28.

禁忌を定め身の内深く封じたのは、アリアンサに溢れる道義や倫理が成した技ではない。
ただ単純に、恐ろしかったのだ。
命をも操れるようになった自分は、肉体をも造れる術を編んでしまった。理性がある内は良かろう。間違いが起こることは なく己を神と傲ることもない。
けれど、心とはいつも狂気と隣り合わせ。崩壊が訪れる瞬間を予測することなど、誰にもできない。
だから彼女は記憶の淵にそれらを沈め蓋をした。傀儡の技を会得し極めたいと請うてきた才能溢れる弟子にも、決してそれ を与えることはなかった。
だが今、長く隠されてきた力が彼女の内から自然と溢れ、引き摺られる。
純粋な願いに、命を操る魔術師が最も必要とされる資質があったのだと、意志を持ち始めた力が新たな宿主を定め逃げてゆ く。
『ダメ…これは人を狂わせる力…』
『あの子なら大丈夫。無闇に使ったりしない、弄ぶことはない』
『けれど、人は変わるわ』
『そうさせない為に、彼等がいるじゃない。1人じゃないわ』
『持て余してしまったら、どうするの…』
『封じるでしょう、私のように』
自問自答の波の中、何度打ち消しても己の持つ力を譲りたいのだという欲求に気づいてしまったから。長い年月をかけ手に 入れた術を、本来望んだ形で使ってくれる誰かに渡したかったのだと知ってしまったから。
『ヒナちゃん…』
彼女だけは、巻き込まれただけの憐れな犠牲者たる少女だけは、傍観者でいさせてあげたかったのだけれど。
許してね、小さく囁いて。
『貴女だけが使える、魔法をあげるわ』
ヒナの願いとアリアンサの願いが重なって、繋がった回路がゆっくり開く。


