28.
 
 
        今日も北条さんは機嫌が悪い。
 
        どのくらいかって言うと、帰ってすぐにソファーでテレビを見ていた聡介を蹴り落としたくら
 
        い、なにすんのやって睨み上げた弟を更にごつんと殴ったくらいに不機嫌だ。
 
        「えっと、北条さん…?」
 
        良く事情はわかんないし、庇い立てする義理はないけど、あまりに唐突すぎて可哀想な気もし
 
        たから取り敢えず肩を叩いてみる。
 
        振り返った顔も、やっぱり恐いわぁ。
 
        事情がわからず下で憤然としてる聡介といい勝負。目は3倍増しにつり上がってるでしょ、音
 
        がしそうなほど歯を食いしばってるでしょ、なんかけんかっ早い男の子みたいな顔してるの!
 
        もちろん、そんな表情をあたしに見せたのは一瞬で、すぐにいつもの北条さんに戻るとおでこ
 
        に一つキスをくれて、ただいまって微笑むけど、誤魔化されないもん。
 
        「…なんで怒ってるの?」
 
        上目遣いに探っても、ポーカーフェイスは崩れない。
 
        「んん?まあ、気にしな。ちぃとこいつに話があるだけやから」
 
        と、襟首を捕まえた弟をなぜか外に連れ出そうとするから、さすがの聡介も一応の反抗を見せ
 
        た。
 
        暴れて、一蹴りもらってお終い。
 
        …うわぁ、あっけないなぁ。もうちょっと気合い入れて抵抗しなくっちゃ。よくわかんないけ
 
        ど、北条さんマジモードみたいよ?
 
        「気にはしないけど、外に出る意味がわかんない〜」
 
        情けない聡介の代わりに北条さんに取り付いたあたしは、必死に彼を止める。
 
        イヤな予感がするんだもん。話すだけならどうしてここから出ていこうとするの?
 
        食事の支度をしているあたしはキッチンにいる。リビングで話せば聞こえちゃうけど、寝室な
 
        ら充分プライバシーは保てるのよ?
 
        百歩譲って2人のプライベートな空間に聡介を入れたくないんだって北条さんが考えたとして
 
        も、大した説明もなく問答無用で外に連れ出すなんて変。
 
        考えられる理由なんてそう多くないんだから。
 
        「殴る気でしょ?!聡介、殴っちゃうんでしょ!」
 
        ピクリと彼の動きが止まった。
 
        「あたしが暴力反対って止めるから、外でこっそりやるんでしょ!」
 
        今度は全身が固まったから、当たりね。
 
        全くもう、なんだって言うの。どうしてすぐ暴力に訴えちゃうんだろ。
 
        雅樹君の時もそうだったけど、ホント男って幼稚なんだから。
 
        「もうばれちゃってるんですからね、こっち向いて説明して」
 
        こう言えば、ちょこっと唇を歪めた北条さんが諦めの吐息と共に振り返るのだ。
 
        苦笑いを浮かべたその顔は、まるでイタズラが見つかった子供のよう。
 
        「やって、凪ちゃんこいつに優しするやろ?唇ちょこっと切った程度放っといたらええのに、
 
         過剰なほど近づいて手当てしようとしたん忘れた?」
 
        「…忘れてない」
 
        ないけど、反省もしてるけど、そんなことそうそうあるわけないじゃない。それに、
 
        「だからってあたしが見てないとこで殴っても一緒よ。帰ってきて聡介の顔見たら、手当てす
 
         るもん」
 
        これは胸を張って言えるんだって威張ったら、最近恒例になっちゃった北条さんの眉間の皺が
 
        一段と深くなった。
 
        他意はないってわかってるくせに、あたしが聡介って呼ぶたび面白くないって主張するの。
 
        次はね、
 
        「なんやろなぁ、凪子は俺より聡介の方が大事なんかなぁ…」
 
        て呟いて腕の中に収めちゃうんだから、もうパターンなのよ。
 
        結局北条さんは、あたしの関心が少しでも聡介に向くことが許せないみたいなんだよね。
 
        逆のパターンだったらって考えると、心中穏やかじゃないから気持ちはわかる。わかるんだけ
 
        ど、実の弟じゃない、お子様は嫌いだと公言してはばからない人じゃない、気にしすぎだと思
 
        うんだけどなぁ…。
 
        「なぁ、お取り込み中やったら、俺テレビ見に戻ってかまわん?」
 
        迂闊なこと言うから、せっかく態度が軟化してた北条さんがまた神経を尖らせちゃったじゃな
 
        い、もう。
 
        あたしの髪を優しく梳いてた指はぴたっと止まって、子供にするみたいに背を叩く動きもスト
 
        ップ。
 
        四つんばいに這った姿勢のまま退場しようとしていた聡介の首根っこをきっちり押さえて、背
 
        中を踏みつけた北条さんは底冷えのする声で弟を問いつめ始めたのだ。
 
        「聡介、こっちに来た理由はなんや?」
 
        「…受験校の下見やけど?」
 
        「滞在予定は?」
 
        「2週間」
 
        「学校はどないしたんや、さぼりか?」
 
        「試験休みや」
 
        「ほう、暁星は随分気前よくなったんやな。確か試験休みは2,3日しかなかったはずやけど
 
         な」
 
        さすがに北条さんの怒りのワケとか、不条理すぎる聡介の扱いとか、理解できちゃった。
 
        学校休んで、ここにいたのね。きっと初めの予定とは全然違う今の行動は、おじ様やおば様は
 
        知らなくて、昼間連絡を取り合った北条さんはそれを知っちゃったのよ。
 
        で、もの凄く怒ってる。そうよ、だってもう10日近くこっちにいるのよ、普通の家族だった
 
        すっごく心配するじゃない!
 
