25.
 
        気持ちよく朝寝坊を楽しんだ京介は、爽快な目覚めに大きく伸びをして時計を見やる。
 
        「10時やとっ?!」
 
        次々なり出す騒音を止めたところまでは覚えている。後は凪子の可愛らしい声を待って爽やか
 
        な朝を始めようと…二度寝した。
 
        まさか一緒に寝過ごしたのかと、隣をさぐってももぬけの殻で。
 
        「凪子…?」
 
        京介の寝汚さに愛想を尽かして学校に行ってしまったのだろうか?
 
        それにしたって怒鳴ることも直接攻撃に出ることもなく、彼女が諦めるとは思いがたい。
 
        不審を抱きながら、寝癖だらけの髪をかき回してベッドを降りた彼は、開けっ放しの引き出し
 
        に危うくつまずきそうになって顔をしかめた。
 
        「…ん…?」
 
        中身が、ない。
 
        チェストの一番下は京介が彼女に与えたスペースで、Tシャツや下着が窮屈そうに溢れていた
 
        はずなのに、一枚残らず消えている。
 
        イヤな確信に乱暴にクローゼットのノブを引けば、凪子持参の旅行カバンも、ない。
 
        「聡介!!」
 
        一瞬にして原因に思い当たるのはここ数日2人のやり取りを見ていたからで、呑気のソファー
 
        に寝そべった弟の胸ぐら掴んで…殴った。予想外の衝撃に弟の体が壁に激突しようが心配する
 
        つもりなど全くない。
 
        「凪子の学校まで送ったる、謝ってき」
 
        ただひとえに気にかかるのは最愛の彼女のこと。
 
        「いきなりなにすんねや!勝手に怒って勝手に出ていった女のことなんか、知らん!」
 
        逆ギレして見え透いた言い訳をぶつ聡介に構っている暇などないのだ。
 
        着替えるため寝室に戻った京介は、追ってきた弟の声はことごとく無視した。いつもであれば
 
        気を使うコーディネイトも手近なTシャツと放ってあってジーンズで間に合わす。さすがに寝
 
        癖だらけの髪をどうしたものかと逡巡した数秒に脳が聡介の女々しい独り言を−聞く人がいな
 
        い場合どんな大声でも独り言である−キャッチするまで、口をきくつもりなど毛頭なかった。
 
        「ガキが同棲しとる方がおかしいやろ!家に帰るええ機会や」
 
        すっと頭の芯が冷えて、京介の顔から感情が消える。
 
        それは見事に怒りを表現する無表情で、一瞥をもらった聡介は口をつぐみ反抗的だった態度に
 
        ほんの少し怯えを滲ませた。
 
        「お前が凪子のどんな事情を知っとる言うんや」
 
        それっきり口をつぐんでしまった兄に感じられるのは背筋が寒くなるほどの怒りだけで、だか
 
        ら聡介は黙って従うしかなかったのだ。
 
 
 
        目立つから、やめて欲しいな〜。
 
        …が、正直な感想ね。昼休み、人づてに校門まで呼び出されたあたしは、キレイなお兄さんと
 
        弟さんに向き合っている。
 
        つまり京介、聡介兄弟が学校に押しかけて来ちゃったの。人目も気にせず、生徒が浮き足立っ
 
        てるお昼にね。
 
        「…悪かったな…」
 
        そっぽ向いて、めちゃめちゃ不服そうに発せられる謝罪を満面の笑みで受け入れる人がいられ
 
        るなら、余程人間ができてるって事ね。
 
        だって、あたしは更に気分が悪くなったから。
 
        「気にしなくっていいです。今日はかすみのとこ泊めてもらえることになったし」
 
        「…今日は、いうことは明日はまた帰ってくるっちゅーことかい」
 
        ぼそっと漏らされた声に、彼の真意が見える。
 
        ほら、ね。ちっとも反省とかしてないじゃない。悪いなんて欠片も思っちゃいないのよ。
 
        さしずめ北条さんに強要されて連れてこられた、が正解。後ろから冷気を放つほどマイナスオ
 
        ーラ出してるお兄ちゃんにちょっと腰が引けてるもの。恐いなら素直に言うことだけ聞いてお
 
        けばいいのに、根性なし!
 
        「帰りません。2,3日はいていいって言われてるし、その後は美和がおいでって言ってくれ
 
         たから。だって、あたしと北条さんの別れ話は、あなたがしてくれるんでしょ?」
 
        つまるとこ、会話はそこへ返って行くのだ。
 
        自分がいる間は目障りだから消えろって程度で止めておけば良かったのよ。
 
        あたしだって好きでいじめられてたんじゃないから、素直に友人宅を渡り歩くくらいしたわ。
 
        なのに究極の選択をさせようとするから、大事になるのよ。これはひとつきっちり話をつけて
 
        おかないと、後々やりにくくなるぞって、一大決心をさせちゃうハメになるの。
 
        ところが、2人で話していたんじゃないって事実が事態を悪化させたのだ。
 
        「…聡介…」
 
        ドロドロ真っ黒のおっかない声で、会話に割り込んだ北条さんが乱暴に弟を引き寄せる。
 
        総毛立つ無表情に、一瞬あたしも逃げたくなっちゃうような…。
 
        「随分おもろい約束したんやな」
 
        これは…ほら、あれよ。一度聞いたことのある声だわ。確か雅樹君と揉めた時にね、そう彼を
 
        蹴る前に…蹴る?!
 
