33.


「お花畑は…見えなかったなぁ…」
ラダーと殿下から少し前まで自分がどんな状態だったか教えられたヒナの第一声は、これだ。
「なんだい、そりゃ」
首を捻る彼女に、眉を寄せた魔女が問えば、返るのは何とも冗談のような内容で。
「あたしがいた世界では、臨死体験て言って死にかけるとお花畑が見えたり、三途の川が見えたりするの。なかなかない 貴重な経験をしたからには、そんな副産物を期待してみたんだけど、全然記憶がないんだよね」
のほほんと言ってのける少女に、耐えたモノが爆発したのはヘリオである。
「お前、人がどれだけ胸を痛めたと…もう一回死んでこい!」
心配の分だけ怒りも大きいと怒鳴りつける彼に、
「…あなたにこそ、お花畑をご覧に入れましょうか?」
大事な娘を固く抱きしめていたディールが、暗黒陽炎を纏って不吉に問いかけてみたりして。
焚き火を囲んで車座に腰を下ろした一行は、極度の緊張から解放された安心からか、下らない会話で現状ある幸せをそっと 噛みしめていたりする。
例え一瞬本気で殺気が流れようとも、ヒナが生きて動いて笑っていることに安堵し、ディールが変わらず凶悪であること が、日常。平凡こそ非凡だと。
「なんにせよ、セジューが生き返ってよかった。…もう二度とこの力は使わないけど」
互いが落ち着きホッと息をついたところで、傍らに横たわり外套の下で安らかに眠る男を見て、ヒナは顔を顰めた。
左手を彩る大輪の花が、あれほど美しいと思ったこれが、今は恐ろしく不吉だった。
アリアンサが封じた力はやはり、人の手に余るもの。セジューを作るための力が放出されている時、ヒナは身をもって それを実感していた。
「もちろん、使わせたりしませんよ。あんなに血が失われる術など…ほら、指先がまだこんなに冷たいではありませんか」
胸の内にヒナを抱き込んでいたのは、なにもディールが過度の保護精神を発揮したからではない。もっと切迫した事情 があったからこそで、昼日中、必要もない火もおこしているのもそれ故だ。
彼女の体は、ぞっとするほど冷たかった。一度は彼の男の出現により温もりを取り戻したが、ヒナが意識を取り戻すと 同時に再びそれは失われ、熱に当て人肌で保ってやらねばカタカタ震え出すほどで。
「だって…あの管、へその緒でしょ?生物の授業で習ったばっかだもん、覚えてる。胎盤を通してお母さんから血を 貰うんだよね。それを栄養に赤ちゃんは育つ…まるで、このセジューみたいに」
なんでもないことのように彼女がした説明に皆が驚くのは、こちらでは子宮の中で胎児が育まれる課程を知らずにいるから であり、3人がヒナを見る目もにわかに変わる。訝しげな尊敬を含んで。
「お前、医術を学んでいたのか?それとも…学者か。一体何者なのだ」
散々バカだ愚かだと蔑んできたくせに、いきなりそれはなかろう。
探るようなヘリオの視線に思い切りイヤな顔をした後、彼女は無芸大食とうそぶく。
「高校生だって。しかも出来の悪いやつ。お医者さんになんて絶対なれないから」
何もかも平均的なイマドキの女子高生をあまり持ち上げては、かえって侮辱というものだ。
こちらに比べれば遙かに科学が進んでいた場所から来たはずだが、残念ながらヒナはその知識をほとんどもっていない。 子供のできる仕組みなら学校やテレビでそこそこは教えてくれるが、だからといってそれで人助けができるわけでなし、 誰かに喜ばれるほどの情報を提供できるわけでもない。携帯も作れないしアンテナも立てられず、豆電球ひとつ製造でき ないんだから、情けないくらい無力の無学。
つまりは役立たずだと、わざわざ思い知らされているようで気分がよくないのだ。
「そりゃね、言いましたよ。学校で教えてくれることなんて、社会じゃほとんど必要ないって。でも、でもさ、まさか 異世界で利用価値があるとは思わなかったのよ。せめて科学と生物だけでも真面目に勉強しておけば、使える女子校生 になれたかも知れないけどね、現状じゃライターでさえ作れないわけで…」
愚にもつかない呟きで思考の海に落ちていきそうな彼女を、だが抱えた男は問題ないと引き戻す。
「貴女は私の腕の中にいるだけで充分なんですから、安心して下さい」
「…それ、励ましなの?」
微妙に己のアイデンティティーがテディ・ベアにまで落とされた気がして、ヒナは一瞬眉根を寄せたがすぐ思い直す。
それでも、ディールの助けになっているのならいいかなと。誰にも必要とされない自分より、たった1人の大切な誰か という方が余程聞こえがいいし、役に立っている気がするから。
「ま、いいんだけど」
なのでそんな風に無理矢理話しを締めくくると、脱線した会話の軌道修正をするため再び眠り込むセジューを指さした。
「つまり、セジューってあたしの息子みたいだねってことなんだけどさ」
そう、ヒナが最も言いたかったのはそのことであるのだ。
焚き火を囲む表情は彼女が明るく言い放った言葉に瞠目し、沈黙する。子とは母が己の血肉を分け育むものと、医学知識 などなくとも彼等は本能で知っていた。
グロテスクに骨を内臓を製造していたあの術の、根幹を支えていたのはヒナの血と魔力であり、そう言った意味では彼女 が文字通りセジューの母なのであろう。子宮で行うべきことをただ、外界で成したというだけで。
「…アリアンサが編み上げた人体錬成とは、神の領域に踏み込んだまさに禁忌だったんだねぇ」
あの術で造られたものは既に人形ではない。だが、それはでは人間なのだろうか?
