32.

冴え冴えと月が輝くのは凍える寒さのせなのだろうと、白く上る息を見て思う。
それはつまり、お散歩には似つかわしくない季節だと言うことで、勢いだけで飛び出しちゃったけど何もわざわざこの寒さの中うろつかなくてもいいんじゃないかと。
帰ろうかな…
「もう後悔してんのやろ?意地張らんと、戻ったらどうや」
だけど覗き込んできたしたり顔を見ると、つい言っちゃうのよね。
「やだ」
って。更にちょっと膨れてみたりして、道もわかんないくせに早足にどこかへ向かってみながら、絶対帰らないってパフォーマンスもつけて。
あああ、引っ込みがつかなくなっちゃったよう…。
「扱いやすいなあ、お前は」
喉奥で笑った聡介は、先ゆくあたしに難なく追いつくと、くしゃり髪を掻き回して肩を抱き寄せた。
「ちょっと、馴れ馴れしいってば!」
なんなのよ、いつも触ったら汚れるとばかりに避けまくってたくせに、今日に限ってべたべたべたべた。
睨んだって少しも気にせず、はいはいって、もいちど頭撫でて、誰かさんによく似た顔の聡介が…甘やかすの。
あのいじめっ子が背中を優しく叩くなんて想像つかないけど、これが北条さんだと思えば納得できちゃう、それほどの激甘。
「ほれ、行くぞ」
柔らかな声に見合ったとろける笑みがキレイで、中身はともかくやっぱ好みだな、なんて呑気なことを考えているからエスコートを許しちゃったのね。それも肩は解放されないまま、ぴたりと胸に寄り添ってるせいかさっきより密着度が増してる気さえする。
「聡介っ」
「ん?なんや」
放してと言いかけ飲み込むと、顔を背けた。
誤解、しちゃうじゃない。北条さんがそこにいるみたいで、抱きしめて欲しいとか、思っちゃうじゃない。
だから、見ずに感じずに、ただ散歩して帰ろうと決意して、進む。
不意に抵抗をやめたあたしに何かを察したんだろうけど、聡介は気にした様子もなく楽しげに住宅街を歩くのだ。どこと目的のあるわけでない道行きに、リラックスした心地良い空気を伝染させながらのんびりと。
天敵だった男がそんな風だからついしてしまった油断は、その後あたしを追いつめるのだけど。
「俺、京兄がいっちゃん好きなんや」
明るすぎる月が隠した星々を捜していた視線を、急に話し出した聡介に向けると思いがけず近くに彼の苦笑がある。
…ホント、どっか悪いんじゃないんだろうか?けんか腰でないとこ、初めて見るんですけど。
「…知ってる」
火照る頬を隠そうとぶっきらぼうに返した答えにちっちゃく頷いて、彼は悪戯っぽい顔ででもなと声を潜めた。
「最近もっと、好きな子ぉが、できた」
面食らうって言うのは、こんな感じ?じっとこっちを見る目があたしに何を答えさせたいのかさっぱりわかんないんだけど、兄離れはいいことだと思う。
あの勢いで想いを寄せられる相手の彼女には、お気の毒だけど。
「よかったわね」
だから、取りあえず肯定してみたんだけどね、一瞬覗いたニヤリとしか表現できない笑みに、背筋をイヤな汗が流れる。
「そか。ほんなら俺は、その子と付き合うたほうがええな?」
なんであたしに確認取るのよ〜わかんないなぁ〜。
どうしたものか、困り果てているんだけど他にできることもないんで、頷いてみた。
「相手の人が、イヤだって言わなければ」
一応のフォローを入れながら。
だってほら、先走ったり付きまとったりしちゃ犯罪者になっちゃうものね。けしかけた犯人になるのはお断りだから、ちくりと釘くらい刺しておかなくちゃ。
明らかに悪巧み満点て顔してる聡介の本心はちっとも見えないままだけど、到底恋してる男の子にも見えないけど…まぁあたしだってそんなでれでれ顔は北条さんでしか確認したことないし、でもでも同じ顔してるんだから同じ表情が浮かぶんじゃないのかなぁ…。
「そんなん、うん言わせる方法はいくらでもある」
ぐるぐる考え込んでるとこを力任せに引っ張られて、倒れ込んだ腕の中訳もわからず閉じこめられた。
「ちょ、聡介?!」
新手の嫌がらせなの?質悪いなぁ、もう!
