30.
 
 
        クリスマスを過ぎると、後は楽しい長期休暇を待つばかり。
 
        北条さんは大阪に帰省しちゃうだろうから、叔母さんの家に戻ろうかな、まだちょっと恐かっ
 
        たりするけど。
 
        なんて、思ってたのに。
 
        「俺、帰らへんよ?凪子と二人で年越しすんのやもん」
 
        微笑んでぎゅっと抱きしめてくれた北条さんの優しさが嬉しくて、真冬だって言うのにほんわ
 
        か暖かな気持ちだったのは、ついさっきまで。
 
        「凪ちゃん?聞いてはる?」
 
        柔らかい声に引き戻された現実は、なかなか厳しかった。
 
        今ね、あたしってば大阪にいるのよ…。終業式後、どうしてだか校門前に待っていた北条さん
 
        のお母さんにタクシーに乗せられ、新幹線に乗せられ、もう一度タクシーで着いたのは口があ
 
        んぐり開いちゃうおっきな洋館。
 
        「さ、入って」
 
        って玄関から奥の間に通されたってことは、多分ご実家ご招待よね?説明もないけど、荷物も
 
        ないけど、少なくとも午後5時を時計が示すこの現状、今日は関西にお泊まり、だよね?
 
        新幹線の中で連絡を入れたとき叔母さん聞いてるわって笑ってたし(何を?)叔父さんも納得
 
        済みだから、安心して楽しんできてねって言われたし。
 
        一体、どんな密談がかわされていたの?
 
        「凪ちゃん?」
 
        「あ、はい!聞いてます、ちゃんと」
 
        あたしはベルサイユ宮殿にあるような華やかなソファーの上で、緊張した体を更に緊張させ、
 
        引きつった笑いを浮かべた。
 
        お母さんは何を尋ねても謎めいた微笑みを返すだけで、いっこうに明確な答えをくれない。ば
 
        かりか『楽しみやねぇ』とか『ふふ、一度に二人も』とか不気味な響きを有す独り言を連発し
 
        てくれるから、つい気もそぞろになっちゃうのよね。
 
        「そ?そしたら、ええのね」
 
        「もちろん」
 
        何がもちろんなのか、どこがいいのかさっぱりわからないけど、うなずいとこ。
 
        不明なことが多い上にお手伝いさんが出してくれるお茶や、ホントに日本にいるのか疑いたく
 
        なる内装なんか、あくまで一般庶民なあたしには気圧されることが多くて理解の範疇を超えま
 
        した。
 
        なんとかなるわよ、きっと。お母さんいい人だし、そりゃ少し強引なとこもあるけど…ひどい
 
        ことはない、と思う。うん。
 
        いざとなったら助けに来てね、北条さん。
 
        「嬉しいわぁ!」
 
        ポン、と手を打ったお母さんは少女のようにかわいらしかった。
 
        こんな時に言ったら怒られそうだけど、いくつなんだろ?お兄さんは医大出てるんだから最低
 
        ラインでも24で、あの見かけと喋りは絶対25過ぎのはず。結婚を20でしたとしても…
 
        「じゃ、うちは雅俊さんに電話してくるし、ちょっとの間二人で仲良うしててな」
 
        タイミング良く思考を邪魔されたのはきっと、これ以上考えるなってことだよね。そう、触ら
 
        ぬ神に祟りなしというか…二人?
 
        「こんにちわ」
 
        目を上げた先に、どうして見落としたんだかわからないほど派手な出で立ちのお姉さんがいる。
 
        容姿がって言うんじゃないわよ?丸顔でくりっと大きな目で、ふわふわの髪とか優しそうな笑
 
        顔とか確かに可愛いけど、ぎょっとするほどじゃないもん。
 
        びっくりするのはね、
 
        「どどど、どうしたんですか、その怪我!!」
 
        なの。
 
        車イスから伸びる左足はギプスに固められ、無事っぽく見える上半身も何となく動きが堅い。
 
        「あははは、ちょっと階段から落ちちゃって…」
 
        様子からして相当ひどく落ちたんだと思うけど、なぜだか照れ笑い。
 
        「そんで入院した先でセンセと…英介センセと恋に落ちたいうか、捕まったいうか…」
 
        「ええええええっ!!!あのお兄さんの、カノジョ??!!」
 
        と、素っ頓狂な声を上げちゃうくらい、これには驚いた。本気で驚いた。
 
        ほんの一月前、聡介を殴って北条さんと低次元な争いを繰り広げてた、あの人?!
 
        帰った後、弟二人に恋愛オンチ、へたれと力の限り陰口を叩かれていた長男?!
 
        「すっごく下世話なんですけど、どこをどうしてそうなったのか聞きたいです。純粋な好奇心
 
         ですいませんけど、めちゃめちゃ興味ありありです。初対面で失礼ですが、教えてもらえな
 
         いでしょうか?」
 
        知りたいと思ったらそれはもう猪突猛進、相手にもよるけど絡んでるのがお兄さんなら絶対知
 
        りたい。
 
        それ以前に知らなきゃならないことはたくさんあるんだけど、取りあえず手っ取り早く現実逃
 
        避するには奇特なカノジョさんの話を聞くのがいいように思えたの。
 
        したかたないでしょ?あたしってば、弱虫なんだから。
 
 
 
