25.


この世界に引きずり込まれてから一月と半、平均的現代人だったヒナは痛感していることがある。
いついかなる時も緊張感と危機感が皆無だな、と。
別段それは彼女だけがもつ個性と言うんではなくて、半世紀以上も平和で刺激が少ない時代を生きてきた日本人ならではの特性であろう。
長いものに巻かれ、他人と歩調を合わすことが良しとされる民族は、敗戦後GHQ(わからない人は祖父母に尋ねると良い)が取った政策により牙を抜かれ本来もつ農耕民族の穏やかな性質だけが残った。
…と、こう説明すればさもご大層な理由により惨憺たる安寧に晒された精神が堕落したように聞こえるが、単なる平和ボケという奴だ。
快適な住居に適応したからこそキャンプを楽しみ、わざわざ土を耕さずとも食に事足りているから家庭菜園で有機栽培を趣味とする。防寒を旨とし体を隠すことに重きを置いた衣装はやがていかに露出し着飾るかに趣を変え、平穏の内、希に起こる殺人こそが唯一の恐怖対象。
こんなゆるい社会にどっぷり浸かっていたヒナが、ある日突然、命を脅かされたり奸計に片足を取られたり、道行く人に出会ったらまず疑ってかかるような真似ができるわけがない。
ないからみすみす地雷原に踏み込んで、ついには身動き取れなくなってしまうのだ。
「いかがですか、ご気分は?」
こんな具合に。
目に見えない力に自由を奪われ、声も出ず、人形のように抱き上げられていてよろしと満足できる人間がいたら教えて欲しい。
どうしていきなり囚われの身の上なのだ。しかもつい最近似たような状況に陥った気までしてきた。
「………っ」
唯一思い通りになる視線で強く睨むと、心地良いとばかり微笑んだディールは不意にセジューを振り返った。
彼はアリアンサに力を奪われた時のまま無様に地を這って、圧倒的優位と戦利品を手に己を見下す同じ顔に歯噛みする。
「優しい私のヒナが、あなたに聞きたいことがあるそうです。答えて頂けますか?」
『優しい』と『私の』に妙に力が入っていたのは決して気のせいでは無いだろう。目に見えない火花はよりいっそう激しさを増し、男2人の瞳は今すぐに殺し合ってもおかしくないほどの殺気を孕んでいた。
「…お断りです。ヒナの口から零れた問いにならば、誠心誠意答えもしましょうが、あなたが仲立ちするのであればその義務もつもりもない」
「これはこれは、随分高望みをなさる。私の宝と直接会話をしようとは」
「彼女はまだ誰のものでもないはずだ」
「いいえ、私のものです。私の命、運命だ」
「それはあなたにとってだけではない。僕にとってもヒナは、ただ1人の人」
本人無視で繰り広げられる、とても素面では聞けたものではないそのやりとりの只中に置かれた被害者はもちろんヒナで、憐れな傍観者等と共に逃げ出したい気持ちでいっぱいになりながら遣り取りを眺めていた。
だっていつの間にか言い争いは完璧に本筋を外れ、笑い出したくなるほど滑稽な独占欲が織りなすおもちゃの取り合いに発展している。
止めたくても彼女は指一本動かすことができず、諫めたくとも唇は震えることすらないというのに、血を流すことから無為な舌戦に様式を変えて尚、男2人はヒナの所有権を主張しあっているのだ。
「諦めなさい、あなたに望みはない」
「それを決めるのは、彼女です」
「いいえ、私の否はヒナの代弁、彼女の声です」
それをいいことに相変わらず言いたい放題の男どもに一矢報いたい、彼女が強くそれを願ったとして誰に咎められよう。
「…まあ、気持ちはわかるがね」
縋る視線を受けたラダーだって重い腰を上げたし、
「放っておけば延々とやっていそうだからな」
うんざり顔でヘリオだって味方してくれた。
となれば、少々強気にだってなれる。
「いい加減に、しなさい!!」
急ごしらえでヒナを絡めていた呪縛は魔女の小さな仕草ひとつ受けてもろく崩れ、首から上だけ主導権を取り戻した少女が鬱積した不満を叫びあげる。
「基本的に!あたしはあたしのものだから、忘れないように!」
これは双方どちらにも、平等に理解して貰いたい。
何か言いたげに眉を跳ね上げた男共を視線で一蹴すると、ヒナは鼻息荒くディールに次の『お願い』を叩き付けていく。