        「わーっ!!待って、北条さん。ダメ!!」
 
        咄嗟に2人の間に飛び込んで、腕全部で怒れる彼を引き離した、までは良かったんだけど、な
 
        んでわざわざ聡介を助けたりしたのかな。結構ひどいこと言われたんだし、殴られるくらいは
 
        構わなかったんじゃ…。
 
        「って、なんでもう殴られてるの…」
 
        チロリと敵を伺ったあたしは、横を向いて聡介が隠していたらしいモノを発見してしまった。
 
        赤く晴れ上がった頬と口角。今朝言い合った時にはなかったんだから、あからさまにその後つ
 
        けられた傷。
 
        「北条さん!」
 
        めって叱ると、やっと彼の顔に表情が戻る。
 
        困ったみたいに少し笑って、でもなとあたしの髪をかき回して。
 
        「なんもせんのに、荷物全部もって凪子が消えることはあらへんやろ。部屋におったのは聡介
 
         だけなんやから、こいつひどいこと言うたんやろなって、したら一発殴っとこうかなぁて」
 
        「北条さんが起きてればこんなことにはならなかったでしょ?せめてクローゼットをバタバタ
 
         開けてる時に気がついて止めてくれたら、穏便におさまってたの」
 
        責任の一端は北条さんにもあるんだからね、って睨むと予想外に自分に転嫁されたことで彼が
 
        怯む。
 
        そのままちょっと反省してなさいな、こっちと決着つけちゃうから。
 
        くるりとカレシに背を向けて、不機嫌な顔で成り行きを見守って聡介にごめんと小さく謝った。
 
        「卑怯な真似してごめんなさい。ケンカするならちゃんと一対一でやればよかった。北条さん
 
         にはああ言ったけど、違うよね。ケンカしてたのはあたしとあなた、助けてもらうことばっ
 
         かり考えてきちんと向き合わなかったあたしが悪い」
 
        聡介が殴られたのを見て、初めて気づいたの。虎の威を借る狐みたいだなって。
 
        イヤミ言われても罵られても、北条さんが帰ってくれば助けてくれるとか傍にいれば守っても
 
        らえるなんて姑息なこと考えずに、きっちりケンカを買って言いたいこと言えば良かったのよ。
 
        この人は確かに言いたい放題でイヤな奴かも知れないけど、誰かの影に隠れてケンカしたりは
 
        しなかった。自力であたしに挑んでいたのに。
 
        「…アンタが謝ったら、俺だけが悪者になるやんか」
 
        聡介のふてくされた、それでも遠回しな謝罪にも取れる言葉を聞いて、微笑む。
 
        やっぱり、ね。自分の非は認められる、案外いい人なのよきっと。
 
        「もういじめん…とは言わんけど、分かれろや消えろは言わんから帰ってきい」
 
        北条さんとよく似た、真っ赤な聡介の顔が不思議と格好いいと思ったから、無意識に取り出し
 
        たハンカチで唇に残った血を拭う。
 
        「つっ!」
 
        「あ、ごめん」
 
        そっとやったつもりなのに、傷にヒットしちゃったみたい。飛び退いた聡介に一歩近づいて、
 
        指でリトライ。
 
        「うーん、取れない?」
 
        鮮血に見えたのに、固まってるのかな。
 
        確認しようと伸び上がった体をすくい上げられるまで、自分があまりにも聡介に近づいていた
 
        んだと気づけなかった。
 
        「こんなんほっとき」
 
        「えっ?」
 
        「単純、いうか、警戒心が足らん、いうか…」
 
        怒った北条さんと、聡介の声、どっちも何やら多分な呆れを含んでる?
 
        「あんな、ちぃと反省した言うても、所詮聡介やぞ?」
 
        「お前を嫌っとる事に変わりないな」
 
        「そ、それがなに」
 
        「無邪気なんもたいがいにせな…」
 
        「…甘ちゃん」
 
        どうして二人して、あたしを責めるの!怪我の手当とか、しちゃいけないの?!
 
        「聡介、近寄んなや」
 
        「京兄やあるまいし、ガキは趣味やない」
 
        ひそひそ交わされる兄弟の内緒話は、きっとあたしをバカにしてるんだ。だって、疲れた顔の
 
        北条さんに聡介は薄笑いって、表情がすっごい挑戦的だもん!
 
        「凪子…頼むからもっと危機感もって生きてな?」
 
        生きてるもん!!
 
 
 
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