        「凪子!」
 
        「あら、京介」
 
        女3人のんきにお茶を飲んでいたそこに、肩に腕に大荷物を抱えた北条さんが飛び込んでくる。
 
        肩を怒らせて、目は鋭い怒りで外の空気みたいに冷たく光ってて…すっごいデジャブ。ごく最
 
        近、似たような光景を見た気がするわ。その時も原因を作ったのはお母さんで、一人怒り狂っ
 
        ていたのが北条さんだった。
 
        違うのはただ一つ、本気で怒ってるってこと。叫んで怒鳴ってるのにやれやれって響きを宿し
 
        てたあの表情はなく、全身に押さえきれない怒りを漲らせている。
 
        「一体何考えてんのや!凪子はな、おもちゃちゃうんやぞ!!」
 
        思わず首をすくめちゃう大声でふわふわ笑ったままのお母さんをしかった後、大股で歩み寄っ
 
        た北条さんは、捕らえたあたしを抱きしめて、心底安心したって大きく息を吐く。
 
        「ごめんな、驚いたやろ?ほんま、無茶なおかんで、ごめん」
 
        打って変わった優しい声で謝罪を繰り返しながら、何度もキスを髪に落としてドサリと隣りに
 
        腰を下ろした北条さんはソファーの隣りにボストンを投げ捨てた。
 
        触れた胸からは、厚いスウェードを通してもわかるほど激しい鼓動が聞こえ、耳を掠めた呼吸
 
        は驚くほど熱く。
 
        とっても急いでここまで来てくれたんだね。あたしを追って、きっと。走ったり、後始末した
 
        り、大変だったに決まってる。
 
        「こっちこそ、ごめんなさい。心配かけて」
 
        いつでもどこでも安心をくれる腕の中で、気づくとこの家に招き入れられてから初めて全身の
 
        力を抜いていた。
 
        「凪子が謝ることなんかあらへんやろ?悪いんはおかんや」
 
        「確かに。けど、お前の場所をわきまえんその態度はどうかと思うぞ」
 
        まったり和んじゃってただけにその声は心臓を凍らせて、思わず知らず北条さんを抱く腕に力
 
        がこもる。
 
        「…ほっとけや、もてない君」
 
        明らかに不機嫌だね、でも、でももうそれは…
 
        「…紹介しよ。僕の婚約者、香月真彩さん」
 
        うっわぁ…得意げ。
 
        絶対緊迫しそうな場面を見逃すまいと、もしかして北条さんの立場が悪くなるならフォローし
 
        てあげようと顔を上げると、予想外の光景が広がってる。
 
        ふんぞり返って困惑顔の真彩さんに気づかない英介さん、疑いの眼を向けてる北条さん、面白
 
        そうに双方を見比べるお母さんと隣りにお父さん、何故か聡介まで全員揃ってるよ!!
 
        何々?ちょっと世界からドロップしていた間に、何が起こったの?!
 
        「おっ前、相変わらず京兄に捕まっとんのか。巻き込まれんで?こっち来ぃ」
 
        ちょいちょい手招きする聡介に、つい腰を浮かせそうになって北条さんに耳を噛まれちゃった。
 
        「みぃ〜」
 
        「なんであいつの言うこと聞こうとしてんのや」
 
        「だってぇ〜」
 
        無益な兄弟ゲンカのただ中にいるなんて、一度で十分だもん。あの時も唯一の味方は聡介だっ
 
        たんだよ?恐怖とか虚しさとか共有できるのは、ここじゃなくてあっちじゃない。
 
        って見上げたけど、眉間にシワを寄せた北条さんは許してくれそうもなくて、それはどうやら
 
        ばっちり目が合っちゃった真彩さんも同じなようで。
 
        「あの、センセ、ケンカとかは、ね?」
 
        あたしと同じように頼りないけど、必死の様子で英介さんを止めに入ってくれる。
 
        「こんなん、小競り合いや。それとも真彩は僕が弟に負けたらいいと思ってんの?」
 
        「え、決してそのような…」
 
        「ほ、北条さんも、ね?元はと言えばあたし達がその、抱き合ってたのが悪いんだから」
 
        「俺の顔みればケンカ売ってくんのは兄貴の方や。まさか凪子、あっちの味方するつもりやな
 
         いやろな?」
 
        「え、そんなことは…」
 
        もう、これじゃホントに子供のケンカじゃない。それもいつの間にか矛先があたし達に向いち
 
        ゃってて、手が付けられないし。
 
        「あー、わかったわかった、揉めたいんやったら、二人でやったらいい」
 
        困り果てたところに、絶妙なタイミングで割って入ったのは大ボス、お父さんで、
 
        「行こか?」
 
        英介さんからかすめ取った真彩さんの車イスを押しつつ、
 
        「ほれ、こっち」
 
        命じた聡介にあたしを回収させる。
 
        どうしてか全く反論をしない息子二人は、不平不満も山とあろうに黙ってされるがままって、
 
        ちょっと不気味なんだけど?
 
        「腐っても家長やからな。家ん中で親父に意見できる奴はおらん」
 
        答えは聡介が教えてくれた。
 
        「そこ!凪子に触るな、近づくな!!」
 
        ちょっと耳打ちされただけじゃない。犬猿の仲なあたし達に一体どんな勘ぐりをしてるのよ。
 
        ねぇ?って視線をやった先で聡介も苦笑してた。ホント、嫉妬深いお兄ちゃんで困っちゃうよ
 
        ね。
 
        「京兄、こっちにおる間、気ぃつけてな?」
 
        何に?
 
        「まだ諦めとらんかったんか」
 
        だから、何を?
 
        「さ、凪ちゃん。あの子等はほおって、ご飯にしましょ」
 
        「え、ええ??」
 
        理解できないでいるうちに、聡介も不毛な争いに参戦すべく引き返していくし?
 
        にこにこのお父さんとお母さんは3人すっかり無視で、ご機嫌にあたしと真彩さんを連行して
 
        いくし?
 
        あの、結局今日はこのまま終了?
 
 
 
 闇トップ  ぷちへぶん  闇小説  
 
 
 
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送