26.


「よくできているでしょ?」
婉然と微笑みながらセジューの体を辿る指の動きがどこかエロティックで、ヒナはきつく目を閉じた。
ファウラはなぜ、彼を造ったのだろう。ディールと同じ顔なのは魔女が意図したことなのか、偶然か。
きっと、計算ずくなのだとファウラが彼等を見ていた眼を思い出しヒナは気づく。
背筋に冷たい震えが走るあの視線は、絶対になにかしらの企み事を持っているはず、そしてそれはきっと、関わった 誰もに耐え難い苦痛をもたらすに違いない。
「ヒナ?」
いつの間に体の自由が戻ったのか、それを喜ぶこともなく彼女は強くディールの頭を抱いていた。
これまで充分すぎるほど傷ついてきた人にこれ以上の痛みを与えることがないよう。できるなら無防備に囚われている セジューもこちらへ引き戻して守りたい。
どれほど警戒しても足りないほど、ファウラは危険だ。
セジューの綺麗な髪を弄びながら、小さく声を上げる様はどこか狂人を思わせてヒナは小さく喉を鳴らした。
「…体は…体は人じゃなくても、セジューは人間だと思う」
無力な自分と、千年も生き続けた魔女。ケンカを売るのは無謀に過ぎるとわかっていても、決して我慢出来ないことも ある。
憎悪でいいから己を見て欲しいと願うほどセジューを飢えさせたのは彼女なのに、何故また追い打ちをかけるように 彼を蔑むのだろう。
人形だ、作り物だとあからさまに嘲笑しセジューの心を傷つけるのは、何故?
そんなの、許せない!
「寂しいって、言うでしょ?口に出さなくてもさ、えっとわかるって言うか、大人のくせに子供みたいに駄々こねたり 、怒るし考え込むし、その…」
「それがどうしたというの。どれほど感情豊かでも、魂を持たなければ人ではないわ」
「人だよ!」
叫んだ刹那、ファウラに張り付いていた微笑みの面が割れた。
彼女の元、ただ虚ろに交わされる言葉を享受していたセジューも驚きに目を見開いている。
「あたしには魂があるとか無いとかわかんないけど、セジューは人間とどこもかわんないもん」
少なくともヒナが生きてきた18年の経験からは、彼が人外であるとは思えない。
けれどファウラは彼女の声を認めてはくれなかった。
柔和だった表情を怒りに歪ませ、火を噴くほどの怒りをたたえた瞳を射殺す勢いでヒナに据えると嘲笑う。
「残念だけれど、私に人は造れない。先生は完全な人体錬成を教えてはくれなかったもの」
「え…ア、アリアンサ?」
「そう、あの人は無から肉体を魂を紡げる唯一の魔女よ」
昔日、彼女が生命の魔女と呼ばれたのはそのためだったのか。
肉体を失っても強大な魔力を保持し続けるアリアンサだから、或いは人知を超える法を為せても不思議はない。 でもだからこそ、彼女がそれを誰にも教えなかった訳もわかる気がした。
大切な誰かが消えることをもし食い止められるのだとしたら何を侵しても構わないと思う人はきっとたくさんいる。
ヒナだってついさっき強く願い、アリアンサに縋ったではないか。ディールを助けて欲しい、そのためには何を 失ってもいいと。
悪用したらこれほど恐ろしいモノは無い。純粋な善意でも、使ってはいけない力かもしれない。
科学が進歩した世界でさえ、命に対する倫理は明確に定義することができないのだから。
「先生は秘法を何一つ弟子に残して下さらなかった。名声も賞賛も自分だけのもの、他人に許すのがイヤだったのよ」
だから、憎々しげに呟いたファウラに首を振る。
「そんなんじゃ、ない」
負の感情で一杯になった彼女に通じるだろうか?千年、悔しさを抱き育ててしまった心に届くだろうか?
「人間は、お母さんのお腹から産まれるもので、例え人形でも自分で考え始めた瞬間に魂は宿るんだよ。 それは簡単に踏み込んじゃいけない領域で、覗いてしまったからこそアリアンサは誰にも教えられなかったんじゃ ないかな」
真っ直ぐ心の中を貫く眼差しに、ファウラは一瞬ひどく懐かしい幻影を見た。
『貴女にこの術式は教えられない…いいえ、他の誰にも。これは私と共に消えるのが一番いいの』
飄々として自信に満ち、いつでも陽気な師が一度だけ見せた憂い顔にヒナが被る。
力もない子供のくせに、訳知り顔で何を言うのだ。あの人と同じ高慢な詭弁を振りかざして!