ぽつりと漏らされたラダーの言葉に、ヒナはセジューの温かな輪郭をなぞり、悩む。
「お母さんが産むから人間で、魔力で作り上げるから人形なんて変だよね」
己と変わることない心を持つ彼に偽りない命をあげたくて頑張って、けれど出自だけを取り上げるのならば間違いなく、 セジューは人の領域から逸脱してしまっていて。
だから、ヒナは自分の正当性を主張したかった。皆に間違ってはいないと認めて欲しかった。
でなければ、無知故の罪を犯したように思えたから。消えてゆくはずだった存在を強引にこの世に引き留めるのは、 倫理を感情で歪めてしまう行いに他ならないと気づいてしまったから。
「どっちも『人』だよね。自分で考えて動いて、あたし、難しいことわかんないけど、セジューはあの時(・・・) だって間違いなく『人』だった」
初めて出会った瞬間、ヒナは彼が『人形』だなど疑いもしなかった。
ヘリオだってラダーだって、それは同じはずで、縋るように見上げた先でディールも苦笑いに口元を綻ばせると、 彼女に小さく頷く。
「…ええ。生意気で、幼稚で、手に負えなくはありましたが、腹立たしいほど欲求に忠実な人間に見えましたね」
だからこそ、その稚拙さが年を経た人間ではあり得ないのだとは、彼は口にはしなかった。ヘリオもラダーもわかっていて そんな彼を否定はしない。
全ては混乱しているヒナのために。命をかけ救った者は『人』であったのだと頑なに信じたい少女のために、大人の嘘を 彼等は紡ぐ。
厳密に言えば3人にも、誰が何が正しいのか判断はできないのだ。おおよそ人知を離れ生命の根幹にまで迫るこの術を 否定することも肯定することも彼等にはできず、ただ諾々と事実を受け入れるよりない。
セジューは、ここにいる。
緩やかに脈動する心臓を身に宿し、切れば赤い血を流す肌をして、人形であれば永遠のはずだった() を限りある生に変え、人として今ここに。
「よかった…」
零した吐息の分、ヒナの心は軽くなった。小さなわだかまりはまだ残っているが、それでも格段に晴れやかだ。
柔らかな視線で彼女を見守ってくれる人達が、最後まで味方でいてくれるとわかったから、今日しでかしたことで今後 軽くはない代償を払うとしても、強くいられる。
この術を発動させるということは、きっとそういうことなんだと、ヒナは頭のどこかで感じていた。聞いてはいないが、 アリアンサも同じように、十字架を背負っていたに違いない。
「ヒナ?」
無意識に握りしめた掌を、ディールが心配げに撫でる。
はっと顔を上げればラダーもヘリオも表情を曇らせていて、我知らず強ばっていた表情を慌てて緩めて微笑んだ。
「こんなこと考えちゃうのはセジューが起きないせいだと思ったら、腹立っちゃって」
下手な誤魔化しだとわかっているくせに、唸るように同意したヘリオはおもむろに立ち上がると容赦なく爪先で眠る セジューをこづき回し始めた。
「仕返しも込めてな、手荒に起床を促してみるっていうのはどうだ?…8割方憂さ晴らしだから、加減できるかどうかが 難しいところだが」
そうして、すらりと大剣が閃く。
「ちょ、ちょっと、ちょっと、ちょっと!」
「致命傷じゃなきゃ、治療で何とかなるだろう。盛大にやんな」
「殿下、私の分も残しておいて下さいね?」
「任せておけ。では、ゆくぞ」
「折角助けたのに、やめてよ!!」
こうまで大騒ぎして目覚めぬのであれば、セジューが多少の傷を負ったとして致し方ないことなのであろう。
…ヒナはちっとも納得できないが。


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