29.
 
 
        男兄弟のケンカって、こういうものなの?
 
        さっきから一言お説教するたびに、聡介のアザが増えていくんだけど。
 
        「なんで下らん嘘をつくんや」
 
        「半分はホンマやって…てっ」
 
        あ、ほら今度はげんこつ。
 
        「男の言い訳は見苦しい」
 
        「言い訳やのうて、ホンマのこと…わっ!」
 
        …蹴った、蹴りましたね…?え、まだやるの?ダメ!!
 
        「乱暴は、やめて下さい!!」
 
        スーツ姿で無表情にキレる様はまるでや○ざのお兄さんのようだけど、怯んではいられない。
 
        聡介、もんどり打ってるじゃない、これ以上やったら救急車を呼ぶハメになっちゃうわ。傷害
 
        事件とか、いやよ!
 
        ガラス越しに見下ろす冷たい視線を根性でねじ伏せて、仕立てのいいスラックスに縋ってみた。
 
        こんな感じの銅像が伊豆にあったね、えっと『金色夜叉』だ、あんな風。
 
        「なんや君は。京介とつき合うとるのに、聡介を庇うんか?えらい多情やな」
 
        ふふんて感じで吐き出された言葉に、ついうっかり言葉を失っちゃった。
 
        タジョウ?多情というと、好きな人がころころ変わるとかそんなのよね、下品に言ったら尻軽
 
        とか…ええ?!
 
        「兄貴、それはちゃうから、誤解やから」
 
        もちろんすぐさま北条さんがフォローに回ってくれたけど、視線に温度変化はナシ。
 
        ううん、より一層涼しくなった?
 
        「凪子は優しい子なんや、聡介を庇っとるいうより痛いめ合うとるヤツなら誰でも助けようと
 
         する…」
 
        「優しいを言い換えたら多情になるんやないか」
 
        この一言、ぷちっとあたしの我慢の糸を切ちゃったってわかるよね?ね?
 