認められない、認められるはずがない今更、ここまで来て。
「素晴らしいわ、お嬢さん。貴女は神のような倫理を説くのね。では、救ってみたらいい。この魂を!」
何が起きたのか誰にも見えなかった。
それほど速く、ファウラが招じた風刃はセジューの首をはねたのだ。
閃いた指に合わせ横殴りに飛んだ頭がゴロリ、ディールの足下に転がる。
「い、いやーっ!!!」
「ヒナッ!」
「このっ!」
「お待ちっ!」
尾を引くヒナの悲鳴と重なる3人の声。
ディールは彼女を外套の中へ落とし込んで、悲惨な光景から引き離し隠す。
「大丈夫、落ち着いて、大丈夫ですから」
強く抱いて優しく、けれど絶え間ない叫びに負けないよう宥めた。
「行かせるか!」
「それをお放しっ」
一方、ヘリオとラダーは、セジューの体を持って切り開いた闇へ消えようとするファウラを必死に引き留めている。
霞んでいく体に刃は空を切り、アリアンサによりふくれあがった魔力でさえ歯の立たない相手だが行かせはしないと。
「きれい事で奇跡が起こせるかどうか、楽しみにしていてよ」
薄れゆく甲高い笑い声が、枯れた哭声と重なって現実離れした光景に異様な色を添えた。
全ては遅きに失したというのか、セジューを助ける方法など本当にあるのか。
わからない、わからない…。
温かく安全な外套の中、恐怖から目をそらし体を丸めてヒナは逃げる。けれど、簡単に逃してくれる現実など、 ここにはなかった。
自分の知らないところで勝手に決まるルールも、それを裁く大人もおらず、人の死は物語の中で起こる殺人事件程度の 気安さで繰り広げられる。
跳ねるボールと見紛うばかりの生首は、切り口から流れる赤色がないだけで見開いたままの目も生々しい、おぞましい 姿だった。
ついさっきまで話していた人が、よく知っている顔が、意思無く転がってヒナを見る。
『貴女の不用意な一言が、僕を殺した…』
そう、無闇にファウラを挑発したせいでセジューを死なせてしまった。
『生命の魔女を呼んで下さい。彼女ならこの命、助けられるのでしょう?』
助けられる、けれど一度だけと約束もしたのだ。
『早く、もう消えてしまう、早く、早く…』
ショックと罪悪感が生んだ幻聴は、内に内に閉じこもるヒナに追い打ちをかけて更に深い闇へと引きずり込もうとする。 全部忘れて、安全な世界に閉じこもりたい。過ぎるほど平和だった日々に帰りたい。
愚かな望みこそ怯えるヒナの神経を支える命綱で、委ねてしまえれば楽だがきっと…。
「しっかりしなさい、目を逸らしてはいけない」
小さく丸まった背をそっと撫でながらも、ディールの声はついぞ無い厳しさを宿して逃げる彼女を引き上げた。
びくりと少女が震えても、彼を全身で拒否しても構わず続ける。
「セジューがここで命を終えようと、貴女が助けられようと起こってしまったことは戻らない。どうか、その時できる 精一杯を成して下さい。後悔はヒナの人生を引き裂いてしまうから」
いつでも、ディールが彼女を一番に考え守ってくれていた。それは肉体的な危機だけでなく、心までも全部。
わかればやっぱり彼は最も頼れる人で、きつく回した腕に伝わる温もりも嬉しくて。
「……でも……恐い……」
自分にできる事などあるとは思えない。頑張ったって死んでしまった人を連れ戻すどころか、魔法を使う呪文1つ 知らないのに。
自分のせいで死んでしまった人に向き合う勇気なんてない。
少し開いた外套の隙間から顔を覗かせたヒナに、だがディールは微笑む。
「私がいます。ね、恐くないでしょ?」
「あのな、俺だっているんだぞ」
「亀の甲より年の功っていうじゃないか」
横手からヘリオもラダーも励ましてくれるから。そう、彼女はいつも1人ではない。


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