27.


怖々目をやった先で、物言わぬセジューは無造作に転がる。
その無機質さと言ったら、美容師さんが練習に使う頭や昔のマネキンの首を思わせるもので、生々しく鮮血が溢れて いない分自己催眠さえかけられたら何とか切り抜けられそうなものだった。
「あれは人形、そっくりさんの蝋人形、東京タワーにあるやつよ…」
自分を捕らえていたはずの腕に力一杯縋り、ぶつぶつと効果に疑問の残る呪文を唱えてからヒナは徐々に焦点を首に 合わせる。
恨みがましいと思った目は、よくよく観察すれば感情を消したガラス玉にすぎず、血の気が全くないと感じた白磁の 肌は、ビスクドールさながらの陶器でできていたのだ。
「え…?マジ?」
引き留めようとするディールから逃れて、ヘリオが持ち上げた頭部にそっと指を伸ばしたヒナは、血の通わぬ冷たさ に驚いて固まる。
「ヒナ?」
訝しんで覗き込むラダーにあれ、あれっと壊れた様子で繰り返す彼女がやっとのことで正しい疑問を口にできたのは たっぷり1分後のことだった。
「あれ、人形じゃない!」
「…だから、ずっとそう言ってたじゃないか」
「お前、本当に人の話を聞かないな」
きっと、ヒナの衝撃はこの世界の仕組みをよく知っている人間には通じないのであろう。
つい先ほどまで生きていた。豊かな表情も、温かな肌も何もかも、硬質な人形が持ち得るものではないし、悪霊だって ぎくしゃく人形を動かすことはあっても人間のごとく操ることはできない。なんで首が飛んだ瞬間、あからさまに人形 に戻るのだろう。せめて肉片になってくれれば納得もいくのに。
……吐くだろうけれど。
それを言いたかったのにラダーもヘリオも、あきれ果てたとばかり彼女を見る。ディールだって批判こそ口にしないも のの擁護もできないといった風情で立ちつくしているではないか。
文化、生活習慣、何より魔法というものができる範囲への理解不足。やはりここはヒナの知る世界とは大きく一線を 画す場所で、カルチャーショックに紛れて微かなホームシックが胸を刺す。
納得できずにしかめっ面のまま触れたセジューであったものは、彼女の爪を弾いてコツンと音を立てた。
その硬質な響きさえも自分を責めている気がするから、重症だ。
「なによね、あんたくらい味方してくれてもいいのに…」
(残念ながらこの姿では、それもかないませんね)
空耳でなければ自分がおかしくなったんだ、と思う。
冷たい首が、しかも人形の首が人語を話したなんて心霊現象にしかならないではないか。
体験した出来事があまりに気味が悪かったから、ずるずる後退して安全なディールの腕へ逃げようかと考えていたヒナ は、だがしかし、明らかに幻聴でない第二波を受けてしまった。
(冷たいですね、返事をしてはくれないんですか?)
からかう調子のそれは鼓膜ではなく頭へ直接響きながら、恐怖だけだった思考を徐々に冷静にしていく。
「……セジュー…?」
(はい)
微笑みの幻想を伴って返された返事に確信した。
理屈も仕組みもわからないが、セジューはここにいる。意識は魂は、まだ消えていない。
ひったくるようにヘリオから取り上げた頭を、眺めすがめてどこかに彼を助ける手がかりはないかとじっと見つめるヒナ に周囲がいらぬ心配を抱いたことなど気にするでなく。
「とうとう本気でいかれたかねえ」
「独り言も出るようじゃ危ないな」
「失礼ですね2人とも。衝撃が過ぎたんですよ、繊細な彼女には」
「「…繊細??」」
なんて冗談のような限りなく本気であるような会話など知ったことか。
真剣味が違うヒナはどことない違和感を見落とすことなく拾い上げたのだから。
ガラス玉の目が光るその奥に、わだかまる闇色が、この世界では異質なはずの夜が。
「セジュー、なの?」
小さな小さな欠片だけれど放たれる気配は間違いなく、傲慢で我が儘でどこか悲しい、彼。
(そう、僕です。その矮小で頼りない欠片が入れ物を失った、核なのです)
人の魂というものを見たことなどあろうはずもない彼女が、薄ぼんやりと思い描いていた命の姿は想像の産物である人魂 で、ふわりと宙を彷徨う火の玉は人の握り拳ほどはあるのでないかとなんとなく信じていたのだけれど。
目前で弱々しい輝きを見せる黒は、お母さんが自慢げに見せてくれた婚約指輪のダイヤ程度の大きさしかないではないか。 米粒の半分、といった方がわかりやすいか、ともかくよくよく目をこらさなければ確認することも不可能な大きさで、 ちんまりとヒナの前にある。