        出会ってからそう時間はたってないけど、英介さんてどうやらあたしにいい感情を抱いていな
 
        い気がするの。
 
        だって始めに応対したその後、全く視線は合わないし、ケンカの仲裁に入る今まできっぱり無
 
        視されてたし。やっと口開いたら今度は侮辱。これは、もう…
 
        「そのケンカ、買います」
 
        と、なる。
 
        「凪子?」
 
        「おい?」
 
        異口同音に疑問を吐き出す兄弟は無視で、ちょっとでも不利になるのはイヤだから立ち上がっ
 
        て腰に手を当てて、冷徹な表情と睨み合った。
 
        「あたしはいつでも北条さんだけが好きです。聡介に乗り換えたりなんてしない」
 
        最初はジャブで様子見でしょ?お約束な行動だからかな、英介さんは片眉を少し上げただけで
 
        至って淡泊な反応だ。
 
        「少しでも関わりを持った人って、好意を抱きませんか?ああ、英介さんが想像しているよう
 
         な下世話な理由じゃありませんよ。純粋なライクです」
 
        「…君が、その基準を満たすのにどれ程の時間を要するんかは知らんが、僕は数日一緒におっ
 
         た程度の人間を無条件で庇うたりせんな」
 
        「狭量なんですね」
 
        ふふんと笑うおまけを付けたのは、もちろんさっきの仕返しに決まってる。
 
        尻軽女と罵られたんだから、心が狭いとせせら笑ってもバチは当たるまい。
 
        ただし、言われた方の心情は汲んであまりあるのは言うまでもなく、一分の隙もなく整った美
 
        貌に針の穴ほどの綻びが生じたのを見逃さなかった。
 
        ちょっといい気味よね。
 
        などと、邪なことを考えるからツケが来るのよ。
 
        勢いで言い募ったまでは良かったけど…え〜ん、今頃震えが来ちゃったよ〜。
 
        怒りでアドレナリンが大量分泌されてる間は恐くなかったんだけどね、やっぱり美人が怒ると
 
        恐いのよ〜。一度北条さんがキレた時もドキドキしちゃったけど、お兄さんはその比じゃない
 
        わ、永久凍土なみの冷気が流れてくるんだけど、助けて〜。
 
        「はいはい、もうええやろ?」
 
        無言の救援信号にやっぱり気づいてくれた北条さんは、こっそりあたしを背中に仕舞って今や
 
        頬までひく尽かせた英介さんに向き直る。
 
        死角に入っちゃって全く顔が見えないけど、対峙するお兄さんの表情から察するにいつもの軽
 
        い笑みを浮かべてるんだろう。
 
        頭を乱暴に掻いて、長いため息をひとつ。
 
        「子供の言うことやから、兄貴もムキにならんで大目に見たって。そない睨むから怯えとるよ
 
         うやし」
 
        へらっと軽い口調はより一層怒りを煽るんじゃ…と内心怯えた予想に反して英介さんはレンズ
 
        越しの瞳に諦めを滲ませると、目に見えて肩の力を抜いた。
 
        それは部屋に入ってすぐ弟を叱りつけた保護者でも、悪い虫(あたし)を退治しようと目論ん
 
        でたスイーパーでもなく、兄弟に囲まれたお兄ちゃんのごく普通の表情なの。
 
        「お前達は…2人揃っていつになったら僕を安心させてくれんのや」
 
        それは問いと言うより、懇願に聞こえる悲壮さが滲んでいる声なんだよね。
 
        つくづく疲れたと、目の下の隈が語っちゃってて、突っかかってごめんなさいって謝りたくな
 
        っちゃう不憫さがある。
 
        「心配かけて、ごめんな〜。けど、俺はなんもしとらんやろ?ここ数年の悪行三昧思い返した
 
         ら褒められてもおかしないくらい頑張ってんのやし」
 
        なぁ、なんて同意を求められたあたしはどうしたらいいのやら…。
 
        振り返った北条さんはギャラリーの存在を全く無視した行動で、つまり二人っきりでいる時に
 
        良くやる抱きしめて頬ずりってスキンシップを身内の前で恥ずかしげもなく展開中。
 
        …付き合わされ中…。
 
        「女子高生と同棲すんののどこが褒められた行動なんや!しかも人目も気にせんとベタベタ張
 
         り付いて」
 
        「やって兄貴我慢できひんやろ?”北条さんだけが好きです”なんて好きな子に言われてみぃ、
 
         これはもう、抱きしめてお礼せな」
 
        いらない…かも。この時点でそんなお礼必要ない、気がする。
 
        でも、おちゃらけてるはずなのに、北条さんの全身から漂う空気がちょっぴり重くって、あた
 
        しは口をつぐむ。黙っていた方が、いい。絶対。
 
        「余計なこと言うてくれたおかげで、嬉しい凪ちゃんの本心が聞けたなぁ」
 
        おでこにキスを落とす北条さんは、ぞっとする微笑みを浮かべていた。
 
        これに気づいた聡介がこくりと喉を鳴らす音がして、視線だけ送るとあたしと同じ顔で凍り付
 
        いていて…。
 
        『ねぇ、すっごく怒ってるよね?北条さん』
 
        『めっちゃ、怒っとるな、京兄』
 
        ちっちゃく頷くオプション付きで、状況の確認をしてみる。
 
        これ、あれ?あたしがカチンと来たあのセリフに北条さんも激怒?
 
        でも、最初はこんなに怒りオーラ振りまいてなかったじゃない、穏やかに宥めようとしてたで
 
        しょ?始めに爆発したの、あたしだったじゃない。
 
        そんな疑問のあれこれに、全部気づいたのに軽くスルーした北条さんは尚も英介さんに言うの
 
        だ。穏やかな口調で。
 
        「気に入らんことがあるなら、俺に言うてほしかったわ。なんで凪子に冷たくあたるん?せっ
 
         かく丸く収めよ、思うとったのに追い打ちまでかけるもんやから恐い思いさせてしもうて」
 
        あのね、優しく髪を撫でてくれるけど、一番恐いの北条さんよ?
 
        光線は発射するだけ無駄ね…だって彼の目は表情を変えもしない英介さんとがっちり組み合っ
 
        ちゃってるもん。
 
        意地っ張りさんと意地っ張りさんが高いプライドかけて激突〜ってふざけた当てレコしたくな
 
        るほど、場が緊迫しております。…はい。
 
        「気に入るわけ無いやろ。若い娘が恥ずかしげもなく男と同棲しとるんやぞ?どない教育され
 
         てきたんや、思うにきまっとる」
 
        ぽん、と手を打ちたくなる腑に落ちよう。
 
        スタートから無視されたのはそんな理由かぁ、ならわかる。多情とか言われちゃった原因も、
 
        これはあたしが怒っちゃダメだったんだ。
 
        嫌悪に顔をしかめたままの英介さんと一瞬視線が絡んだから、北条さんの抱擁を逃れてピコッ
 
        と頭を下げる。
 
        「ごめんなさい!あの、これには事情があるんですけど…」
 
        第一印象は、とっても大事なのだ。
 
        ましてやそれは大好きな人の家族で、どんな風に伝え聞いたのか悪印象しかない人間に自分が
 
        成り下がっちゃっていたら、できる限り挽回を図るわ、謝ればいいならいくらでも!
 
