それを奇跡と人は言う。     
 
 
             騙された、と思った時は遅く、目の前に広がる華美な世界にため息をついた。
 
             『すばらしいバラ園があるんだ』言葉巧みな口車に乗って、送り込まれた先は、
 
             鈴原邸。そう、あの彼女の自宅である。
 
             確かに手入れの行き届いたバラ達は、冬枯れの今も温室を甘い香りで満たして
 
             いる。発色、花ぶり、どれをとっても一見の価値は十二分にある素晴らしさだ
 
             …が、
 
             『ご招待申し上げたのは、大嗣さんですけれど?』
 
             開口一番、ヒカル嬢の氷の眼差しと高飛車な物言いに耐えてまでかと問われれ
 
             ば甚だ疑問であった。
 
             兄の名代だと返答したのを鼻で笑い、以後一切将彦を見ようとしないホステス
 
             が、身分制度が暗黙のうちに残る社会にいるだろうか?いや、そうでなくとも
 
             ゲストをないがしろにするなど許されることではない、常識として。
 
             「やはり、暗殺者を雇ってしまおうか…」
 
             優雅なフェミニストを自認する彼にしては物騒な呟きだが、腹に据えかねる扱
 
             いを受けた近衛家のメンバとしては甘い対応である。
 
             これが大嗣であれば、
 
             「不愉快だ」
 
             の一言で切り捨て即退場したであろうし、隆人ならば、
 
             「僕もお邪魔するつもりはさらさらありませんでしたが、これも仕事の一環と
 
              思えば仕方ないんですよ」
 
             なんて笑顔で毒を吐いたことだろう。
 
             …まぁ奴が大嗣ごときに易々と騙されることなど、天地がひっくり返ってもあ
 
             ると思えないが。
 
             そんな訳で、日本中が浮かれ立つクリスマス・イブにすっかり沈み込んだ将彦
 
             は誰もいないのをいいことによろしくない言葉を吐いてしまったのである。
 
             「アンサツシャってなあに?」
 
             小さな傍観者がいるとは知らず。
 
             「誰だい?」
 
             幼い響きを残す声や内容から相手は子供で、しかも女の子であるとわかるから
 
             彼は柔らかに問いかけた。
 
             おおかた大人だらけのパーティーに退屈し好奇心の赴くまま温室に踏み入った
 
             のであろう。むやみに探せば怯えさせるかも知れないと、動くことをせず彼女
 
             が目の前に現れるのを待つ。
 
             花々が作る幻想的な空気の中静かに時は流れ、やがて将彦の背後で軽やかな靴
 
             音が響いた。
 
             「鈴原杏です。…立ち聞きしてごめんなさい」
 
             ファーをふんだんにあしらった純白のワンピースと、背中に天使を模したので
 
             あろう小さな羽、彼の胸ほどの大きさしかない少女は、思わず見とれるほど可
 
             愛かった。
 
             転げ落ちそうに大きい黒曜の瞳、淡いピンクの唇、抜けるように白い肌を長い
 
             黒髪が縁取り、少々怯えている姿もまたよろしい。
 
             世の男なら間違いなく『後10年したらお近づきになりたい』と思うところだ
 
             が、そこは将彦ひと味違う。
 
             「プリンセス・スノーホワイトといった風情だねぇ」
 
             片膝を折り視線を杏に合わせると、にこり。取り上げた小さな手の甲に、軽く
 
             口づけまで落として見せた。
 
             時と場合、相手によっちゃ確実にパンチを浴びる。例えば可愛くない弟の過激
 
             に元気な連れ合いとか、主従関係も立場も全く考慮に入れていない最強家政婦
 
             とか…。
 
             まぁそこまでではなくとも、彼の華麗かつ演出過多な行動は大抵の女性が拒絶
 
             反応を示すのであって、今目の前で浮かべられているような笑みなど決しても
 
             らえたりはしない。
 
             「ありがとう。お兄さんも、カッコ良い」
 
             はにかんでうっすら頬を染めて、あまつさえ褒め言葉までなんて過分なお計ら
 
             いであるのだ。
 
             …そうそう、こう言うと将彦がただのお馬鹿さんのようなのでフォローも入れ
 
             なくてはいけない。
 
             彼は確かに頭がよろしくない、と思われている。けれど決してバカではないの
 
             だ。現に将彦は某有名国立大学の卒業証書を持っているし、血族経営とはいえ
 
             実力を重んじる近衛の会社の中で立派に役職を勤め上げてるんだから、その辺
 
             りは推して知るべきである。
 
             ただ、人並み以下の努力で経営者として知識を身につけてしまった大嗣や、ほ
 
             とんど全く努力をせず軽やかに世渡りを楽しむ隆人と比べたら、できがよろし
 
             くない、ということなのだ。
 
             世間一般のレベルで見れば将彦のスキルは平均より上、頭のできだって人より
 
             少々良いって辺りにランクされるし、容姿は遙かに人並みを凌ぐ、をふまえて。
 
             話は戻る。
 
             「おや、嬉しいことを言ってくれるレディだ」
 
             大輪のバラにも負けないとびきり豪華な微笑みと、万国共通女性にはいつでも
 
             最上級の扱いを、を年齢問わずに実践する将彦は聖夜限定の幻か、果てしなく
 
             ジェントルでうっとりするほどスマートだった。
 
             少女の指先を取り隅に置かれた白いテーブルまでエスコートの上、イスを引い
 
             て着座を手伝う。パーフェクトなマナー。
 
             …素でサラリとこれをこなせるのは、ある意味将彦の才能だと言えるだろう。
 
             「なぜだか最近の僕は存在そのものを否定されることまであってねぇ、君のよ
 
              うに素直に褒めてくれる人といられると、心が和む」
 
             いや、いやいやいやいや、いや!子供相手に間違いだらけの発言であると、誰
 
             かたしなめる人間はいないのか!流し目も高校生以下の異性に発動するのは厳
 
             禁であると諭す倫理ある大人は…現在、存在していない。
 
             野放しの天然たらしは、同年代の女性には鼻で笑われるくさい殺し文句で、
 
             「お兄さん、キラキラしてる…」
 
             年端もいかない女の子を虜にしてしまった…年端もいかないから、虜にできた
 
             のか…?
 
