5.身の内の闇       
 
 
 
           目新しいモノ、初めての旅、どれもいい隠れ蓑になった。
 
           訳もわからず異世界に引っ張り込まれて1月、ヒナはここで起きている深刻な問題
 
           をラダーから学び理解した。
 
           消え失せた夜、纏わる不幸な歴史、覇権を得るため『夜の娘』を躍起になって捜す
 
           各国。
 
           どれも自分と関わりがあるとは思えず、魔女と2人の生活に慣れれば慣れるほど、
 
           大層な使命は他の誰かが果たしてくれるだろうと思い始めたそんな時、彼等が現れ
 
           た。
 
           『尤も真剣にお前さんを求めているのは「罪人」を引き入れたガスパの皇太子だろ
 
            うね。見上げる立派な体躯に金の髪、大剣を背負った男と、漆黒の肌に長い白髪、
 
            深海の瞳に底知れぬ闇を宿した男が迎えに来るだろうよ」
 
           水鏡を覗き込んだラダーの言葉を信じていなかったわけではない。
 
           漠然とよそ事のように感じていた、それだけだ。
 
           扉の向こうに立つ深い闇色に懐かしい感傷を覚えはしたが、同時に言いしれぬ恐怖
 
           も感じた。
 
           この人は、引き返せない道にあたしを引きずり込む。
 
           ラダーは使命に危険を伴うことはないと断言した。けれどたまに訪れる街の者が夜
 
           の神殿に『娘』が招かれたと話すのをヒナの直感が警告する。
 
           なぜ2人?世界の命運を握り、後の世を支配するとまで言われる人間が複数いたら
 
           火種になるんじゃないの?
 
           確かに夜を取り戻すのに命を脅かされることはないかも知れない。けれど、道程に
 
           不安を感じてしまう理由は何?
 
           気を抜けば飲まれそうになる疑心に抵抗して、昼は呆れるほど無邪気にはしゃぐ。
 
           そうして、『眠りの太陽』に人の気配が無くなれば、隠した本音が暴かれるのだ。
 
           「帰りたい、帰りたい、帰りたい…っ!」
 
           押し殺した声で望むのは、決して戻ることのできない故郷。
 
           退屈に押しつぶされそうな毎日を嘆いたことはあっても、明日死ぬかも知れない現
 
           実と向き合ったことはない。
 
           夜を知るだけでこの世を救えるなら、ヒナがその荷を背負う必要など無いはず。
 
           不幸に起きた偶然が、得体の知れない必然で彼女の命運を回している。
 
           初めの頃は王子だ使命だと、お伽めいた思考で遊ぶこともできたのに今はそれも叶
 
           わない。
 
           人を救うのは生半可な覚悟でできることではない、らしい。どれほど小さな問題で
 
           も、人のために自己を犠牲にするのは並々ならぬ決意が必要だ。
 
           大切な誰かを救おうと思えれば、ただ1人でいい失えない人がいれば消えない勇気
 
           が手にはいるかも知れないのに。
 
           「ラダー?ヘリオ?…ディール?」
 
           魔女は良くしてくれた。軽口を叩くこともできるほど馴染みもした。
 
           王子の願う平和はわかる。身分をひけらかすことなく接してくれるのも嬉しい。
 
           罪人と呼ばれ月を取り戻すその日まで解放されない苦痛を消してやりたい。
 
           なのにそのどれも、強い想いには変わらない。身近に迫っているはずの破滅は目に
 
           見えるほど差し迫ってはいないから、このままでも良いような気がしてしまう。
 
           「できない、絶対無理…」
 
           生まれて16年、絶対越えなきゃいけないハードルは高校受験がいいところで、失
 
           敗してもやり直しが利く、程度。
 
           リセットできないゲームなど、したこともないし、したくもない。
 
           等間隔で距離を置いて、安らかな寝息を立てる人達を前にヒナは主人公にはなれな
 
           いんだと実感した。
 
           震える指先を眺め、ごめんなさいと謝った。
 
           すいません、すいません…逃げてもいいですか?
 
