10.              
 
 
 
           千年の時を経れば、真実などいとも簡単に歪むもの。
 
           知っているから女は笑う。
 
           「どこまでも愚かな…秘密とは即ち罪の証であると言うのに」
 
           気怠げに沈み行く太陽を眺め、登り来る月に大きく身震いした。
 
           ああ、なんとおぞましき光、そして愛しき光だろう。
 
           女が切望する全てを失い、必要とする全てを内包した月が、複雑に絡んだ運命を一
 
           心に引き寄せる。
 
           女と男、邪魔な夜…。
 
           「もう裏切ってはダメよ…?ねえ、あなた…」
 
           掌中で弄ぶ玉は目映い輝きを放って、婉然と微笑む女を照らしていた。
 
           影のない、純粋すぎる光の結晶を。
 
 
 
           「とっても不便な気がする」
 
           大げさにグルグルと巻かれた腕を指し、同じくミイラと化したラダーに抗議だ。
 
           「魔術を万能だと勘違いするんじゃないよ。己の内にある力を根源とする限り、人
 
            の傷を癒すのは術者の命を縮める行為だ」
 
           「えーっぱぱっと呪文唱えて治すとかできないわけ?」
 
           詐欺だなんだと叫びながら、ゲーム世代のヒナは理屈を飲み込むのに一苦労した。
 
           つまり、怪我の治療は術者の生気を削り分け与えること。怪我人をした当人の生気
 
           を使うことも可能だが、弱っている体でそんなことをした場合間違いなく死ぬので
 
           お勧めできないそうだ。
 
           痛くても生命に危険がないなら自力で治せ、ある意味現代日本よりアバウトな治療
 
           方な気がしなくもない。
 
           「ヒナが望むのでしたら、私の命をお分けしますよ?」
 
           「…いい、絶対いらない」
 
           上機嫌で延べられた腕を固辞すると、無駄と知りつつヒナは右手をそっと背後に隠
 
           した。意識すればきらりと光る糸が、ディールと自分を繋いでいるのが見える。
 
           『あなたへの愛故の鎖です』うっとりのたまった彼は、至極真面目な表情で、だか
 
           らこそ、命がけになんの躊躇いもないと信じられた。
 
           危ない。レイゾクの糸などという物騒なものを平気でつけられるいっちゃった人に、
 
           生死のかかった恩を売られた日には、奴隷扱いされかねない。
 
           限りなく純粋なディールの愛を、当然あり得る誤解で理解したヒナはできるだけ彼
 
           に頼らないと決めたのだ。
 
           気の毒な人なんだけど、優しいし悪気はないんだろうけど、ちょっと怖いから。
 
           「ラダー、ヒナが冷たいんですが…どうすれば?」
 
           頑なな態度で、ともすれば恨みがましい視線を送っているともとれる彼女が悲しく
 
           て、ディールは魔女に助言を求める。
 
           「隷属の糸を切ったらいいだろうに」
 
           下らない痴話げんかに首を突っ込みたくないラダーは、面倒ごとを遠ざけようと手
 
           をヒラヒラ振りながら言い捨てた。
 
           思いがけない嬉しい助言に期待いっぱいでディールを見やったヒナが、爽やか笑顔
 
           に頭を垂れるまで時間はかからない。
 
           「いやです。嫌われても避けられても、術を解く事はしません」
 
           「…それなら、好きなだけ冷たくされたらいいよ」
 
           「それもいやです。ね、助けて頂けませんか?」
 
           しつこく食い下がるディールに、ヒナの理性が音を立て、壊れる。
 
           「ちょっとラダーっ!乙女の自由を強制的に奪う男に協力なんてしないでよ?!」
 
           「ヒナ、私のしていることは全てあなたのためだとわかっていますか?」
 
           怒鳴る彼女にブリザードな声で忠告を入れる男、そしてあきれ果てる魔女。
 
           怯えてるのか怒っているのか混迷を極める状況に、ただ一人噛んでいなかった殿下
 
           がお伺いをたてた。…真実イヤそうに。
 
           「おい、娘が覚醒するがまだそれ続けるのか?」
 
           これでも皆一様に、ヴェンダの生死を気にかけている。
 
           ヒナは純粋に、ラダーは禁忌の術を使ってまで彼女を送り込んだ敵を知るために、
 
           そしてディールは…愛しき人を傷つけた制裁を加えるために。
 
           多少邪な思いも交じってはいるが、ともかく揺れながら持ち上げられた金髪に安堵
 
           の吐息が漏れたのは確かだった。
 
           「…大丈夫?」
 