「現在進行形であたしはディールの好きを増やしてる最中なの。でもね、こう度々自由を奪われたり、人の意見を勝手に代弁したりしたら、嫌いになっちゃうから!」
なかなか破壊力のある一撃は、更に説得という名の脅迫を繰り返そうと思っていた身の上には厳しく、不承不承ながら彼はもうしないと怪しい約束を口にする。
言葉の裏の譲らない意志の強さはどうしたものかと頭を痛めるものの、ヒナは今の所は良しとして背後の元凶にも視線を巡らした。
「自分勝手な人はもっと嫌い。いつだってあなたは自分の為に平気で他人を傷つける。そんな人をディールと比べたりしない、好きなったりしない」
「嫌われても、良いのですよ」
ところがセジューが呟いたのは思いもかけない一言で、その瞳に一瞬よぎった荒れた感情がヒナの意識を否応なく惹きつける。
「あなたの内に『僕』という存在が残るのであれば、その感情が愛情であろうと憎しみであろうと構わない」
うっとりと零れいずるは、長く彼を苛み続けた果てない夢。
どうか僕を見て。その瞳に焼き付けて…突然消えても忘れずにいてほしい。
「ばっかじゃないの!なんで嫌われてまで覚えててもらおうなんて考えるのよ」
けれどそれは、決して理解されない想いでもあるのだ。
己の存在に疑問を抱いたこともない人間に、いつ消えるともわからない恐怖などわかるはずはなく、『自分』を『自分』と認めて貰いたい願いなど届こうはずもない。
唯一、セジューの感情に近いモノを持っている人間がいるとすれば、それは…。
「…大変不本意ですが、ええ、わかります」
苦虫を噛み潰したような顔をして、言外の問いにディールが頷いた。
認めたくないと全身から拒絶オーラを出していても、痛いほど理解出来るのは事実だから仕方ない。
「どうして、わかっちゃうの?」
視線だけで言葉を交わすにはいささか剣呑な仲の2人に、共有出来る感情があるというのは不思議なモノだと彼女が首を傾げれば、輪の外にいたラダーとヘリオもなんだか複雑な顔で頷き合っているではないか。
まるで大人の話に首を突っ込んだ子どもの気分だった。彼等が見えているモノがヒナには見えない。聞こえてるモノが聞こえない。
セジューが恐れを覗かせたその意味が、彼女にだけはわからないとは。
教えてくれとせがむヒナを曖昧な笑顔で誤魔化そうとしていたディールを遮って、嘲りに満ちた声が響く。
「セジューは人間じゃないからよ。私が造ったお人形、ですもの」
空間を切り裂いて、妖艶な美女が場へ踏み出す。
滝のような金髪を背に遊ばせ、優雅な体の線を強調する長衣を揺らしながら歩む、美しい顔に酷薄な口元が異様な雰囲気を醸す彼女は。
「…ファウラ…」
ラダーの呟きが3人の疑念を真実に変える。
行方の知れなかった1人『諦めきれずしがみついた者』。千年前、夜を盗んだ首謀者。
経緯はわからないが、彼女は今ここにいて、太古の記憶しか持っていないラダーが確信するほど同じ顔をした人だというなら、もしかしてあの時の本人なのかも知れない。
しかしヒナにとってそんなこと、些細なことに過ぎなかった。
長い時を超えても自分を支配出来る力を有する魔女の幽霊がいるのだ。もう1人2人生き残りがいても、驚きはしない。実際には多少動揺しているかも知れないが、取りあえず置いておくことはできる。
それより、ずっと気にかかるのは。
「セジューが…人間じゃ、ない?」
ディールと同じ顔をして、きちんと体温もあって、考えることも動くことも、無茶なワガママを言うこともできる、のに?
まるで口にしたら真実になるんじゃないかと、声にすることすら恐れるヒナにファウラはクスクス笑って頷いた。
「血の代わりに陽光を零す人間がいて?あなただってその目で見たのだから、気づいたはずよ。なのにわざわざ本人の前で確認するなんて、いじわるね」
無知であること、愚かなことは時になんと残酷なのであろう。
そうヒナは、わかっていたのに気づかないふりで、認められない現実を回避しようとしていたのだ。

HOME    NEXT?
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送