           この隙に、明るい月に皆が眠りについてるこの隙に、行く当てさえもないけれど。
 
           不意に陰が射すまで、人の気配に気づけないほどヒナは追いつめられていた。
 
           「…なにを、怯えるのです?」
 
           心地良い熱が、固く凍り付いた肩を抱いた。震える指先を包んだ。
 
           「えっ…?」
 
           誰にも、起きていることさえばれていないと思っていたのに、純白のカーテンの隙
 
           間から労りを含んだ瞳が覗いている。
 
           真正面から、弱い自分を見透かしたその視線が、怖い。
 
           「あなたの恐れが、私を引き寄せる」
 
           サラリと、頬に落ちた髪が払われた。
 
           「不安が、伝染する」
 
           俯いた顎が、引き上げられた。
 
           「…困る、よね」
 
           海の青に、写される自分を見るのが嫌でヒナは目を閉じ微笑むと夜を求める。
 
           「暗くないから隠れることもできない、闇が無い」
 
           全てを覆い隠す夜が、恋しい。例えいくつもの明かりが灯っていたとしても、必ず
 
           見つけることのできた暗闇がここにはない。
 
           白日の下に晒され続けることが、悩みを宿す身にこれ程つらいとは思わなかった。
 
           夜陰に紛れて悲しみを癒すことが、これ程重要だとは知らなかった。
 
           「…ならば、どうぞ私の陰に」
 
           羽織った外套の内にヒナを抱き込んで、彼だけが持つ夜を分け与えよう。
 
           そう、聞こえた。
 
           すっぽりとくるめば、光りを遮りあなたにだけ夜が来る、と。
 
           「ディールは、温かいね」
 
           偽りの夜ではあるが、真実でもある。鼓動だけが響くここは、目を閉じたヒナに一
 
           時の安らぎをくれるから。
 
           「そう言うのはあなただけです。私は忌み人ですから」
 
           自嘲する声のその深さが、何故だか自分の抱えるやるせなさとだぶって、彼女はせ
 
           っかく沈んだ安寧から顔を覗かせる。
 
           光りに尚輝く、漆黒の闇。
 
           「イミビト?」
 
           耳慣れない言葉は、決して良い響きを持たない。
 
           「はい。世界から夜を奪った忌むべき存在。だから誰も私に触れない」
 
           「どうして?悪いのはご先祖様じゃない」
 
           綺麗な黒なのに、触れば汚れるとでも言うのだろうか。
 
           全身をくまなく衣服で覆っているのは、炎天下に手と顔を僅かに覗かせるだけの暑
 
           苦しい格好をしているのは、まさか人目からその色を隠すため?
 
           てらいもなく伸ばされた指で、遠慮無く顔の輪郭をなぞる。柔らかな肌は血潮の通
 
           う人間の証、漆黒を纏うのは珍しくはあるけれど、心まで染まっている訳でない。
 
           「…ヘリオは?ヘリオは違うでしょ?」
 
           一緒に旅をしてるんだもん、下らないことに構ったりしない、気がする。度胸もあ
 
           りそうだし。
 
           「残念ながら。怒りと絶望は人々の心に深く根付いているので」
 
           諦めに揺れる瞳が口惜しくて、涙がにじんできた。
 
           怒りを覚えてたまらず、微笑む口元をつねり上げた。
 
           「なんで笑うのよ!怒って当然、殴ってやれば?!」
 
           「落ち着いて、ヒナ」
 
           やんわりと指を外したディールはまだ、笑う。
 
           それが一層彼女の怒りを駆り立てるとも知らず。
 
           「ふざけんな!差別はいじめを生むんだぞ、触って汚れるような人は存在しないっ
 
            てわかれ!ディールのお母さんが泣く!!」
 
           「…すみません、母も罪人の血を絶やさないため無理矢理子を産まされた人なので、
 
            気にもしないと思います」
 
           「なによ…それ…」
 
           一体この世界はどうなんているのだろう。1000年も前の悪事を、今を生きる罪
 
           なき人に押しつけてどうしようと…?
 
           幼児虐待が問題になる現代から来た自分に、母の愛を問う資格があるのかは不明だ
 
           が、好きでもない男と結婚させられて産んだ子供は可愛くないと言うのだろうか。
 
           母性愛って、そんなもんじゃないと思う。
 
           「むかつくっ!ああなんか全部に腹が立つ!わかったわよ、やればいいでしょ、夜
 
            を取り戻せば文句ないんでしょ!」
 
           命の危険は困るけど、行き場のない怒りを抱え込んだ今俄然やる気が湧いてきた。
 
           固めた拳で明後日の方向を睨みつけながら、ヒナは決意する。
 
           使命、上等じゃない。そりゃ夜が無くなったのは大問題だけど、ディールは無関係
 
           なんだから。あるはずのモノが帰って来りゃ、バカみたいな差別意識は吹き飛ぶは
 
           ずよ!関わった以上、ほっとけないもん。
 
           「弱い者いじめなんか、金輪際させない!」
 
           鼻息荒く宣言したヒナに、なぜか困惑の表情を浮かべた彼が狼狽えた。
 
           「あの、誤解です。私は弱くありませんよ?」
 
           「ああ?」
 
           「これでも街一つ程度なら壊滅させられる魔力があります」
 
           「はぁぁ??」
 
           恥ずかしながらって、そこ恐縮するところじゃないんで…。
 
           呆然と、やや呆れながら、ならばヒナには言わねばならぬことがある。
 
           「そんなら復讐の一つもしなさいよ!行け、やったれ!!」
 
           「本当の罪人になってしまうじゃありませんか…」
 
           「…あ、そうね」
 
           納得も早いのだ。できっこないとわかっているから、困ったディールと見つめ合っ
 
           て、噴き出してしまう。
 
           ケタケタと、草木も眠る時刻には陽気すぎるテンションで。
 
           「根本的に解決しなきゃ、いいことはないんだよね」
 
           燃えさかる月を鎮め、人々に平安を取り戻すまで彼の苦悩もヒナの使命も終わるこ
 
           とはない。
 
           だから、せめてそれまでは。
 
           「あたしがディールに触れる。いやだって言っても触って触って触りまくってやる」
 
           痴漢行為にならない程度に、決めたから。
 
           今一度、彼の作ってくれた夜に潜り込みながらヒナは言う。
 
           滑り落ちた外套を広げ、腕の中深く彼女を抱き込んでディールも頷く。
 
           「あなたの怯えも消えたようです。私も安心して眠れますよ」
 
           丸まって、双子の胎児は寄り添って、明るい夜に抱かれる。
 
 
 
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