18.
 
 
        手を振るタイミングを逸したばっかりに、マンション前で止まったまま動けなくなってしまっ
 
        た。
 
        雅樹君の親切に乗っかって、荷物持ちまでさせたしなぁ、お茶の一杯ご馳走しないと失礼だよ
 
        ね。
 
        …でも、前科あるから2人になるのは抵抗が…。
 
        「困んなくても俺、帰るから」
 
        和らげた眼差しで、レジ袋を差し出した雅樹君が笑う。
 
        「え、あの、お茶」
 
        「いいよ。まだ怖いって顔に書いてある」
 
        狼狽えるあたしにフォローを入れた彼は、最後に見た激しさを綺麗に隠して幾分大人びた風で。
 
        離れて冷静さを取り戻せば、弟ってより保護者みたいだった雅樹君がスマートに振る舞えるの
 
        当たり前なんだよね。
 
        「ごめん。でもさっきのことは感謝してるから。助けてくれてありがとう」
 
        1人じゃ美咲さんの思うつぼだったもん。
 
        「謝るなよ。凪子のこと悪く言われて黙ってらんなかっただけ。あのおばさんが言う通り、下
 
         心だってまだあるんだから、不純だぞ」
 
        ポンポンとあたしの頭に置かれた手が、乱暴に振り払われたのはその直後だった。
 
        「なにしとんのや、お前」
 
        息を切らせて、雅樹君を睨みつける北条さん。
 
        「ちょっと!そっちこそなにするのよ」
 
        今にも掴みかかりそうな男2人の間に飛び込んで、背後に弟を庇う。
 
        って言っても迫力には欠けるし、ちっちゃいもんだから存在感薄いんだけどね。
 
        「雅樹君はあたしを助けてくれたのよ。北条さんの行いが悪いから元カノに絡まれて大変だっ
 
         たんだから」
 
        「凪子?」
 
        「美咲さんがアパートの鍵を持ってる訳を聞かせてよ」
 
        そーよ、元はと言えば全部北条さんのせいじゃないの。
 
        女にだらしないカレシなんて持つから、あんな目にあったんだからね!…ってそれじゃあたし
 
        も悪いんじゃない。相手選ばないから…。
 
        「はいはい、落ち着けよ凪子。ケンカすんなら中でやれ」
 
        首を傾げてあたしのセリフを反芻してる北条さんに、レジ袋を押しつけた雅樹君は、ちょっと
 
        奈落の入り口で立ち止まった背中をエントランスに導いた。
 
        「こら!凪子に触るんやない」
 
        「喚くなよ、原因。これに嫌気が差したら電話しろよ、迎えに来るから」
 
        「だれがや!」
 
        爽やかな笑顔を残して去ってく雅樹君を、噛みつきそうな勢いで牽制してるけど、あなたそれ
 
        どころじゃないってわかってる?
 
        「北条さん?」
 
        にーっこり笑ってちょいちょい手招き。
 
        「なぎちゃん、ご機嫌悪いんか?」
 
        逃げ腰になって下手に出ても許しません。
 
        流れる汗も見えそうな北条さんを従えて、あたしはエントランスを無情に進んだ。
 
 
 
        「なーぎちゃん」
 
        すり寄ってくるお馬鹿さんから一歩下がる。
 
        「お座り」
 
        フローリング剥き出しに正座したら、きっと足が痛いわね。
 
        それでも怒ってるあたしに逆らうようなコトを北条さんはしない。素直に腰を下ろして、困惑
 
        気味の瞳を向けるのだ。
 
        「…美咲におうたんか?」
 
        怖々聞いてくるから、迫力持たせてゆっくり頷く。
 
        「待ち伏せされたの。スーパーの入り口でモデルみたいなお姉さんに」
 
        途端に顔をしかめるのは、まずいと思ってるからなんだろうけど、一体どこがあたしの気に触
 
        ったのかわかってんのかな。
 
        「鍵、言うとったな」
 
        あ、覚えてた。そう、合い鍵が問題なの。
 
        「別れたら返してもらうもんでしょ?美咲さんはコレが手元にある限り北条さんとは切れてな
 
         いって言ってたよ」
 
        「それはちゃう!」
 
        血相変えた北条さんが、腕を伸ばしてあたしを捕らえると胸の内に抱え込む。
 
        「俺はなぎちゃん一筋やん。うたごうたらいかんよ」
 
        ええい、くっついて誤魔化そうとするんじゃないの!
 
