9.それを望んだわけではないけれど
 
 
 
           「あ、れ?」
 
           自分の置かれた状況がわからず、ヒナは首を傾げた。
 
           ガンガン耳鳴りがするのはなぜだろう、あちこち焼けたように痛むのは?
 
           「…っ!!」
 
           ああ、誰かが叫びを上げている。近くで、吐息が触れるほど近くで喚かれているの
 
           に、ちっともそれが意味を成さない。
 
           不意に頬を伝う汗が気になって、髪を掻き上げた。
 
           ぬるりと粘つくものが大量に手のひらを濡らし、違和感を覚えて目をやれば鮮やか
 
           な赤が視界を占める。
 
           「動かないで!」
 
           頭を巡らせ狼狽える暗い肌を認めると、血を流す自分よりはるかに青い顔をしたデ
 
           ィールがへたり込んだヒナを抱えて止血に全勢力を傾けていた。
 
           必死の形相で動きを止められるほど、重症なのだろうか。果たして何が理由で体中
 
           の肌を朱に染め、介抱される事態に陥ったんだったか…。
 
           ぼんやり彷徨わせた瞳が、派手な色彩に意識を止める。次いで散らばった金髪、ピ
 
           クリとも動かない小さな物体へ。
 
           …そう彼女と、ディールを…あたしは…。
 
           「あの子は…?」
 
           やはり死んでしまったのだろうか。間に合わずディールの力を受けて、命を落とし
 
           た?
 