        「…5日あったんは、ほんまや。残り半分はズルやけど」
 
        嘘を告白した途端、聡介の体は壁まで飛んでいった。
 
        かがみ込んだ北条さんに強力な一発をもらって、見事にスライディング〜。
 
        こう言うと軽い感じだけど、全然よ?まだ治りきってない口元のアザから、もう一度出血して
 
        たからね、加減してないんじゃないの??
 
        びっくりと恐いで凍り付いたあたしだけど、そうも言っていられない場面が直後に来ちゃった
 
        ものだから、慌てて2人の間に飛び込んだ。
 
        つかつか近づいた北条さんが、聡介のシャツを掴んで引きづり起こしたんだもん。
 
        そのままもう一発殴ろうと拳を固めてるんだから、無謀でも止めないと。
 
        「落ち着いてってば!聡介死んじゃうでしょ?口があるんだから、話そうよ!」
 
        いきなり修羅場に飛び込んだあたしに気づいて、一瞬で表情をこわばらせた北条さんはすんな
 
        り手を下ろした。
 
        代わりに困った顔で笑うと、しょうのない子やなって聡介も投げ捨てる。
 
        「兄弟喧嘩に顔出したらいかんよ。アホは殴った程度で死なんし、こいつは多少怪我しとかん
 
         ともっとひどい目に合うからなぁ、俺の親切なんやで?」
 
        親切?ダラダラ血を流すのが?めちゃめちゃ痛そうだけど?
 
        「なあ聡、兄貴に怒られんのと俺、どっちがましなんか凪子に教えたり?」
 
        と、北条さんが意地悪くしか聞こえない言い方をしたら、聡介ってばはじめてみせる怯え顔で
 
        あたふたと玄関へ向かおうとするんだもん、びっくり。
 
        ええ、言うまでもなく捕獲されてたけどね。逃がさないぞって意志のいっぱい籠もった手に。
 
        「こらこら、返事もせんで逃げようとはどういうのや」
 
        …すっごい楽しそ、北条さん。長崎の恨みを京都で晴らしてるって、感じ?
 
        「放して、京兄!英兄に見つかったら、俺間違いなく殺されるし!!」
 
        パニックね、聡介ってば挙動不審じゃない。英兄って一番上のお兄さん、そんな危険人物なの?
 
        無駄な動きの多い人を尻目に、もの問いた気に北条さんを見上げると、うんて頷いてちょっと
 
        眉を上げてみせて。
 
        「あの人だけは、うちんなかで冗談が通用せんのや。俺はまぁ、やり尽くしたんでな途中諦め
 
         たみたいやけど、聡だけはこんなにせんて誓ってるみたいなんや」
 
        ちょいっと自分を指してみせる仕草に危うく同意しそうになったけど、今の北条さんを否定す
 
        ることは自分を否定することだって気づいて曖昧に微笑む。
 
        だってね、出会った頃の彼は確かにとってもいい加減な人だったけど、もう違うもの。
 
        誠実で真面目で、誰より優しいあたしのカレシは、お兄さんが力の限り否定する北条さんじゃ
 
        ない。
 
        数ヶ月で確実に変わった恋人、もちろんあたしだって一緒に成長してるんだから。
 
        聡介の生きる見本になっても、ちっとも変じゃないわ。むしろ、理想的。
 
        「北条さん、格好いいよ?」
 
        「…ありがとう」
 
        全部言わなくても、ちゃんと通じる。
 
        顔を見合わせて照れて微笑んで、そうして2人の世界を作るから、捕まってる聡介が不気味な
 
        唸りを上げるの。
 
        「2人の邪魔はせんから、逃がして!」
 
        「あかん。お前おかん心配させよったから、親父も兄貴もキレとんのや。俺かてあの人らを本
 
         気で怒らすんはいややのに、勇気あるわ。そんなわけで捕まえとくよう言われとるから、こ
 
         こにおってな?」
 
        おじ様が怒ると恐い、の?う〜ん、想像つかないんだけど。
 
        暴れる聡介と、ミスマッチな笑顔で罪人を逃がさない北条さんと、どっちもいろんな意味で恐
 
        いから傍観者を決め込もうっと。
 
        リビングに戻ろうと立ち上がって、直後聞こえたチャイムに笑顔が凍る。
 
        あたしも、北条さんも…聡介も。
 
        これって、きっと。
 
        「来る予定、そろそろ?」
 
        「ん、せやな。そんな頃合いや」
 
        「いやや〜!!」
 
        「そんな叫ばれても、来ちゃったものは仕方ないじゃないの」
 
        「あきらめなあかんよ」
 
        無責任でいいわ。面白いから。
 
        年相応、ううん、それ以下に見える幼さでわめき散らす聡介と押さえてる北条さんに手を振っ
 
        てあたしは話題の人物を迎えに出向く。
 
        おじ様かな、もしかしてお兄さんだったり?
 
        不謹慎にも期待に膨らむ胸を押さえてドアを開けたあたしは、人の不幸は笑っちゃいけないな
 
        と心底身に染みた。
 
        「…聡介は、いてますか?」
 
        メガネにオールバックでネクタイ締めてダークスーツ、北条さんから柔軟さとユーモアとラフ
 
        さを取って、しかめっ面にしたらお兄さんになるんだね。
 
        …多分一生お知り合いになりたくない人種…。
 
 
 
 闇トップ  ぷちへぶん  闇小説  
 
 
 
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送