             ともかく、大きな黒目に星が浮かびそうなその様は、視線を絡めてしまった将
 
             彦の心臓を強く躍らせた。
 
             おや?これは…
 
             誰にだって経験がある感覚で、スタート。これが進むと視界にピンクの霞がか
 
             かったり、相手の行動全てが可愛く見えたりと、のっぴきならない量のアドレ
 
             ナリンに操られて自分が自分でなくなったりする。
 
             コ・イ
 
             大変素敵な言葉ではあるが、今自覚したくない言葉ナンバーワン、でもあった。
 
             そもそも、このお嬢さんはおいくつなので?大人びた表情で熱く情熱的な瞳を
 
             送って頂いているようだが、全く不釣り合いなのでは?
 
             「…時に、女性に失礼だとは思うのだが年を教えてはもらえないだろうか?あ
 
              あ、自分のことを何一つ言っていないのはいけないね。僕は近衛将彦、27
 
              歳だ」
 
             背筋を流れる汗を無視して、じわりとわき起こる焦燥感など微塵も出さない。
 
             厚い面の皮でかろうじて平常心を装っても、内心は小心な子供より動揺してい
 
             て。
 
             「はい、将彦さん♪12歳で、来年中学生になります」
 
             そうか、若いと年を聞かれても怒らないのだったな。
 
             などと現実逃避してみても、無駄、だった。小学生よりはましだけれど、中学
 
             生だって大して変わらない。
 
             27−12=15歳。犯罪であること間違いない年齢差だが、抗えないではな
 
             いか、さっき首をかしげて答える少女の後ろに舞い散る花びらの幻想を見てし
 
             まったのだから。
 
             病は、進行してしまった。
 
             「そう、では今から無理なお願いをしよう」
 
             覚悟を決めた将彦の勝負強さ、知る者は少ない。
 
             テーブルを回り込み、肌に吸い付く手触りを僅か楽しんだ後深紅のバラから花
 
             びらを一枚引き抜いた。
 
             花を愛す彼は大切な場面だとわかっていても、彼らを傷つけることはできない
 
             から、いつかは散り落ちてゆく花弁を分けてもらうことで精一杯。
 
             「杏さん」
 
             再び跪き、視線を絡めたまま真っ赤な花びらに口付ける。
 
             「ずいぶんと年上のおじさんですけれど、よろしければお付き合いして頂けま
 
              せんか?…結婚を前提で」
 
             咲き誇るバラより可憐に頬を染めた彼女に差し出したベルベットは、躊躇もな
 
             く彼の指先から消えた。
 
             「はい。お願いします」
 
             効果的な衣装も手伝って、その瞬間将彦には彼女が今夜にふさわしい姿に変じ
 
             たように見え。
 
             「君は、名前も姿も、天使のようだね」
 
             本当にこれは、聖夜の奇跡としか思えない出来事。
 
 
 
             後日−。
 
             「…お前、バカだバカだと思っていたが、本物だな」
 
             「いやだな、今更。将彦兄さんは真性でしょ」
 
             辛辣、悪辣、激辛口。理不尽とも思えるこの扱いに彼がただひたすらに耐える
 
             がちゃんとある。
 
             「なんでよりによって鈴原ヒカルの妹なんだ」
 
             「フルネームまで聞いたのに、どうしようもないね」
 
             「しかも子供と!将来の約束までしただと?」
 
             「彼女が成人するとき兄さんいくつだと思ってるの?」
 
             どれも彼にとって身につまされる言葉の数々、返す言葉もない。
 
             ただ一つ将彦を満たす真実は、
 
             「それでも、杏ちゃんが好きなんだ」
 
             普段、情けないと思えることも多い彼の凛とした声に、男達は一瞬言葉に詰ま
 
             り、そして…
 
             「なに、ちまちましたこと言ってるのよ」
 
             早希が吠え、
 
             「鈴原ひかるさんとおっしゃるのがどんな方かわかりませんが、ご本人でない
 
              ならいいじゃありませんか」
 
             春日が軽やかに笑う。
 
             「そうは言うけど、いろいろ…」
 
             「近衛氏だってあたしよりいっぱい年上でしょ?」
 
             その辺を責められると、彼に言葉はなくなってしまう。
 
             「大嗣坊ちゃんがさっさと身を固められれば、そのお嬢様に追いかけられるこ
 
              ともなくなるんじゃないですか?」
 
             「だから、お前がさっさと嫁に来れば…」
 
             「お断りします」
 
             長男も最早次男の言及などしている場合ではない、己の未来をかけた説得工作
 
             の方が余程大事だ。
 
             「良かったわね、将彦くん。強力な味方ができて」
 
             これまで彼を軽んじてきた早希が、春日が、歌織までもがなぜか自分を擁護し
 
             てくれる理由がわからず、彼は背後に立つ妹を見上げる。
 
             「ふふ、女の子はね、恋する人の味方なの」
 
             それがドラマティックであれば、あるほど。
 
             微笑む歌織に頷いて、将彦は思う。
 
             聖夜の恋は、たくさんの奇跡を生むんだな、と。
 
 
 
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