34.


漆黒の髪先を持ち上げて眉間に皺を寄せると、セジューは唸るように呟いた。
「ありがたく、ありませんね」
腰に届くほどだった黒髪は今、無惨にも肩口で不揃いに揺れている。
「そうか?貴様が嫌いなディールと髪形だけでも変えれば類似点が減るじゃないか」
一方、耳聡くそれを聞きつけた犯人たるヘリオは、しれっとうそぶいて焚き火を砂で消すと立ち上がった。
慌てふためくヒナを尻目に、いかにも扱いづらそうな大剣を一閃して殿下が成した憂さ晴らしは、なんとも幼稚で豪快な 『断髪』だった。爪先で器用にセジューの上体を起こし、足裏で背を支えつつ曲芸のように切っ先が切り落とした漆黒は うねうねととぐろを巻いて、埃たつ大地を埋めてゆく。
ラダーもディールも「ぬるい」とご機嫌なヘリオを批判したが、ヒナはとてもそんな風には思えなかった。
「ちょっと!人が命がけで造った髪を切っちゃうなんてひどいじゃない!!」
惜しげもなく散ったそれらを他人に分け与えるのでなく自分の頭にくっつけられたら、今よりまともな髪型になるのに。
伸びきってまとまりのなくなったシャギーを掴んだ彼女は、本気で訴えたが、微妙に論点がずれている上、誰よりひどい ことを口にした自覚は皆無のようであった。まあ、どちらにしろ意識のないセジューに聞き止められなかったことは幸い であったろう。
その後、深い深い溜息を吐いた殿下から背にひとつ、厳しい一蹴りを浴び無理矢理覚醒させられ、嫌々ディールの衣服 を身につけたセジューは、件の呟きを零したわけだが。
「大変お似合いですよ。庇護者もおらず家もなく、職など望むべくもない貴方には、その手入れをされていない髪がね」
相も変わらぬ不毛な争いが、侮蔑の一言を皮切りに勃発する。
「…おっしゃいますね、忌み人が」
不穏な微笑みで応じた瞬間から、近親憎悪で燃える2人には周囲さえ目に入らなくなったようで、取り残される外野など お構いなしに俗っぽくて幼稚な遣り取りをこの上なく冷静に、限りなく感情的に始めたわけだ。
「いかにも。けれど私は衣食住の確保ができておりますし、何よりヒナがいる。この世の全てから見放されようと、彼女 さえいれば、よいのです」
「おや、奇遇だ。僕もヒナが唯一無二。生身の肉体を手に入れたからには、同じ容貌をした貴方に負ける道理はありません。 いらぬ罪を負っていない分、断然有利だと思いませんか?」
「思いませんね。ヒナがそんな些末にこだわる人ではないと、ご存じないとはお気の毒に。付き合いの差というものでしょ うか、残酷ですね時間とは」
「そんなものに果たしてなんの意味があると?要は濃度です。重要なのは密度。ほんの少し先に出会った程度のことを 強調しなければならないとは、随分浅いお付き合いしかなかったと見える」
「とんでもありません。私と彼女とは濃密すぎるほどの時を過ごしておりますよ。ええ、それはもう筆舌に尽くせぬほど 種種雑多、極彩色に想起されますがわざわざ他人に吹聴して回ることでもありません。この胸の内に大切に抱いておりま すよ」
「では、一生それだけをもって生きてゆくと良いでしょう。この先、ヒナの記憶は僕との思い出で埋め尽くされ、貴方な ど入り込む隙もありませんからね」
にこやかにしていながらその実、射殺せそうな視線を交えての不穏な会話とは、なんと彼等らしいのか。
あんまり感動したからヒナは、元凶2人を見捨ててさっさと街道を急ぐと決めた。道案内にラダーを連れて。
「あたしの人生を決める選択肢がたった二つだとしたら、神様を殴りに行かなきゃなんないと思わない?」
つい早くなる歩調に彼女の怒りを読み取って、魔女は後方に僅か視線を送ると唇を歪める。
「確かにねぇ。しかも見事に同じ顔、物騒な性格まで瓜二つときた。この先も連中の諍いに巻き込まれるだろうあんたには、 充分その権利があるよ」
「…よね」
振り切ったはずの騒々しさが次第に近くなってくることに眉をひそめても、足早に追ってくる男達が歩みを止める可能性も 、しんがりを務めるヘリオが彼等を大人しくさせられる力量もないわけで、なんとも虚しいことだ。
本気で天国まで抗議に言ってやろうかと思い始めた時、なんだか急に日の光が遮られる。
「?」
原因を探ろうと呑気に空を振り仰ぐことができたのは、危険探知をするはずのヒナ以外の人間が落ち着き払っていたからで 、ということは猛スピードで頭上から落ちてくる1メートルほどの黒い物体は安全であるはずだが…。
「え、う、きゃーっ!!」
自分めがけて何かが落下して来るというのは物理学的に考えて、痛みおよび外傷を伴うんじゃなかろうかと、ヒナは遅まき ながら悲鳴を上げる。
「「ヒナッ!!」」
「落ち着きな」
当然それに過剰な反応をする恋男共はともかく、至って冷静なラダーは口を塞ぐという方法でやかましい悲鳴を止めると、 正体不明な物体を伸ばした腕にとどめて見せた。
