8.無力に泣く       
 
 
 
           「ラダーっ!ラダーっ!離してよ!!」
 
           切り裂かれ、ボロボロの姿で倒れ伏す彼女に近づくのをディールが止める。
 
           振り払えない力で、押さえつけるでなく抱きしめて。
 
           「落ち着いて、ヒナ。どうか良く見て」
 
           「落ち着けっ?!アレを見て?!バカ言わないで、離してディール!」
 
           ピクリとも動かないラダーをどうして見られよう。滲み出た紅い液体がジワリと土
 
           に染みるのを、何故放って置けるのだ。
 
           「殿下がいます、致命傷は防いでいますから」
 
           確かにあちらこちらに切り傷をつけて、大剣を構えたヘリオは魔女の近くで立って
 
           いる。数ある刃のいくつかは、彼が身を挺して防いだのかも知れない。
 
           けれど、現実が変わるわけでないのだ。血塗れで横たわるラダーが無事なわけでは
 
           ないのだ。
 
           あの時、強く守りたいと願う人の中にラダーがいないと何故思えたのだろう
 
           誰1人関わった人を死なせたくないと、考え及ばなかったのだろう。
 
           「やだよ…起きて、なんでもないって言ってよ…」
 
           時が巻き戻ればいいのに、リセットできたら悲しい事などヒナの身に起きはしない
 
           のに。
 
           「きゃはははははっ!ばっかねぇ、泣くことないじゃない。アンタだってすぐ同じ
 
            姿になるのに!」
 
           ハラハラとこぼれ落ちる涙を嗤われても、言い返すこともできない。口惜しくても
 
           己が持ち得ない力に対抗する術を持たない。
 
           「させませんよ、ヒナにはどんな傷も負わせない」
 
           だから、自分を庇って前に出るディールを必死に引き戻そうとした。
 
           「ダメ、行ったらラダーみたいになる」
 
           それより逃げよう、と。情けないが戦って勝てるとは思えないから、幼い見かけに
 
           反してあの魔女の持つ力は脅威だから。
 
           「ではこの状況でどうしろと言う。どこまで逃げようと、こいつは必ず追ってくる
 
            ぞ」
 
           ラダーを抱えヘリオがヒナの元まで歩み寄る。
 
           「…生きている。少し頭を冷やすんだな」
 
           そっと膝に乗せられた魔女の顔は幾分血で汚れていたが大きな傷もなく、外套の裂
 
           けた腕や足からの出血はひどかったが体幹部には全く損傷が無かった。
 
           「ラダー…?」
 
           「…バカだね、泣くんじゃないよ」
 
           小さな呼びかけに反応もある。弱々しい叱責は余計にヒナの涙を誘ったが、魔女の
 
           目はもう彼女を見てはいなかった。
 
           「あの娘の力は、人にあるまじきもんだ」
 
           「…増幅、ですか?」
 
           激しく斬りかかるヘリオを視界の端に捕らえつつ、老獪な魔女の見解にディールは
 
           耳を傾ける。
 
           子供の体には大きすぎる魔力は、彼にも不審を抱かせていた。
 
           本来魔術とは光と闇とを均等に配合し、己の身の内に宿る属性を乗せて放出される。
 
           それは火であり水であり、生まれながらの資質に頼ることが多いのだが、決して侵
 
           してはならない一線も存在した。
 
           魔力の増幅。
 
           魔石に頼り、他者の力に乗り放たれる力とは違う、体の限界を超え眠る力を揺り起
 
           こす禁忌の術だ。
 
           子供の小さな器では負担が大きすぎる魔力は、大半がその成長を待ってゆっくり目
 
           覚めの時を迎えるものだ。だが、外部から手を加え肉体の悲鳴を無視したのなら、
 
           成人で初めて持ち得る力を得ることができる。
 
           命を縮め、死期を早めながら。
 
           「それだけじゃない、魔力に光の欠片も見あたらないんだよ」
 
           「…まさかっ!」
 
           驚愕に振り返ったディールに示されたのは、ラダーの腕に走る闇色の傷だった。
 
           あるはずのない、色。纏うはずのない負の匂い。
 
           「拮抗を欠いた力…」
 
           太古の昔、月を隠した忌むべきもの。ディールだけが身の内に潜ませる、おぞまし
 
           き陰。
 
           バランスを失った陰陽は人に絶大な力をもたらすが、深く身を蝕み放った魔力の分
 
           だけ命数を奪っていく。
 
           「だから、アンタの魔力を僅かでも受ければ…あの子は死ぬ」
 