           土に汚れた頬に触れようとした手は、ディールにそっと押しとどめられ訝しんで見
 
           上げれば小さく首を振る彼の瞳は、油断をしないようヒナに注意を促していた。
 
           ゆっくりと焦点を合わせ始める少女の様子がおかしな事に、最初に気づいたのは誰
 
           だっただろう。
 
           固唾をのんで見守る中、襲い来た時の邪悪なオーラが消え困惑と恐怖とがヴェンダ
 
           の幼い表情を支配している。
 
           「…誰?」
 
           微かに震えた声と怯え潤む瞳、なにより境界の魔女や太陽の罪人でさえ驚くほど無
 
           尽蔵に溢れ出ていた魔力が消え、名残さえ感じることができない。
 
           「ラダー…」
 
           「ああ」
 
           見交わした目は同じ答えを出していた。
 
           防衛本能−−さして珍しくもない己を守るためのそれは、あの時点で少女に発動す
 
           ることは困難であっただろう。魔力を強制的に引き出された時に意識の奥底に押し
 
           やられているはずだから、そうでなければ振るうことのできない力を持っていたの
 
           だから。
 
           だが、ディールの力を受けたことで何故か力は消滅した。闇の力を受けただけで起
 
           こりうることではない。
 
           ならば…。
 
           「ヒナ、お前さんがこの子の恩人だ」
 
           「褒めたくはありませんが、あなたは喜ぶでしょうから」
 
           代わる代わる頭を撫でられても、ヒナとそして殿下にはなんの事やらわからないの
 
           だか…。
 
           「えーっと、取り敢えずあたしの体にディールの力を通したのは正解だったんだ?」
 
           ヴェンダを助けるためには他に道がないとラダーに教えられた、その行動が吉と出
 
           て少女は生きている。
 
           「ええ、ヒナと私は魔力の相性もいいのですね」
 
           我が世の春とばかりに微笑むディールは相手にすまいと、3人は決めて目配せし合
 
           った。いちいち突っ込んでいては話が進まない。
 
           「なんであたしは怪我してないの?」
 
           山とある疑問を端から片づけなければと、ヒナはラダーに指折り質問をぶつけるこ
 
           とにする。
 
           まず第一に魔力の貫通したはずの腹部に傷が無く、衣服だけが大きく裂けている理
 
           由を知りたい。
 
           「夜の娘を純粋な闇や光の力で傷つけることはできない、と言うことだ」
 
           サラリと流された言葉にも新たに謎が増えていく。
 
           「闇と光の力ってなに?魔力に種類があるの?」
 
           「あるよ。例えばあたしの使う力は火、光と闇とを半々に混ぜてその上に生来宿す
 
            属性の色を乗せるんだ。その娘は水の刃を使ってたろう?」
 
           「うん、痛かった」
 
           思い出した苦痛に眉をしかめたヒナを背後からディールが包み、外套の奥深くしま
 
           い込む。
 
           「こうしていれば安心ではありませんか?」
 
           気遣いは嬉しく微笑んで見せて、しかし彼女は謎解きにこそ夢中なので。
 
           「ディールの力は、なに?」
 
           「…闇、だよ」
 
           一瞬言い淀んだ魔女が、チラリと漆黒の肌に視線を送り続けた。
 
           「本来の魔力も、属性も全てが塗りつぶされた純粋な闇。それがディールの宿す力
 
            さ。世界中の誰も持ち得ない…いや、そんなものを使おうとすれば身を滅ぼす悪
 
            魔の力。…ごらん」
 
            ラダーが指さした先に血だまりが、土の上を点々と変色する赤がヴェンダの胸元
 
            の衣服を染めていて、ヒナは首を捻る。
 
            「あれ…?この子怪我してたっけ?」
 
            外傷は無くただ意識を失っているとヘリオは言ったのに、どこかに見落としでも
 
            あったのだろうか。
 
            問いかけに顔を曇らせた魔女は、すっとヴェンダの額に指先を触れた。
 
            淡い光が少女の姿を霞ませたのと、くずおれる人形のような体をヘリオが支えた
 
            のは同時で。
 
            「聞かせたくない話なんでね、眠ってもらった。あの血はあの子が吐いたんだよ。
 
             体の中、臓腑が魔力の放出に耐えられず悲鳴を上げていたところに闇の力だけ
 
             を大量に取り込んで行使したからね…陰陽(いんよう)のバランスが崩れたん
 
             だ」
 
