6.安全な道行き      
 
 
 
           開き直れば怖いモノ無し、で。
 
           矢でも鉄砲でも持ってこい、当たって砕け散るのは…御免被りたいのだけど。
 
           「ディールが守ってくれるもんね」
 
           「…?ええ、もちろん」
 
           脈絡なく話しかけられても、笑顔で彼は返してくれる。
 
           何しろ強力な守人だ、街一個壊滅させられる最強の魔法使いだ。
 
           いざというときは頼んじゃおう。
 
           見上げる位置に顔がある人の腕にしがみつくのは結構な重労働なのだけれど、ヒナ
 
           はいとわない。夜が明けて、張り付いた2人がすやすや眠るのにヘリオとラダーが
 
           顔をしかめたけど、そんなことは知らない。
 
           決めたのだ、率先して自分が触れると。汚れることなどありはしないと体で証明す
 
           るのだ。
 
           「…なんだか新婚夫婦にくっついて歩いてる気分だよ」
 
           「そうだな。胸焼けのする光景だが、…悪くない」
 
           一歩後ろを進む殿下と魔女は、顔を見合わせクスリと漏らす。
 
           昨夜何があったのか、知る術はないが今日は何故だか気分が良かった。
 
           ディールは昨日にましてご機嫌で、ヒナは子猫を守る母の如く彼から片時も離れな
 
           い。色恋と言うよりは子供のままごとに近いが、和む空気に違いがあるわけでなし、
 
           彼等にとって望ましい結果に決まってる。
 
           「後は問題なくガスパに着くことを願うんだがな」
 
           陽気に晴れ渡った空とは逆に、ヘリオの声は曇っていた。
 
           「気がかりでもあるのかい?」
 
           水鏡に微かに現れた凶兆。ラダーはただでさえ不安定なヒナを動揺させまいと黙っ
 
           ていたが、何かわかるのなら情報が欲しい。
 
           異世界の娘を自分達の事情で巻き込んだのだ、身の安全くらい保証してやるのがせ
 
           めてもの努めだと彼女は思っている。そのために長き時を生きながらえたのだから。
 
           「『夜の娘』が既に神殿に入ったことは聞いていよう?」
 
           潜めた声に魔女は頷くと、覗き見た冷たい横顔を思い出す。
 
           揺れる水面から伝わる邪な感情と、暗い野望。
 
           「偽物には違いないが…何故すぐにもばれる嘘をついたのかね」
 
           月の玉にただの闇は写すことができない。どんなに思いを込めようと、願いを捧げ
 
           ようと、清廉な光りは拒絶を表して淡く輝くのみである。
 
           「そこがわからないのだ。救い主を語れば大罪を被る。生きたまま磔に処され、鳥
 
            に肉を啄まれる痛みに、音に耐えながら死す。尤も残酷で重い刑罰を受けるため、
 
            一時の享楽に溺れるバカが存在するとは思えない」
 
           「だが、いた」
 
           現に神殿でかしずかれ、あがめられる自分に浸っている。
 
           夜を知らぬことは自分自身が一番わかっていように、日を重ねれば何一つできぬ己
 
           を怪しむものが出ると気づいていように。
 
           「そこに謀略の匂いがする、と言いたいわけだ」
 
           「…ああ。思い過ごしならよいのだがな」
 
           ヘリオの杞憂で終わるはずがないと、ラダーは確信した。当の王子自身もそう考え
 
           たからこそ、わざわざ口に出したのであると。
 
           「ふん、まあなるようになるだろうよ。どのみちあちらが動いてくれなきゃ手の出
 
            しようがないからね」
 
           だから、今はあの微笑ましい2人を眺めていようじゃないか。
 
           まなじりを下げたラダーに、ヘリオも不吉な予感を一時振り払う。
 
           成すべきことは一つだけ、『夜の娘』と『太陽の罪人』を無傷で神殿へ送ればいい。
 
           何があっても動じそうもないヒナ、自分より遙かに強いディール。
 
           脳天気カップルならなんとかしてくれそうな気がするのだし。
 
           「げっ!」
 
           踏みつぶされたカエルのごとき声を上げて、ヒナの前進が止まった。
 
           訝しんで視線の先に目をやれば、同道する3人には変哲もない光景で。
 
           「アレ、やばくないの?」
 
           明らかに何か作物を作っていると思われる土地に、群れる昆虫は黒い山となってそ
 
           れらを食い荒らしている。
 
           不気味で、地球上では異常気象の末に起こる惨劇に見えるのだが、ヘリオはなんで
 
           もないと首を振った。
 
           「当たり前のことだ。収穫の半分はああして自然にいる者達に還る。生きていくの
 