           純粋に闇だけを練り上げた力が、ヴェンダの器に満ち溢れ破壊する、と。
 
           魔力に光を持たぬディールは魔術師と呼ぶにはあまりに異端で、人と呼ぶにはあま
 
           りに危険な存在であった。
 
           故に人々は彼をこう呼ぶ。『太陽の罪人』恵をもたらす輝きを拒絶した、闇の使い
 
           と。振るうことを禁じられた力を操る忌み人と。
 
           「では…私が罪を犯しましょう」
 
           ヒナを守るために、彼女のために戦うラダーとヘリオを守るために。
 
           静かな決意に迷いはなく、見据える瞳に陰りは見えない。
 
           罪人と呼ばれる自分を憂いに満ちて眺めた己は消えたのだ。
 
           ディールは人だと、汚れてなどいないと受け入れた少女の為に犯す罪に、なんの迷
 
           いがあろう。
 
           「ダメッ!悪いことしたら、ディールはまた傷つくよ!」
 
           彼とラダーの話は全くわからなかったが、ヒナにも理解できたことがある。
 
           弱い自分のせいで魔女は死にかけ、ディールはヴェンダを殺そうとしているのだ。
 
           謂われなき罪に人生を狂わされた彼が、本当の罪人になってはいけない。ましてそ
 
           れが自分のせいであってはならない。
 
           「では、皆ここで死にますか?彼女の度を欠いた力はラダーでも防げなかった。只
 
            人である殿下にもちろん勝ち目はない。残された道は私が彼女を殺すか、皆一緒
 
            に殺されるかしかないのです」
 
           「…あの子はあたしだけを始末するって言った。…みんなが殺されることは…ない
 
            よ」
 
           その現実はとても怖くて、受け入れると言葉にするのはきれい事でしかないのだけ
 
           れど、ヒナに選ぶことはできなかった。
 
           人殺しは犯罪だった社会から、身を守るためには人を殺すことを選択する常識を見
 
           つけることができない。子供を殺して自分が生きることを考えることができない。
 
           「目をつぶっているといいですよ。彼女を消すのはあなたでなく、私だ」
 
           震える肩にそっと触れて、微笑むディールを見たくない。
 
           「この世界では…人を殺して罪にならないの?」
 
           だから簡単に人間を傷つけるのだろうか。
 
           「身分のある者が襲ってくる賊を排除する分には」
 
           現状がそうだと、ディールが言うことはわかる。けれど彼は感情もなく人殺しをで
 
           きるようには見えない。
 
           「さあ、瞳を閉じて、耳も塞いでいなさい」
 
           ジリジリと押され始めたヘリオに、彼は温かな手をヒナの瞳にかぶせた。力なく落
 
           ちる腕を引き上げ耳を覆う。
 
           「限界だ…っ!ディール!!」
 
           切羽詰まった声に衣擦れの音を残して、彼が行く。
 
           「…あたし、あたしは…」
 
           自分だけ逃げ込むことはきっと卑怯で、ヒナはディールの施しを拒絶した。
 
           闇色の肌の上、凝縮された力が丸みを帯び収束していくのを、楽しそうに微笑んだ
 
           少女が再び輝く刃を作り上げていくのを。
 
           「ラダー…『夜の娘』なんて何もできないじゃない…」
 
           大層な呼び名がついているだけで、こんなにも無力だ。
 
           「…では、行くかい?ディールの力を、アンタの体に通してみるかい?」
 
           それにどんな意味があると?少女を殺さず、彼に罪を負わすことをせずに済むと?
 
           「あたしも自信がある訳じゃない。ただ…もしアンタが予言された通りの力を宿す
 
            とすれば…救うことはできるかも知れない」
 
           「……やるっ!」
 
           どんな結果が出るかは知らないが、ヒナにだけそれが可能であるなら黙ってみてい
 
           るのは嫌だ。
 
           「お待ち…っ!失敗すれば…」
 
           言い募るラダーの頭をそっと地面に横たえて、放つばかりとなった闇色の球体の前
 
           に飛び出す。短い距離を全力で走って、はじき出された力と力の真ん中に。
 
           「ヒナっ!!」
 
           「このバカ!!」
 
           死ぬ事なんて、一瞬忘れていた。ラダーを切り裂いた刃も一緒に飛んできている事
 
           実は綺麗に記憶から抜けていた。
 
           只黒い衝撃と、鋭い痛みが体を駆け抜けていった事実だけを、はっきりと覚えてい
 
           る。
 
 
 
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