        小動物にするみたいに頬すり寄せて、ベタベタとあっちこっち触りまくって。
 
        シャツの裾から侵入しようとする手のひらを力一杯つねりあげると、甘ったれを引きはがす。
 
        「話をすり替えない。ど・う・し・て・美咲さんが鍵を持ってるの?」
 
        「ちっ、あかんか」
 
        やっぱりなし崩しに逃げようとしたわねっ!
 
        愚かにも口をついたセリフで本音を暴露なんて、北条さんらしくないわ。
 
        「正直に言わないと、呼ぶから」
 
        掲げて見せたのは携帯。雅樹君が去り際に何て言ったか忘れてないでしょ。
 
        「やめて。ちゃんと言うさかい、アレは呼ばんといて」
 
        ガリガリ頭を掻いた北条さんは、バツが悪げに視線を逸らすとあたしの手から携帯を取り上げ
 
        た。
 
        「なんや、ちょっと見んうちに余裕が出てきおって始末に悪いんじゃ」
 
        「…それって雅樹君?」
 
        さっきの短い会話で、そんなのわかったかな?
 
        「他におらんやろ。すんなり凪子を返すなんて芸当ができるんやぞ、アレに。つつけばムキに
 
         なった頃がなつかしいわ」
 
        「…北条さん、拗ねてる?」
 
        いじいじしちゃって、面白いの。
 
        携帯をソファーに放り出して、膝にあたしを乗っけた彼は長い息を吐く。
 
        「格好悪いやろ、俺。美咲に引っかき回されるし、小僧においしいとこ持ってかれるし、凪子
 
         は不機嫌や。合い鍵は渡したような気もするんやけど思い出せん。あの頃は欲しい言われた
 
         らなんも考えんとくれてやっとたしな」
 
        「えーっ!じゃあ、後何本出回ってるの?!」
 
        「わからん」
 
        わからんて…そんな無責任な…。自分の部屋に不法侵入できる人が山ほどいても気にならなか
 
        ったんだ。
 
        人選間違えちゃったよぅ。こんな人と一緒に住んでて、大丈夫なの?
 
        ひっついて泣き真似なんかしちゃうダメなカレシは、許しとけないよね。
 
        「全部回収してらっしゃい」
 
        すっくと立ち上がって、指突きつけて高らかに宣言すると不満げに北条さんの顔が歪む。
 
        「誰に渡したかも覚えとらんのやぞ?できるわけないやん」
 
        開き直るの、へー、そう。
 
        鼻先まで顔を近づけて、できる限りの甘い声を出しながらあたしは笑う。
 
        「北条さん、キス好き?」
 
        「大好き」
 
        嬉しそうだね、隙あらばしようとするもんね。
 
        「エッチも好き?」
 
        「三度の飯より好き」
 
        なんだろ、シッポの幻影見ちゃった。
 
        コレならかかるわ、間違いなく。
 
        許しが出たと勘違いしてる彼は、いつでも飛びかかれる体勢で『よし』の一言待ってるみたい
 
        だけど、そうは問屋が卸さない。
 
        「美咲さんから鍵を返してもらえたら、キスしてもいいよ」
 
        「…あ?」
 
        「他の人からも回収できたら、エッチもオッケー」
 
        「なぎちゃん…?」
 
        「できなきゃずーっと、おあずけね」
 
        だんだん曇っていく北条さんの表情が、最後の一言で無惨に崩れた。
 
        優位って楽しい!最近、いいようにあしらわれてたから挽回できるのがすっごい快感。
 
        「あたしが好きならできるよね?」
 
        だめ押しに言い募れば、うなだれた北条さんがこっくり頷いて、勝敗はついた。
 
        「…終わったら、覚えときや…」
 
        ちっちゃな呟きがいささか気にはなるんだけど、宝探しみたいなゲームがそう簡単に集結する
 
        とは思えない。
 
        コレで当分、平和な生活が送れるわ。お風呂に乱入される心配も、安眠を妨害される心配もし
 
        なくていいなんて、随分久しぶりだもん。
 
        勝利に酔いしれるあたしが、報復の恐ろしさを知るのはまた別のお話。
 
        …飢えた獣の恐ろしさ、かな…?
 
 
 
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