眩んだ視界に目を閉じた漆黒の先は、いつか初めてアリアンサと出会った場所に似ていた。
何もない空間に美しい姿でふわり、銀の髪を広げた魔女が浮かんでいる。
「あれ…?なんで」
死んでもいないのにここに来たのだろうと、出かけた言葉を魔女が継ぐ。
「貴女と私、強く望んだから道が開いたのよ」
柔らかく微笑んだまま滑るようにヒナに近づいた彼女は、握りしめられた少女の掌の奥、そっと『セジュー』に触れた。
「可哀相に。ファウラの歪んだ心がこんな残酷を招いてしまった」
引き離された魂、弄ばれた運命、そして壊された命。
この世にあってはいけない彼で、けれど生まれることを望んだのは彼ではないのだから、人形だと理由付けて摘み取って はいけなかったのに。
「ごめんなさい。セジューをこんな目に合わせたのも、ヒナちゃんを悲しませるのも、全て私が招いたこと」
悲しげに微笑むそれは、いつか見たことのあるアリアンサの表情で、ヒナの心をぎゅっと締め付ける。
『世の中にはね、罪を誘発する者がいるの。直接罪を犯すよりも責任は重いのに』
不意に甦った言葉に彼女は違うと首を振った。今度は真実を知っているから、力一杯否定できると。
「ファウラがおかしなことするのは、ファウラのせいだよ!アリアンサのすることが納得できなかったんなら、聞けば 良かったのにしなかったんでしょ?勝手に人の心を誤解して、捻くれて、その上セジューを殺しちゃうのは他人のせいじゃ なくて曲がった自分の根性のせい!」
だから、アリアンサはちっとも悪くないんだからね、などという子供っぽい理屈では彼女の傷は消えたりしないけれど、 ほんの僅か痛みが引いたのは確かだ。
それは罪が軽くなったのではなく、許されることの癒しと言えばいいのだろうか。物事の善悪は実は複雑で、単純明快に 誰が正しくて誰が間違っているとは判断ができないものだが、時にたった1人の味方が自分の心を軽くしてくれることが ある。
ヒナはあの出来事の裏にあった複雑な人間関係を知らない。だからこそアリアンサの味方をしてくれるのだとわかってい ても、知ればきっと自分を断罪するだろうと予想できても、今はただ嬉しかった。
だからこそ、心苦しくもある。
「ありがとう…そして、許してね…」
「え?」
聞き返す無邪気な様にまだ迷いはあるけれど、これは運命が導いた答えなのだと思うから。
「貴女だけが使える、魔法をあげるわ」
どんな?とヒナが顔を上げた瞬間、アリアンサに取られたままだった手の甲に鋭い痛みが走る。
「あつっ…」
熱を伴うそれに驚いて目をやれば、鮮やかな華が。
「キレイ…」
アクリル絵の具を乗せたような鮮明すぎる青は、薔薇似た花びらを幾重にも広げながら、右手の甲を覆い尽くして、 少女に感銘の声を上げさせた。
なんて不思議な色。透明感無く肌のキメを覆い隠し、まるでそれ自体が生きているように息づいているみたい。
そう、あまりに不思議すぎるから。
「ね、アリアンサ、これが魔法なの?」
瞬きする時間で現れた美しい華こそが、魔女がくれると言ったものに違いないと目を輝かせたヒナとは対照的にアリア ンサは表情を曇らせて、けれど頷く。
「ええ、そう。これがヒナちゃんにあげた魔法よ。貴女は今から生命を操り、人体を錬成できる、私が持っていた術を全て 使えるわ」
「…え…?」
浮かれていた様子が一変、ぎょっと黙り込んだのも無理はない。師を責めるファウラに、そんな魔法はあってはならない、 そう思ったからこそアリアンサは教えてくれなかったのだと言って怒らせ、セジューをこんな目に合わせたのはついさっ きのことだ。
まさかそれを自分が使えるようになるなんて夢にも思わなかったし、今現在も使いたいとは思わない。
「あ、あのね?あたし、いらないけど、そんな魔法」
「まあ、困ったわね。それじゃ彼を助けられないわよ?」
どうしましょうと白々しい仕草で魔女が示したのは、掌のセジュー。
「アリアンサは助けてくれない、の?」
探るように問えば、
「ディールを助ける時、奇跡は一度だけって約束したでしょ?」
秀麗な笑みがにべもなく切り捨てた。
言われはしたけれど、わかってはいるのだが、ヒナはそんな重大な事を自分に任されることにそこはかとない恐怖を感じる。
今にも消えそうな命を助ける力を持っていたら、自分はどうするだろう?
例えばそれが不幸な事故で、不運にも命運がつきようとしているのは大切な人なら迷い無く助けるに違いない。
例えばそれが病に倒れた人で、生きたいと強く願うのを聞いてしまったら、新しい体を作り上げてしまうに違いない。
果たしてそれが正であるのか邪であるのか、考える必要もないならヒナは請われるままにこの力を使うだろう。
だが、天は許すのだろうか。神は、そして彼女の助けが間に合わず死んでしまった人は?
「そんな…でも、アリアンサだって言ったじゃない、あたしは夜を知ってる以外なにもできないって。魔法をもらっても 使い方も知らないんだから、意味無いよ」
身の丈に合わない力を手に入れても、使いこなすどころか身を滅ぼすことになるだろう。そう目で訴えるのに彼女はやん わり首を振った。
「この術は呪文を唱える必要も、特別な修行も必要ないの。ただその紋章に願えばいい」
魔法を知らないヒナでも簡単に術が引き出せる呪いは、同時に秘法を奪われることがないよう罠を巡らせた呪いでも あり、アリアンサにできる最高のお守りでもある。
「ヒナちゃんだけが使える、特別製なのよ」
至高と讃えられる魔術の使用者は、赤子程に無防備な異界の娘。強力な守護者が付いてはいるが、万全を期すに超した ことはない。
だから、安心してっと彼女は笑う。
「それにね貴女は、間違った使い方なんてしないわ。どんな才ある魔術師よりきっと、ね」
「無理だよ!」
即答したのに。
(大丈夫ですよ、ヒナ)
掌の中のセジューにまで無責任な同意をされて、
「ちょ、ちょっと待って!なんで消えちゃうの、アリアンサーっ」
急激に光を取り戻していく視界の端で、にこやかに手を振る魔女に抗議さえさせてもらえなかったヒナは、この世界で 久しぶりとなる、前後不覚の茫然自失というのを体験中だった。

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