23.

人間を消す消さないと、物騒なことを言うだけあって二人の争いは熾烈を極めた。
もとより水分の足りなかった木々はいつ倒れてもおかしくないくらい強風に軋み、二人を中心に据え楕円に展開したブラックホールは闇色の濃淡がくねる空間の歪みを視覚化していて背筋が凍るほど恐ろしい。
「ね、ここにいない方がいいと思う」
怯えきったヒナが充分距離を取った場所で避難していると忘れ、何度もラダーの袖を引くほどに。
「バカだね、連中は命をかけるほどお前さんが欲しいんだよ?間違っても危険などあるものか」
「そんなの、保証ないじゃん」
「いざとなったら盾にしてやるから、ありがたく思え」
軽口を叩いているものの、3人とも状況に猶予がないことは充分わかっている。わかっているからこそ、一番臆病なヒナに気遣いヘリオは笑顔さえ見せていた。
ラダーも掌に爪が食い込むほどに力を込め、ともすれば持っていかれそうな魔力の壁を死守しつつそれをおくびにも出さない。
けれど、ヒナとて無知ではなかった。
ディールが勝利せねば二人の命が危うくなり、万が一にもそうなった場合自分だって無事ではいられないだろうと知っている。
この際セジューが勝利した後ヒナをどうしようとしているかなんてどうでもいい。問題なのは彼女自身の気持ちで、この世界で大事だと思える人達を全て殺されたらやっぱり、復讐をしてしまう気がする。
いや絶対する、確信があった。
「そうなると、必然的にあたしも死んじゃうのよねぇ…」
セジューの放った輝く陽光が、舞い上がったディールの白髪を数センチ虚空に消したのに顔をしかめながら、この愚かな諍いを止める術はないものかとヒナは首を捻る。
さっきから呼びかけているがアリアンサからは何の返事もなかった。そう言えばあの接触より以前、ヒナは彼女の声に一度も気づかなかったと言われなかっただろうか?
「もしや、死にかけないとコンタクトとれないわけ…?」
そんな危険な方法はごめん被りたいと思うが、いざとなれば必然的にそうなるであろう。
何しろヒナはアリアンサの手伝いができるという以外、役に立てることのない凡人なのだ。
魔術はもちろん剣も使えず、いきり立った人を説得できる口のうまさもない。
今だって守られているだけが心苦しくても、できる限り邪魔にならないことが誰にとっても最善なのだと知っているから大人しくしているのだ。
歯がみするほど、自分のふがいなさにいら立っていても。
「何をぶつくさ言っているんだ」
強く襟首をひかれてヒナが立ち戻った現実は、ほんの数刻前から変わり果てていた。
「う、わぁ……」
それまで二人の魔術師だけを取り巻いていた闇色の渦は、いつの間にかヒナ達をも取り込み周囲一面を飲み込んでいる。
「なんでこんなことが起こっちゃうわけ…?」
非科学的なことは受け入れられない現代人だ、人間が起こせる限界を知っているからこそ理解不能な現象ではないか。
前後左右、天地までもが入れ替わったような暗黒空間は、映像でだけ見たことのある宇宙に似ていてバーチャルリアルティな世界。なぎ倒された木が宙を舞いラダーの創る壁の後ろ数メートルだけが、残された現実なんてあり得ない。
「ディールの力の源は闇、対してセジューの力は光。相反するものがぶつかると虚空が現れるってのは、言い伝えだと思ってたんだけどねぇ」
「げっ!それって既に伝説とかのレベルじゃないの?」
「まさしくその通りだ。だがそれより重要なのは、奴が光を源とする力を使うことじゃないのか?」
わかるだろうと見下ろすヘリオに、何がと返そうとした直前、彼女の脳裏を横切る記憶−
『太陽の魔女は?』
行方のわからなかった一人、気になって仕方なかった彼女が振るうのは、光の…
小声でやりとりする間近でこれまでにない大きな力が破裂した。
それはラダーが必死で維持していた壁を直撃し、一瞬足下から大きく揺るがす。縋り付くもののないヒナを狭い空間から放り出すほどの激しさで。
「うぎゃっ?!」
「ヒナっ!」
ヘリオの伸ばした指は虚しく空を掴み、緩んだ結界の隙間は易々と少女を暗黒へ解放した。
「ちょ、ちょっとちょっと〜!!」
猛スピードで飛ばされているはずなのに、視界に迫る木々や岩はイヤにはっきりと認識でき次に起こる惨状を想像する手助けをする。
たぶん、間違いなく死ぬだろう。医者もいないこんな場所で大けがをした日には。
「ディール!!」
強く目を閉じて、こんなピンチには必ず自分を助けてくれると信じる相手を呼ぶ。
彼がいた場所もどれくらい離れていたかも覚えていないが、きっと来てくれると呼ぶ。
「来てってば、ディール!!」
「はい、いつでもどこにいても、あなたのお望み通りに」
魔力に絡め取られた体が衝突の直前、温かな腕に落ちる。見上げた先には穏やかな笑みで自分を見下ろすディールがいた。
「ディール…恐かったよぅ…!」
馴染んだ空気に安堵して状況も忘れて抱きつくと、抱き返してくる確かな感触。