「これ…触れる…ううん、ここから出して大丈夫?」
明確な理由があるわけでないが、動きを止めた器の中にセジューの核を置いておくのは良くない気がして、本人に問うて みる。
作られた人形本人が製法を知っているのかどうかわからないが、他に頼りになりそうな人間はいないしなと背後の面々を 眺め回した彼女に、彼は大丈夫だと思いますよっと何とも軽い調子で請け合った。
(触れられるのかどうかは大いなる疑問ですがね)
「…そうだね…でもまあ、見えるんだからもてるよきっと」
裏付けのない自信ではあるが他に手があるわけでなし、意を決したヒナは適任であろう人物を選び出す。
善は急げ、だ。
「ヘリオ〜手伝って」
「なんだ」
本当に彼女がおかしくなっていると思っていたのか、僅かに警戒しながら近づいてきた殿下は、ずいっ差し出された物体 に間髪入れず一歩引く。
「お前、いきなりだな…」
「これ、斬って」
三者三様ではあるが、共通して彼等を巡った考えは同じに違いない。
ヒナが、とうとう壊れた。
「あのね、ヒナ。それはこれから直さなきゃなんないんだから、斬ったらまずいだろう?」
「平気。邪魔なのよ、この周りが」
できる限り刺激しないようにという配慮から、柔和な笑み付きで少女を宥めるラダーは難しい顔して陶器をノックする 姿に果てしない絶望を覚えた。
「落ち着いて下さい、セジューが死んだとて世界は何も変わりません。あなたが心を痛める必要も、まして現実放棄 することなんてないんです」
「ひどいこと言っちゃだめ。セジューはあたしのせいでこんな風になっちゃったんだよ。責任感じるのも取るのも当然 でしょ?」
冷静にたしなめられたディールは、ヒナらしい正論を論破する妙案が浮かばず思案顔だ。
取りあえず3人を黙らせた彼女は、自分のやろうとしていることを正確に伝えようとすっかり腰の引けたヘリオに今一度 セジューの首を突きつけ、目の奥を示すと重大な告白をするが如く声を潜めた。
「いーい、ヘリオ?このガラス玉の奥にね、セジューの核が入ってるの。見えるでしょ?」
人形にそんなものがあるなんて聞いたこと無いぞ、と言いかけてヒナの真剣な様子に気圧された殿下は無言で指された場所 を覗く。
すると、
「お、あ?」
確かに、あった。
くすんだ黒い小さな小さな物体が、得体の知れない光を宿して鎮座している。少し前まで非道の限りを尽くし、生意気 にも強かった人物が放っていたのと同じオーラが感じられるから、ヒナの言うとおり『核』とやらなんだと、容易に信じ られた。
「これが、なあ。ま、お望みとあれば斬るが、取り出してその後どうするつもりだ?」 とっくに体は持ち去られ、唯一残った頭部を破壊したら取り返しがつかないことになりはしないか?それとも希なことに 雁首をそろえている稀代の魔術師2人が、特殊だと噂に高い傀儡術も使えるというのだろうか。
確かめた視線に返されたのは予想通りの反応で、微かな首の動きで否やを伝えてきた彼等もまたヒナの考えがわからず 戸惑っていた。
「なんとかなる、予定だから気にせず壊す!」
場当たり的すぎる…だが、別に名案があるわけでなし、正直なところセジューがこのまま消えた方が面倒がなくていいのだ と結論づけていたヘリオは、迷わず斬った。
音もなく引き抜いた大剣の切っ先が繊細な陶器を滑ってカチリ、元の鞘に収まる。
「…へたっぴ。斬れてないじゃん」
少女の手の内、先と少しも変わらず鎮座まします首は鋼が閃く前と何ら変わりなく見え、ヒナがぼそりと批判を口にした。
「勢いよく真っ二つにしたら、核とやらごと二度と使い物にならなくなるだろうが」
バカにする口調のヘリオがその言葉を証明したのは、彼の手が乱暴に首を殴りつけた直後だった。
「あ…」 ズッと陶器の擦れるイヤな音がして、繋がりを無くした重みがヒナの指先から転げ落ちる。
「わっ、とととっ」
落下するパーツに混じった欠片を危うい手つきで拾い上げたヒナは、地面で起こる破壊音に眉をしかめながら手にした それが不思議な暖かさを持っていることに驚いた。
まるで息づいているみたい…。
「やっぱりさ、人形なんかじゃないよね。人、だよね…」
(あなたが信じてくれるのであれば)
こうして話しだってできる、理屈も理も解さない少女にとって己の見聞きした現実が一番だから。
ぎゅっと握った魂は絶対に助けるのだと誓った瞬間、ヒナの中で爆ぜた関があった。


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