い出せなくて…」
克己も畑野も相づち1つ打たず、ただ次の言葉を待つ。五月が差し出す想いを受け取り、冷静に判じる為に。
「思い切って告白したわ。繭ちゃんに黙って言ったのは卑怯だと思うけど、彼を欲しいって気持ちは負けてなかったもの」
決然と彼等を見据える顔は、目を奪われるほど凛として瞬時に2人に理解を落とした。
五月に男が惑うのは、この表情だ。
奪うほど好きだったのだと深すぎる情熱を吐露する姿に、怯えるくせに惹かれる。今その感情の幾ばくかでも自分に向けられていると思うと、優越感が刺激される愚かさが確かに男にはあるのだ。
もちろん、気味の悪さしか感じない2人だってここにいるが。
「そうまでして手に入れた奴は、すぐに手放すほど価値がなかったか?」
他者を惹きつける輝きには僅かながらも愛が覗いていたと、見逃すことの無かった畑野が向けた誘い水に一瞬顔色を無くした五月は、けれどすぐに心の奥を隠す笑みで覆い隠してしまう。
「やだ、私が振られたんですよ」
完璧すぎる笑顔が、かえって不自然だとは気づかないまま。
「繭からかすめ取るくらい好きだったなら、しがみついても逃がさなきゃよかったじゃないか」
「あの男だってアンタを抱いたんだ、それを武器に引き留めることだってできただろ」
「できなかったのよっ!」
畳み掛けたのは綻んだ感情を一気に決壊させる為。意図して2人が仕掛けた罠だというのに誤魔化すことも回避することもできないほど高ぶっていた彼女の感情はあっけなく崩れる。
「好きだって言ったくせに、繭ちゃんに無視されるようになってすぐやっぱり付き合えないって振られたのよ。みんな…私の周りにいる男はみんな、どうして繭ばかりを好きになるの?!」
悔しげに唇を噛み、たぶらかそうとした男達を激しく睨み付けて、絞り出した声はきっと何年もわだかまっていた叫び。
堰を切って溢れ出したのは言葉だけでなく、彼女の頬を涙が落ちていく。それは、驚くほどきれいに。
「ちょっとでもあの子と話すと一緒にいた私のことなんて忘れて『彼女の名前は?紹介して』って。繭はずっと誠君だけで、他の人なんか見えてないって教えても聞いてもくれない」
「…あれは、可愛いからな」
珍しく唇が緩んだのは畑野貢、一生の不覚と言うところか。見とがめた克己の背に思わずムチをいれたくなったのは、ご愛敬だ。
ただ、この不用意な一言は、焼け始めた五月の心に多量の油を注いだ。
「同じ事、言うのね。大抵の男は私を選んでくれるのに、先輩も木谷君も、あなたも!」
聞いたことのない名前の誰かがきっと五月を傷つけて、ひいてはそれが繭を苦しめて、だが。
「見る目のある男が好きだってことだろ?あんたも女として性能のいい目をしてるってことだ、喜べ」
「そうそ。選ぶんならバカより賢い方がいいんだぞ」
自信家の彼等は宥めるより褒めた。
いい男を好きになれてよかったなとばかりに、それは自己愛満タンの戦意を削ぐ見事なゆるみ具合なのだ。
こっそり五月をコケにしたことは無かったフリで。
「…なによ、それ」
呆れと驚きと僅かな怒りと、すっかり涙の引っ込んだ五月はマジマジと異種族に見える男達を眺める。
「だから、作り込んだあんたじゃなく繭の可愛さに目の行く男はいい男だって事だ」
「ついでにそういういい男ばかり見つけ出せるあんたが、なんで誠を好きになったんだと思ってるってこと」
「え…?」
「あの男は、だめだろう」
「だめだな、アホだからな」
「そんなことないわ!」
しみじみ頷き合う2人に噛みつく勢いで立ち上がった五月は、そのまま必死に誠の弁護を始めた。
「誠君は優しいのよ?男らしいし、あと、えっと…」
残念ながらあっという間にトーンダウンしてしまったが、けれど畑野や克己にとってそれは大した問題ではなく。
計画的に導いた彼女の答えがとても予想通りで、彼等の満足いくものだったから顔から意地の悪さが消えている。
「好意の理由など、並べ立てる必要はない」
ミオの良さはすぐには言えないぞと、本人がいたら殴り倒されそうなセリフをサラリと零して畑野は笑んだ。
「欠点だらけでも、好きなんだからしょうがないよな」
昔は繭も好きだったくらいだからさ、と苦笑が克己を占める。
「振られてもなにかしら理由をつけて傍にいるほど、忘れられないんだろ?」
「ええ」
「繭に復讐したいわけでも、まして俺たちが欲しいわけでもない。誠が自分をもう一度見てくれたら、それだけが望みだな」
「そうよ」
「それならなんとかなるかもしれんな」
「ま、唐変木だから、あいつ」
勝手に納得され合っても、1人蚊帳の外にいる五月には全く意味がわからないのだけれど。
「とにかく、あっちと合流するか」
「そうだな」
なにやら計画を練ってしまったらしい2人に連れられて、彼女はレストランを後にした。


闇トップ  ぷちへぶん  闇小説  



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送