5.
 
 
        「玄関が見える…」
 
        いつもはゴミに占領されて靴を脱ぐのさえままならないのに、何故だか今日はタイルが見えた。
 
        ゲタ箱もついてたなんて、初めて知っちゃった。
 
        ドアを開けた途端棒立ちになったあたしの肩越しに、北条さんの呆れた声が響く。
 
        「あんなー、俺昨夜まで実家に一週間もおったんやで。出かける前に片づけたの3時間やそこ
 
         らで散らかせる筈ないやろ?」
 
        …忘れてた。怒濤の数時間だったものだから、帰省帰りだって事すっかり頭から飛んでたわ。
 
        でも、それにも増して問題なのは普段は片づけない北条さんの性癖な気がするんだけど。
 
        「もしもーし、凪子さん早よ家へ入りたいんですが?」
 
        「あ、ごめん」
 
        通せんぼしてることに気付いたあたしは慌てて靴を脱ぐと、短い廊下を抜けてダイニングキッ
 
        チンに入った。
 
        数えるほどしか来たことのない北条さんの部屋は、意外に豪華な1DK。10畳のカウンター
 
        キッチンのある部屋がリビングを兼ねていて、脇の寝室とは大きな引き戸で仕切られている。
 
        フローリングでバリアフリーって格好いい造りの筈なのに、大抵は脱ぎ散らかされた服や医学
 
        関係の専門書が足の踏み場も無いほど散乱していて、ソファーに座るのがやっとって感じだっ
 
        た。
 
        なのにどう?今日は黒で統一された家具も、CDの詰め込まれたタワーラックもちゃんと見え
 
        るのよ。
 
        簡易ハンガーになってないなんて、知らない部屋に来たみたい。
 
        「冷たいもんでも飲むか?」
 
        冷蔵庫を漁りながらの問いかけに返事をしながら、あたしは所在なく立ちつくした。
 
        大抵はぶつぶつ言ってまず座る場所を確保するのに、見通しがいいと変に緊張するんだよね。
 
        とっかかりが無いって言うのかな、カレシの部屋に来てるって事実を妙に意識しちゃって、あ
 
        ること無いこと想像…しない方がよかった。雅樹君のこと思い出しちゃったじゃない。折角忘
 
        れてたのに。
 
        「座らんのか?」
 
        ペットボトルを抱えた北条さんが脇をすり抜けて、ソファーに沈み込んだ。続いてポンポン隣
 
        を叩く。
 
        いわゆるラブソファーって呼ばれるそれは、大きな彼が座るとほとんどスペースは残って無く
 
        て、つまりべったりくっつく形になっちゃうのよね。
 
        いつもは照れくさくて、足下の本をどかして作った小さな場所に落ち着くのに、はっきり呼ば
 
        れちゃうと違うところに座るの不自然だしなぁ。
 
        短い逡巡の後、意を決したあたしは期待された通りの行動をとった。
 
        寄り添うようにぴったりと張り付くのは手に汗握っちゃうくらいドキドキするけど、相手が北
 
        条さんなら怖くはない。彼は今までもあたしの嫌がることはしなかったから。
 
        無理矢理どうにかされちゃう心配は、無いと信じられるもん。
 
        「短い時間でなんや、エライ動いた気がするわ」
 
        そっと髪を撫でながら、北条さんが呟いた。
   
        「ごめんね、いきなりとんでもない場面に遭遇させちゃって」
 
        大丈夫って言った矢先からいきなり襲われてるんだもん、驚くよね。
 
        怒ってるかなって見上げた北条さんは、違うやろって顔をしかめると、そのまま腕を回してぎ
 
        ゅっと抱きしめてくれる。
 
        「間におうて良かったて言うとるんや。心配で凪子の家の近くを流してたんやけどな、携帯で
 
         泣き声が聞こえた時はマジあせったやで」
 
        心底ホッとしたって声に、あんなに早く公園に現れた謎が解けた。
 
        ここから家までは車で15分かかるのに、5分で来てくれたのはもう外にいたからなんだ。
 
        昼間の話を気にかけて、あたしの為に近くにいてくれたなんて…
 
        「ちゃんと北条さんの忠告聞いとけばよかった」
 
        もっと警戒していれば、あんな目に遭わずにすんだのに。ホントばかだね。
 
        「ま、しゃーないやろ。会って間もない俺より、付き合い長い家族を信頼するんは」
 
        「ごめんてば、今は北条さんを信じてます」
 
        「ほんまかー?」
 
        ちょっと体を離して疑り深い視線を送ってくるのに、あたしは力の限り首を楯に振った。
 
        「…なら言うてみい。なにされたんや」
 
        ひど…人がやっとの思いで記憶の隅に押しやってること、思い出せっていうの?
 
        ジワリと涙目になるのをキスを落として慰めた彼は、深く深く舌を絡ませてくる。
 
        苦しい呼吸の合間に囁かれた声は、胸がつぶれるくらい切なかった。
 
        「他の男に触らせるな。凪子は全部俺のもんや」
 
        激しく口腔を侵してくるのに、体には決して触れない北条さん。
 
        悔しいって、全身で伝えてくるのにあたしを気遣ってくれてる。
 
        こんな優しい繭に包まれていたから、男の人の本気は怖いって忘れていたのかも知れないね。
 
        声を出したくて、ほんの少し腕に抵抗の力を入れると弾かれるように北条さんが離れていく。
 
        「悪い、さっき約束したばっかやのに、俺…」
 
        心配げにこちらを見る瞳にそうじゃないって、あたしは微笑んでみせた。
 
        「気持ち悪かったの、雅樹君に触られて…。まだあちこちに感触が残ってる。全部話したらこ
 
         れ、消 してくれる?」
 
        僅かの躊躇を挟んで再びあたしを強く抱きしめた彼は、かすれた声で呟いた。
 
        「…ああ、ちゃんと消したる」
 
        少し怖いけど、北条さんならいいよ。
 
 
 
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