「ほら、よくご覧」
ずいっと突きつけられたそれは、視界にいっぱいだったはずのサイズを半分以下の大きさに縮めて、なんというか可愛らし いと言えなくもない仕草で首を傾げている。
いろいろなモノが微妙に違う異世界において、表現方法が異なっていないというのなら多分きっと。
「鳥…しかもでっかい九官鳥、に見える」
何度かテレビで見た、芸を披露する彼等はもっとずっと小ぶりだったけれど、特徴的なオレンジのくちばしといい、つぶら と言えるほど大きな目といい、ヒラヒラ泳いでる飾り毛といい、ヒナの知っているあの鳥に酷似しているではないか。
大きさ以外は。
そう、そこが問題なのだ。本来のサイズであれば怯えたりすることはないと断言できるが、これではちょっとと彼女は 頬を引きつらせる。フラミンゴを一回り小さくした感じの真っ黒な鳥は、正直恐いのだ。
「貴女の住んでいた世界にも、同じものがいるのですか?」
苦もなく追いついてきたディールは逃げ腰のヒナの肩をさりげなく引き寄せて、鳥から引き離し微笑む。
相変わらず上手に彼女を守ってしまう男をホッと見上げながら頷くと、ヒナは覚束ない記憶を辿って覚えている限りの九官 鳥の特徴を羅列した。
「えっとね、もっと全然小さくて多分肩に乗る大きさだったと思うけど、頭がいい鳥なんだよ。人間の言葉を喋って、 あたしは直接見たことないんだけど確か会話できたりしちゃうはず」
「おや、では同じ鳥なのでしょうかね」
問い返しその意味を聞くまでもなかった。ディールの言葉を後押しするように、大きな九官鳥は羽を羽ばたかせると くちばしを開いて人語を零し始めたから。
『殿下、火急にお知らせしたき議がございます』
短く叫んだヒナが猛烈な勢いで走り始めた心臓を押さえて飛び上がったのも、致し方ないことであろう。
鳥を介し流れ始めた声は明らかに人間のものであり、その生々しさときたら人が取り憑いて喋っているのではなかろうか と疑いたくなるほどなのだ。
物まねをする鳥類はすべからく異質な声で話していたことを思い出せば、背筋を冷たい恐怖が走り抜けたとて彼女を責め られるものではない。
『帝国内部にて、情勢が一変致しました』
「大丈夫です。ただの写し身、魔法ですよ」
飛び退った背を支えてもらい教えて貰っても尚、目前の奇妙な光景に馴れることはできなかったが彼女は声を震わせない よう、平気と小声でうそぶいた。
いちいちびっくりしている場合ではないのだと、察してしまったから。何しろ鳥が一言喋るたび、ヘリオやディール、 それにラダーの表情が厳しくなってゆくのだ。
『先刻一瞬空を覆った『夜』は神殿に入った『夜の娘』が起こしたものにございます。あの奇跡を目にした議会が彼女を 本物であると認め、未だ『夜の娘』を探しに出ている殿下を…反逆者として追っ手を出しました』
滑稽なくちばしから紡がれるせいかヒナにはどこかよそ事のように感じられる内容は、信じたくないが自分たちが救世主 から転落したと苦々しく伝えてくる。
一番の当事者と言えようヘリオは、探るような彼女の視線を受けて口元を綻ばせると、苦笑いを零しながら大きな手で数度 頭を撫でてきた。子供にするような仕草は、ヒナの不安を和らげようという意図から出たに違いない。
『ですから、真っ直ぐ帝国へお戻りになるのではなく、シャーキアン公爵家へおいで下さい。彼の方はお味方です。 将軍と共に私もそちらでお待ち申し上げますので…どうか、ご無事で』
ぷつりと途切れた声と共に操り人形のようだった鳥に自我が戻ったようで、彼は一声甲高い声で鳴くと重い翼を羽ばたいて 渇いた空へゆるりと舞い上がってゆく。
ぼんやりその当てない行く先を見守りながら、ヒナはジワジワと沸き上がる黒い不安にそっと胸を押さえた。
ファウラに襲われても見知らぬ少女に殺されかけても、ヘリオの国に着けば我が身の安全を保証されるものだと無邪気に 信じ切っていた自分を殴りつけてやりたい気分だった。
あれほどこの世界では甘ったれた平和思考が通用しないと身に染みたはずであるのに、ヒナの中にはどこか楽天的なところ があって、死にかけたって都合良く救い主が現れたりするものだから尚一層なめていた。
「皇子様ですら、殺される対象になったりするんだ…」
「まあ、な。肩書きを盾に自由奔放、国を惑わす男ならば糾弾されて然るべきだろう」
なんでもないことのようにヘリオが言ってのけるから、彼女は恐くなって傍らのセジューにしがみつく。
向こう側でディールが顔色を変えたけれど、知るものか。いま最も恐ろしいのは嫉妬に狂った男ではない。『夜の娘』だと 証明することができないヒナを、世界中の誰もが信じてくれないであろう事実。
これ以上の恐怖があるだろうか。


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