            に糧を必要とするのは人間だけではあるまい」
 
           当然の理だとラダーもディールも頷くが、それにしたって納得がいかなかった。
 
           「わかるけど、でも変じゃない。イナゴ?バッタ?昆虫があんな大挙しないよ、普
 
            通」
 
           無農薬野菜がスーパーで幅を利かせ始めた昨今、彼女だってキャベツに青虫が空け
 
           た穴がついているのを知っている。虫が食べたら死ぬようなものを口にするのは怖
 
           いから、葉っぱの一枚や二枚彼等と分け合うことになんの不平もない。
 
           だが、生物の繁殖という観点から考えたらおかしくはないだろうか。
 
           子孫をたくさん残す生き物は次世代に命を繋ぐまでに補食されることが多い筈だ。
 
           「イナゴを食べるのは雀だってお祖母ちゃんが言ってたけど、もしかしてこの世界
 
            にはいない?」
 
           素朴なヒナの疑問は、ディールとヘリオに困惑顔をさせただけで、重い口を開いた
 
           のは境界の魔女だった。
 
           「いるよ、だけど絶対的に数が少ない。お前さんはここで暮らしてまだ一月だが、
 
            その間鳥を何度見た?」
 
           「うーんと…あれ?鳥、あんまり見てない…それだけじゃない、生き物をほとんど
 
            見ないんだけど」
 
           夕暮れになると編隊を組んで西の空に消えていく渡り鳥も、早朝爽やかな泣き声で
 
           起こしてくれる小鳥にも、ヒナは遭遇したことがない。草原には止まり木がないせ
 
           いかもしれないと考えることもできるが、希に訪れた街でも犬や猫のペット、昨夜
 
           の野宿でも彼等3人には獣を警戒する気さえなかった。
 
           「殿下が救おうとする世界の危機が、そこにある。地下水が涸れ始め、水を大量に
 
            必要とする大型動物が森から消えた。彼等が餌にしていた草食動物も乾いた草木
 
            で命を繋ぐことが難しく、鳥が減っているのも枯れていく木々に身を休めること
 
            ができないからだ。水が無ければ生きることはできない」
 
           「…生態系が狂ってるんだ…」
 
           ゆっくりと歯車を外し始めた自然が、生けるもの全てを滅ぼしていく。作物を食い
 
           荒らす昆虫も、巨大化した植物も目に見える異変。
 
           「そうか…あたしが夜を取り戻さなきゃいけない理由、こんなにはっきり見えてる
 
            じゃない」
 
           ディールを救うだけではダメなのだ。二度とあの世界に還ることができないのなら
 
           ば、今ある世界を守らなければヒナもやがて破滅の道を辿ることになる。
 
           「やっとわかったよ。…うん、もっと真剣になる」
 
           どこか遠い世界の出来事でなく、身近な問題として。自分にできることをしよう。
 
           「すまんな、お前が元の場所にいたのなら、決して巻き込まれることはなかったの
 
            に」
 
           「そうですね、旅をすることもなく平和な日々を送れたでしょうに」
 
           「うーん、どうだろう」
 
           神妙に少女を見やる2人に、苦く微笑む。
 
           「あたしの世界も似たり寄ったりだよ。人間はいつでも誰かに迷惑かけて生きてる
 
            んだね」
 
           自然と共存できなければ、それはいつか滅びに繋がっていくのだろう。
 
           けれど、こちらの方が余程マシかも知れない。どうすれば壊れたものが元に戻るの
 
           かわかってるのだから。
 
           「夜があっても、困ることがあるのですか?」
 
           他に起こる重大事など知らないディールの質問に、ヒナは曖昧に頷いた。
 
           文明に大差がある彼等には理解できることでないから、説明のしようが無い。
 
           「ま、責任を誰かに擦り付けてるって点だけは、変わんないかな」
 
           個人攻撃でなく国家レベルだから、ディールみたいにつらい運命を背負う人はいな
 
           いけれど、その内嫌でも直面するだろう。
 
           自己の責任てやつに。
 
           「とりあえず夜は奪還するし、ディールの汚名も返上しちゃうから、楽しみに待っ
 
            てて」
 
           深刻になるのはたくさんだ。昨夜一生分悩んだのだから、明るく楽しく世界を救お
 
           うじゃないの。
 
           飛び込んできた小さな体を抱きしめて、彼は熱くなる胸を諫めるのにだいぶ苦労し
 
           たとかしないとか。
 
 
 
 
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