「すみません、ヒナを危険にさらしてしまいました」
気遣う響きを持つ囁きも、なにもかもいつもと一緒だったから、だから…
「素晴らしい、これで邪魔な人間は消えた。ねえ、ヒナ」
ぐっしょりと濡れた掌は、見なくても真っ赤に染まっていることだろう。
「愛しています…永遠に…」
浅い呼気と共に吐き出された言葉はまるで、最後誓い。蒼白の微笑みはヒナの心臓を凍り付かせて、セジューの高笑いさえ耳に届かない。
「ディール、ディール!!」
戻ってくる景色も駆け寄るヘリオとラダーも瞳には写さず、崩れ落ちる体を支え続けたヒナはただ一つを願った。
自分の為に消えかけている命を取り戻したい、その為になら何を差し出しても構わない、と。
『引き替えに何を失っても?』
応える声が上がった不思議にも感慨を抱かず、何度も首を振る。
「うん、うん!」
『運命を変えるなど、人に許されることではないとわかっていても?』
「わかってる!でも、受け入れられない!!」
まだ、何も伝えていないから。淡い恋心はディールの為に芽吹いているのだと。
頼るものもないこの世界で初めて心の一番深い部分を摺り合わせた人、守りたいと思わせた人。
自分の為になど逝かせるものか、彼の命はヒナと共に生きる、そのためにこそあるのだ。
「できるんでしょ?!助けて、アリアンサ!!」
一度は死んだザルダを引き戻したように、離れかけているこの魂を引き戻して。
「あたしが持ってるものなら何でもあげる、だから…」
『何もいらないわ。でも、奇跡は一度だけ』
唐突に少女が意識を失うと同時に、ゆらりと煙のごとき美女が現れた。
目を見張る者などいない、誰もが当然の成り行きと身構えたり安堵したりするだけだ。今もって強大な力を宿す千年前の魔女が起こす奇跡を享受する為に。
「また、邪魔をしますか。せっかくヒナが僕だけのモノになるところでしたのに」
『勘違いをしてはダメよ。人の心は決して思い通りになどならない』
子供のようにあしらわれたことがあるからこそ攻撃に躊躇するセジューを、冷たく見やっただけでアリアンサは指を閃かす。
『まだ魂はここにあるわね。問題はこの傷なのだけど…ああ、丁度いいわ』
パチンと弾けた指先が引き寄せたのは、セジューが身の内に有り余るほど内包する太陽の魔力だった。
キラキラと淡い黄金をまき散らして糸に、やがてはためく薄布の太さで呼ぶアリアンサの掌に渦巻いていく陽光が、紅の唇が紡ぐ呪力に乗って次々ディールの傷を埋めていく。
漆黒の肌に滲む金は、罪を染みこませた肌を一度本来の白磁に変え再び闇色へと染まっていった。
『この子の場合、傷を治すことが容易ではないのよ。内包する夜が安定した力を拒否してしまうから、相反する力を、純粋な陽光をぶつける必要があるの』
言葉は、気遣わしげにこちらを覗き込むヘリオとラダーに向けられて発せられる。
「傷を…それは術者の命を削ることになるんじゃないのかい?」
この場合ヒナの、と言外に問うラダーにアリアンサは花のような笑みを笑み浮かべると首を振った。
『魔力が均衡を失ってからは、随分危うい方法で治療をしていたのね。光と闇が混じり合った力を注げれば、人の体を再生することなどわけはないのに』
そして示された先に微かに睫毛を振るわせるディールが、破れた衣服以外倒れる前と何一つ変わらぬ姿でゆるり体を起こす。
己に巻き付いたヒナの腕をそっと外し、代わりに柔らかくけれど固く抱きしめると彼女の様子から当然いるであろう人物を捜して顔を上げる。
「あなたが、救って下さったのですか?」
『いいえ、ヒナちゃんが望まなければ私は手を貸すことができなかったわ』
何を引き替えにしてもディールを助けたいとの強い想いでなければ、きっとアリアンサには聞こえなかった。元より意思の疎通を取れずにいた彼女たちを一瞬で繋いでしまうほどの、叫びでなければ。
『それにしても、このままでは私の望みを果たす前にあなた達は命を落としそうね…度々出てくるのも面倒だし』
「はい?」
最後の聞き逃せない一言に疑問を投げたディールには目もくれず、アリアンサはセジューから引き出し続けていた陽光を輝く玉へと変えてゆく。
『あなたにはこれを、そして…』
ふわりと泳がせたそれは、吸い込まれるようにディールの心臓へ流れて消えた。抵抗なくするりと流れ込んだ力は、同時に深い闇色の玉を同じ大きさ質量で彼から排出するとアリアンサの指先へと運ぶ。
『これはあなたに』
再び飛び去る玉は今度はラダーの心臓に飲み込まれ、全身へと巡っていく。
『乱暴な方法であるし、そう長く効果が続くことはないけれどしばらくは魔力が秩序を取り戻すわよ…彼に、対抗し得る程度にはね』
くすくすと笑うアリアンサの瞳が見つめるのは、奪われた魔力に動くことも叶わずガクリと膝をついたセジュー、だった。



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