        必死で謝罪文を組み立ててるあたしは、だけど簡単に頭を上げさせられちゃう。
 
        困った顔して笑う北条さんに、いつの間にか近くに来てた聡介に。2人とも、そんな必要ない
 
        って、首を振る。
 
        「凪子がここにおんのは、正当な理由があるやろ?ちゃんと保護者の了解も得とるし、うちの
 
         両親も知っとる。謝る必要は、ない」
 
        「あんたは確かにアホや、ガキや、けど侮辱されてなんで謝んねや。おかしいやろ」
 
        口々に、聡介の言い様は多少引っかかるけど、庇ってくれてるんだよね?
 
        誤解でも人に良く思われないのって胸が痛くなったりするから、すごく嬉しかった。でも、そ
 
        の分恐くもある。
 
        これでまた英介さんに誤解されるのかな。2人とも手玉にとってるとか思われると、やだな…。
 
        「親父に事情聞いてんのやろ?なんでありもせん誤解で凪子を傷つけようとすんのや」
 
        陽気な北条さんはすっかりナリを潜め、逃げ出したくなるくらいの怒りが空気を振るわせてる
 
        気がした。
 
        「自分の目で見るまでは、どんな話しも信じられん。そっちの子ぉがえらい嘘つきで家族全員
 
         騙されてるいうこともあるやろ」
 
        あたしや聡介が震えてるってのに、さすがにお兄さんと言うべきか、反論する英介さんは少し
 
        も怯んではいない。堂々とすっかりキレちゃった北条さんに意見を述べる、強者だ。
 
        「凪子は嘘なんかつかん。兄貴やあるまいし、この俺がそんな女に引っかかるわけないやろ」
 
        「…僕かて、女に騙されたことなんかないわ。女癖の悪さを自慢して、どうする」
 
        「女に縁がないよりええやろ」
 
        「付き合うた女くらいおる!」
 
        あの、ですね?
 
        「はっ!どうせしょうもない女なんやろ?おかんが連れてきた見合い相手とか、そんなん」
 
        もしもし?
 
        「大学の後輩や、ちゃんと自分で見つけたわ!」
 
        おーい。
 
        「告白されて流れで2,3ヶ月付き合うたたけちゃうの?」
 
        う〜ん。
 
        「それのどこが悪い!」
 
        「いくじ…」
 
        「そこまで!!」
 
        際限なく続きそうな低次元の言い争いを無理矢理止めて、噛みつかんばかりに睨み合う男2人
 
        を引き離しにかかる。
 
        唖然としてた聡介も引っ張り出して、取り敢えず隔離は成功。
 
        「思いっきり、話がそれてます」
 
        少しも頭が冷えた様子のない2人に、取り敢えずの忠告をしてみた。
 
        当初の目的も忘れて口げんかを始めるほど、仲が悪いとは知らなかったから余計な火種を与え
 
        ちゃったことあたしも少しだけ後悔してるのだ。
 
        大人しく英介さんの言うことを聞き流してれば、こんな事にはならなかったもんね。
 
        「あたしを嫌いなのも信用できないのも、仕方ないと思います。まだ会って間がないし、他人
 
         を信用できるきっかけは人それぞれですから。ですからお気のすむまで疑って、監視してて
 
         下さい。やましいところはないので、なにを見られても聞かれても困りません」
 
        まだ不服そうな英介さんに宣言して、やっぱりこちらも怒り醒めやらぬ北条さんに向き直る。
 
        おっきな手を取って(抱きつくとか、人前ではムリ)感謝が視線に籠もるように見つめて。
 
        「庇ってくれて、ありがとう。でもね北条さん、あたしは誰に疑われても北条さんが信じてく
 
         れてればそれでいいの。あなただけが味方でいてくれたら、いいよ」
 
        「…凪子」
 
        スルリと抜いた掌を背中に回して、恥ずかしげもなく抱きしめちゃう彼は耳元でうん、て頷い
 
        た。
 
        「俺だけはいつでも凪子の味方やから」
 
        こんな時の北条さんはすっごく優しくて、ホントに頼りになるんだよ。世界中に自慢したいく
 
        らい、最高のカレシよって。
 
        「羨ましいやろ?俺だけを好きでおってくれる女がおるって、ええ気分やぞ」
 
        顎に頭突きをかましちゃうくらい、このセリフには頭に来た。
 
        せっかく兄弟喧嘩収めたのに、台無しじゃない!
 
 
 
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