            「…陰陽って知ってるよ、太極のマークでしょ」
 
            ラダーの説明に知っている単語を見つけたヒナは、地面に指でうろ覚えの形を刻
 
            む。
 
            円の中央を蛇行して仕切る線と、片側に黒片側に白を配した印。
 
            覗き込む皆に白がプラスの、黒がマイナスのエネルギーを、マーク自体は全ての
 
            ものに存在する光と闇を表しているのだと解説するとディールが同じだと頷い
 
            た。
 
            「こちらの世界でもその二つの拮抗は、決して崩してはならない決まり事です。
 
             理を外れた力を使うのは私一人。それは絶大な魔力ですから望んで光へ、闇へ
 
             と術を変貌させる者もいる。けれど果てに得るのは消えかけた命だけ、あのよ
 
             うに」
 
            「えっ?」
 
            ディールの視線の先でヘリオの腕にぐったりもたれる小さな体は、なんと疲労の
 
            色の濃いことか。子供特有の溢れんばかりの生気はなく、病でも患っているかの
 
            ように弱々しく儚げだ。
 
            「お前さんが命がけで助けたのにね…あの子の時間は残り少ない…」
 
            ラダーの沈んだ声で事実を語っているのだとわかるから、ヒナは俯き黙り込む。
 
            敵であったのに様子の変わってしまったヴェンダ、か弱い少女にしか見えない彼
 
            女の死期が近い…?
 
            「なんとかすることは…」
 
            「…できません。私の力を受けて死なずに済んだ、これだけが彼女の幸運です。
 
             なぜなら…後一度でも水の刃を作り出せば、命を落としていたでしょうから」
 
            ディールは悲しげに微笑みヒナの目蓋を塞いでしまう。
 
            「魔術は万能ではない。ラダーにも私にも死にかけた人を助ける力はないんです。
 
             あなたにそんな目で見られては、自分の無力が身を裂くように辛い」
 
            誰だって子供を見殺しにしたいわけはないと、唇を噛みしめてヒナは微かに頷い
 
            た。無理を望むのはよそう。3人とも彼女の願いを聞き入れられぬと心を痛めて
 
            しまうから。あるがままを受け入れなければならないこともある。
 
            「あたしの体を通して、闇の力は変わったの?夜の娘は傷つけないってラダー言
 
             ってたけど、普通の人は怪我をする?」
 
            「おそらくは。私の力は本来人を塵にしますから」
 
            己を気遣って話題を変えたヒナの頬に口づけを送ると、ディールはそっと手を外
 
            す。
 
            「ディール…?」
 
            聞いた言葉の内容より、感じた不穏な柔らかさに大いなる疑問を抱いた彼女だっ
 
            たが、話の脱線を恐れた魔女が強引に話題を引き戻した。
 
            「伝説だよ−−夜の娘は、世界が失った光と闇を均等に身に宿す。この地上いか
 
             なる闇も彼女を染めず、いかなる光も彼女を輝かせることはない。拮抗は夜の
 
             娘だけが持ちうる魔力だ−−ヒナが伝説通りの夜の娘なら、ディールの力はお
 
             前さんを傷つけず、拮抗を取るのがお前さんの持つ魔力なら媒体として使えば
 
             闇は均等に光を宿すんじゃないかと考えたんだよ。成功したようで、純然たる
 
             光と闇に焼かれたお嬢ちゃんはショック療法で防衛本能を発動させ、魔力その
 
             ものを体の奥深く封じてしまった。これが事の成り行きだ」
 
            わかったような、わからないような…。
 
            「えっと、とにかくディールの魔力はあたしを通すと無効化するのね?」
 
            ロールプレイングゲームにそんな術があったような気がする。自分にも隠れた才
 
            能があって、それが役立つならすごく嬉しい。
 
            プラス思考バリバリで聞いたのに、ラダーもディールも、ヘリオまで苦虫を噛み
 
            つぶしたように複雑な表情でヒナを見る。
 
            「嬉しそうに言うがな、味方の攻撃だけを無効にする力など我々の助けには全く
 
             ならんと気づいているか?」
 
            辛辣な殿下を攻める者はいない。全面的にヒナの味方だと言ったディールさえ無
 
            言だ。
 
            やっぱり役立たずな自分が、ちょっぴり嫌いになったヒナだった。
 
 
 
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