少しの隙間もなく胸に顔を押しつけられていたらロクな抵抗もできなくて、だけどこのまま大人しくしてるなんてプライドが許さないから自由になる両手で背中を叩いたり足を踏んづけたり。なのに、
「暴れんで?」
耳に囁き込まれた一言で、情けないかな体はぴたりと活動をやめてしまったのよ。
なんて色っぽい声出すの…こんな攻撃反則だわ!
動揺して怒ることもできないあたしはバカみたいに突っ立ったまま、多分聡介の思うつぼで。
「ええ子や、そのまんまでおんのやで」
笑い含みに言う彼はなんだか余裕いっぱいで、さらさらと髪を掬っては落とすを繰り返していた。
指は不意に首筋を掠め、合間に柔らかな吐息なんかも溢して、面白いように動揺するあたしの仕草さえ彼には計算づくに違いなく。
絶対、反応を楽しんでる。怒鳴り合うより狼狽えさせる方が面白いとか、にやっとしてるに決まってる。
「あのね!」
いつまでもいいようにされないんだから、と勢い込んで上げた顔は強制的に元の場所へ。
「しぃ、静かに。騒いだら俺の声、聞こえんようになるやろ?」
思わせぶりに匂わせて何故だかシリアスになってる聡介は、いっそう腕の力を強くした。
これって話をするような状態なの?何を言われても鼓膜を素通りしていくんじゃないかと、思うんだけど…。
あ、もしかして照れてる、とか?顔見られるのが恥ずかしいから、あたしに顔を上げさせないよう抱きしめてガードなのか。そっか、納得。
聡介も案外、可愛いとこあるのね。
答えがわかると安心で、悪いとは思うんだけどおかしくて笑いをかみ殺してしまった。
「…恐いんか?」
震えた肩を誤解されたのはちょっとって感じなんだけど、いちいち突っ込んじゃ聡介が可哀相よね。なにしろこれから一世一代の告白をしようって言うんだもん。
だから間違いを正すことはせず、彼の次の言葉を待ったのに。
「鈍い思うてたけど、お前でもここまでしたら気づくんやな」
「なによそれ!」
嬉しそうな声に一瞬にして、キレちゃったわ。
「どういう意味よ!鈍いって、鈍いって、気にしてるのにー!!」
いつだったかかすみと美和と3人で言い切られてから過去を振り返って、もしかしてあたしそうなのって自覚して、以来結構本気できにしてるんだから!
でもでも…ここまでの会話のどこがいけなくてこう言われたの?
激昂直後、沈静化した上に落ちるのはなんとも言い難い静寂でして。
「やっぱ、あかんか」
…怒りは遠く流れて行っちゃった。
諦めたその声に、鈍感は治らないんだなとか悲しくなる。
「俺が好きなんは、お前や」
でも、鈍いことも時には幸せだと本気で思っちゃったわ。
あたしの耳がおかしくなったに決まってる。聡介の頭が変になったのかも。どっちにしても今のは聞き間違いで、あり得ないことだから。
「聞こえない」
無視するんじゃない、無かったことにする。そうすれば何も変わらない、から。
「…そんなら、聞こえるまで何遍でも言うたる。…好きや、好きや、好きや」
「聞こえない、聞こえない、聞こえない」
「聞けや!」
息が止まるんじゃないかと思うほど体中の骨が軋む、それほど聡介の抱きしめる力が強くなって、真剣で恐い声が区切るようもたらされる。
「俺は、お前が…」
絶対、聞かない!
耳を塞ごうとめちゃくちゃ振り回した腕にふっと抵抗が無くなり、月影を遮る背中が押しつけられていた胸と一瞬で入れ替わった。
「忘れた方がええと、思わんか?」
遅いっ!って怒った方がいいのか、揉め事が大きくなるって焦った方がいいのか、猫なで声で聡介に告げる北条さんがちょっと恐いから、悩んじゃうな。


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