           不安に曇らせた顔を上げると、穏やかな彼が初めて見せる激しさで言い捨てた。
 
           「知りません、そんなことはどうでもいい!あなたの方が大怪我を負ったのだと、
 
            わかっていますか?!」
 
           その様子と言ったら霞がかかっていたヒナの思考を一瞬でクリアにするほどの衝撃
 
           と、僅か離れた場所でこちらも傷の手当てに勤しむ殿下と魔女を凍り付かせるだけ
 
           の迫力を持つ。
 
           海色の瞳は怒りで深さを増し真っ黒の深海と化しているし、長い白髪も逆立ってる
 
           んじゃないかと疑いたくなる乱れようなのだ。
 
           絶えず冷静で、常に他人と距離を置き、決して感情を見せようとしなかったディー
 
           ルを支配する激情はもちろんヒナ以外にとって歓迎すべき事実なのだが。
 
           「…あれは、気の毒ではないのか…?」
 
           「元はと言えばあたしのせいなんだけどね…諦めてもらうより他、あるまいよ」
 
           魔力で全身を戒められ、動くどころか視線さえ己の自由にできないヒナは確かに憐
 
           れだ。彼女を封じ込められたことに少しの満足も見せず、まだ足りないのだと小声
 
           で呟く男の存在さえなければ、すぐにでも助け出してやりたい。
 
           だが、互いのためを思うなら、ここは忍の一字で凌ぐのが妥当だろう。…眠れる獅
 
           子をわざわざ刺激したら危険だと、知っているのだから。
 
           「何故です、一体何を考えていた?」
 
           一方、心配も度を過ぎると傍迷惑です、見本の彼は、人形のごときヒナを目にも留
 
           まらぬ早さで手当てする。迅速に丁寧で、多分の怒りを込めて。
 
           「私に罪を犯させない為、ではありませんよね?自分の手でヒナを殺してしまった
 
            ら、魔力を暴走させて自殺しますよ。世界中の誰が巻き添えになろうと、気にす
 
            ることなく」
 
           流し見られたヒナがジワリと汗を滲ませたのは知っている。必死に声を出そうと無
 
           駄な足掻きをしているのも。
 
           だが、まだ許す気は、ない。
 
           「他人があなたを殺したら、月を落として見せましょう。放っておいても滅びる人
 
            達ですが、ヒナの味わった苦痛を、私が抱えた絶望を少しでも感じて頂かなけれ
 
            ば、死ぬに死ねません」
 
           底冷えのする笑みに、少女はおろか殿下も魔女も震え上がった。
 
           ディールにとってそれは全て真実だから、実際ヒナが死んでいたのならこの土地は
 
           阿鼻叫喚で溢れていただろう。
 
           お仕置きは己の胸の内を聞かせること。優しい彼女の小さな無茶が、この世を滅ぼ
 
           す引き金になるのだと自覚してもらうこと。
 
           「わかりましたね?」
 
           念押しするディールに視線で力一杯の誓いを立てたヒナは、半泣きだった。
 
           昔、これと同じ表情をした人を見たことがある。確かすごく優しい保育園の先生で、
 
           園児から大人気だったクミコ先生。いろんな悪さも大抵笑顔で見過ごしてくれた彼
 
           女が、泥団子の集中砲火を受けて発した絶対零度の微笑み。
 
           以後、先生に逆らう無謀な子供はいなかった。
 
           大勢を相手にしていたクミコ先生より、ヒナ一人に視線を据えているディールは数
 
           倍怖い。魔力の激突に突っ込んださっきより、手当てされてる今の方がよっぽどピ
 
           ンチな気がする。
 
           「も、絶対無茶、しません!」
 
           誓約を聞くためだけに声の戒めが解かれて、いち早く彼の心中を察したヒナは声高
 
           に宣言した。
 
           状況次第で又やっちゃうかも知れませんが、取り敢えず誓います、一応本気です。
 
           「…どうしてでしょう?あなたの言葉を信じるより、決して手を離さないでいる方
 
            が正しい気がするのは」
 
           サラリと落ちた白髪の狭間から、困惑する瞳が見える。
 
           ああそれは、あたしの言葉に微量の嘘が含まれるからですよ。
 
           読み取られた真実に、ヒヤリと背中を伝う汗を誤魔化そうと、余計饒舌になるから
 
           いけない。
 
           「あ、ははは…子供じゃ、ないんだからさ、あたしだって言いつけくらいは守れま
 
            すよ〜ちょっとは考えて行動するから、ね?」
 
           「…ちょっと…?」
 
           しまったと、うっかり滑った口を押さえたって、後の祭り。
 
           背後でフォローを入れようとおたついていた2人も、覗き見たディールの表情にあ
 
           っさり傍観者に戻ることを決めた。
 
           「首に縄でも付けておきましょう…いっそ、私の飼い猫になりますか?」
 
           心配ですからね、と。幽鬼のような顔で言われて頷けるはずがない。
 
           「だって…っ!人が死ぬの見るのはイヤだし、ディールが傷つくのはもっとイヤな
 
            んだもん!!」
 
           ホントの気持ちを告げれば彼の気持ちも和らぐはずだと、大いなる打算をこめて、
 
           体が動けば抱きついてスキンシップもつけて、完璧な計画っ!と内心ガッツポーズ
 
           を決めるほど、この一言に対するディールの反応は良かった。
 
           剣呑に光っていた瞳が柔らかさを取り戻し、引きつり気味だった頬も自然と緩んで
 
           いる。
 
           「ヒナ…」
 
           そっと伸ばされ、髪を梳いてくれる指の優しい動きに勝利を確信しない人間がいる
 
           だろうか。
 
           「私はね、あなたの暖かな心根が大好きです。とても大切に思っているんですよ?
 
            例え計算ずくの言葉を吐く、手に負えない人だとわかっても」
 
           最後の一言に呼応して、ぎりりと身を縛る術が強くなる。
 
           軋みをあげるのは骨と、無数につけられた切り傷で、怪我人のヒナにとっては冗談
 
           じゃない拷問で。
 
           「い、いひゃい!ディールしゃん、いひゃいです〜」
 
           「わかってますよ、わざとやっているんですから」
 
           舌っ足らずな口調も、潤んだ瞳の訴えも全く通じなかった。どころか微笑むその人
 
           は、いらぬ迫力を増すばかり。
 
           「私の言うことを聞きますね?言いつけは決して破りませんね?」
 
           「うん、うん、守るから、やめて!」
 
           「…真面目に聞いてますか?」
 
           痛みから解放されたいばっかりに、おざなりな返事をしたのは危険行為だ。言葉に
 
           真が足りなければ、ディールはあっさり見抜いてしまう。
 
           で、恨みがましく睨まれて、なおいっそう強くなる戒めに悲鳴を上げると。
 
           「ごめんなさい〜、絶対言いつけを破らないって誓うから、助けて!!」
 
           「はい、約束ですよ」
 
           差し出された小指に、スルリと指を絡めた。
 
           いつの間に体が自由になったのか考えることもせず、日本では当たり前な約束の仕
 
           草に泣きながら約束を…。
 
           「ヒナっ!!」
 
           「およしっ!!」
 
           何故、殿下と魔女は叫んでいるのだろう。たかが指切りげんまんに、なんの危険が
 
           あると…。
 
           「えっ?!なに、なにぃっ!」
 
           僅かな熱と共に小指に描かれる真っ赤な輪は、ピンキーリングのようにヒナの、そ
 
           して相対するディールの小指にも現れ、ゆっくり離れた間を糸状の魔力が繋いでい
 
           る。
 
           まるで一昔前にあったという笑い話…いや、運命の赤い糸?
 
           「隷属の糸、というのです」
 
           「レイゾク?」
 
           嬉しそうなディールに問うのは恐ろしくて、諦めに頭を抱えたラダーを振り返った。
 
           その様子を見るだに、知らない言葉は知らないままの方が幸せな気がするのは何故
 
           だろう?
 
           「強制的な主従関係、だよ。お前さんは、ディールの言うことに逆らえない」
 
           「そいつが術を解かない限り、一生だ」
 
           途中で言葉を引き取ったヘリオの声が、ご愁傷様と聞こえたのは幻聴じゃない気が
 
           する。
 
           「ディ、ディール…?」
 
           まさか、そんな恐ろしい術を、本気で?
 
           信じたくないヒナだったが、現実は残酷だ。
 
           「ヒナ、私の腕の中へ」
 
           広げられたその場所へ、意志もへったくれもなく飛び込む自分というのは、明らか
 
           におかしい。体が一瞬、自由をなくすのだ。
 
           「ひ、ひどいっ!!こんなことして何が楽しいの?!」
 
           操られるのが好きな人間など、そういるものではない。ご多分に漏れず現状が大い
 
           に不服である抗議は、サラリと流される。
 
           「緊急時にしか使いませんよ。今のはどんな状態になるか実証してみただけですか
 
            ら。普段は決して命じないと誓います。ね、ヒナが言うより真実味があると思い
 
            ませんか?」
 
           そうかも知れない。ディールは彼女と違い、約束を違えることはないだろう。
 
           でも、どうしたって納得できないのだ。
 
           「ちょっとは信用してよっ!」
 
           ネックになってる問題を、声を限りに叫び上げる。
 
           「無理ですね」
 
           「無理だろう」
 
           「無理だな」
 
           その日彼女は、自分の正当な評価を知った。
 
 
 
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