22.              
 
           まず、どこから驚けばいいのかヒナにはわからなかった。
 
           壁紙を剥がすかのように大きく切り取られた空間の中、漆黒の闇にセジューが立っ
 
           ている。
 
           アリアンサが穿った傷の大きさを思えば昨日今日で出歩けるほど治るとも思えなか
 
           ったのだが、現に彼はここにいた。
 
           滑らかに過ぎる動きで、いっそ人間なのかとの疑いを残しながら闇から出でた彼は、
 
           優雅にヒナに手を伸べると微笑む。
 
           「迎えに来ましたよ」
 
           眼差しは自信に満ち、声は確信を含んでいた。
 
           「何を世迷い言を」
 
           もちろんすぐさま反応したディールが、より一層ヒナを抱く腕に力を込めたのは言
 
           うまでもない。
 
           剣呑な笑みを交わし合って、周囲にまんべんなく殺気を撒きながら同じ顔でお互い
 
           を敵と定める。
 
           一触即発。ほんの少しでもおかしな動きをすれば双方いつでも発動できるよう術を
 
           掌で暖めて、いや既に攻撃できる瞬間を伺っているだけかも知れない。
 
           それほどの憎しみが、この二人からはあふれ出しているから。
 
           「ちょっと、ちょっと、まず落ち着いて話し合いから始めない?」
 
           典型的日本人、戦争を知らない世代の日和見主義からつい零れた言葉だが、四方八
 
           方から冷たい視線を浴びたのは言うまでもなかった。
 
           「おめでたいな。自分が殺されかけたことを忘れたのか?」
 
           殿下が冷笑を浮かべれば、
 
           「お前さん、子供より警戒心がないね」
 
           魔女は呆れたため息をつく。
 
           「ヒナ、先に隷属の糸を結びましょう」
 
           ディールの諦めた微笑みを見れば、彼女だって己の発言がいかにこの場面にそぐわ
 
           なかったか自覚するというモノだ。
 
           平和万歳、いいではないか。無駄に血を流したりするより余程建設的で、かつ文明
 
           人として正しいと思うのだが、ふくれて3人を見やっても虚しいばかりで、唯一彼
 
           女に笑んでくれた男は、
 
           「これはこれは、なかなか手がかかりそうなお嬢さんだ」
 
           ダメ押しでこんなコトを言うから、さすがにむっとした。
 
           「人を子供みたいに言わないでよ」
 
           しかめっ面で強くディールに抱きしめられたまま、ヒナの視線がセジューを捕らえ
 
           たのは一瞬。
 
           だがそれは、彼にとって至福をもたらした。
 
           彼女の瞳に映ったのは、同じ顔をした男ではない。紛れもない自分、ただ一人。
 
           「…あなたが私を見る…永遠に…」
 
           想像するだけで体に震えが走り、彼は己を強く抱いた。
 
           今はあの男が独占している少女を引き寄せて閉じこめて、ずっと自分だけを見るよ
 
           うに自分がいなければ生きていけないように、してしまおう。
 
           世界には二人だけでいい、他は誰一人いらない。ファウラさえも必要ない。
 
           これが、望み。唯一、欲するモノ。だから、もう一つ、大切な引き金を引いて。
 
           「あの、えーと、…セジュー、だっ…」
 
           「言ってはいけません!」
 
           慌ててヒナの口を押さえても、最早手遅れ。
 
           悪魔は聞き止めてしまったのだから、欲した一言を、鍵になるそれを。
 
           「やっと、私の名を呼んで下さいましたね」
 
           「……?」
 
           ふわりと柔らかな表情はあまりにも毒が無く、ぎらぎらと殺気を秘めていた海色の
 
           瞳は穏やかにヒナを写している。本当に同じ人物なのだろうかと、彼女が疑うほど
 
           に、ディールかと見紛うほどに甘く。
 
           「あなたを認めて名を呼んだわけではない」
 
           大事な少女を背に押しやりながら一歩間合いを広げたディールに続き、ヘリオとラ
 
           ダーがヒナを守るよう左右を固める。皆一様に厳しい顔をして、さっきより警戒を
 
           強めている理由が彼女には全くわからなかった。
 
           どうして殿下の切っ先はセジューを狙っている?なぜ魔女の内からは圧迫感を感じ
 
           るほどの魔力が溢れている?何よりディールが自分を離さないのは?
 
           子供のように邪気の無い男相手に。明らかに昨日より危険は無いと思うのだが…
 
           「あのさ」
 
           ディールは忙しそうなので、取りあえず隣のラダーに視線を向ける。こちらも緊迫
 
           していることに変わりはないが、彼に問いかけるよりずっとマシな反応があるはず
 
           だと踏んで。
 
           「大人しくしといで」
 
           やはり返事は素っ気なかったが、構わずヒナはセジューをさして首をかしげた。
 
           「あの人、昨日よりいい人になってるように、あたしには見えるんだけど?」
 
           「………」
 
           「話すくらい、危険は無いんじゃない?」
 
           静かだった分思いがけず響いた声は、当然ながら彼らの注意を引いてしまった。
 
           しかも、表情を見る限りまたしても褒めてもらえることはなさそうだ。
 
           「あの、えっと?」
 
           柔らかな表情で、瞳でいる危険人物などヒナは知らないと言外に訴えても、反応は
 
           無く。
 
           「もう喋るな」
 
           視線さえもくれないヘリオに一刀両断された。
 
           ラダーもディールさえ殿下に同調していて助けてくれることはなく、よって彼女は
 
           居たたまれない居心地の悪さに、口を閉ざすよりなくて。
 
           「そう皆で、ヒナをいじめることはないでしょう」
 
           敵であるセジューに救われ、反射的に感謝の視線を向けてしまった。
 
           やっぱり、心を入れ替えてるじゃないと再び思ってしまったほどに心地よい微笑み
 
           もよい。
 
           しかし、ディールの反応は彼女と全く違い、すがめられた瞳に殺気を込めると一層
 
           セジューを睨み付ける。
 
           「あなたが彼女の名を口にすることは、許さない」
 
           「ヒナは自分のモノだとでも?」
 
           「ええ、そうです」
 
           「随分、勝手なことだ」
 
           「意のままにならないからと、命を取ろうとするよりマシでしょう」
 
           「それこそ、お互い様では?僕が彼女を殺してでも手に入れたいと思う狂気、それ
 
            があなたの中に無いと言い切れますか?」
 
           「…私が願うのは、ヒナの幸せです」
 
           「彼女の描く未来に自分の姿が無くても、黙って見送れると?大した偽善だ」
 
           詠うようにディールを追いつめてゆくセジューの瞳は相変わらず穏やかで、ヒナが
 
           安全だと言い張った時のまま寸分も変わっていないのに、なのに…。
 
           「恐い…」
 
           零れ始めた闇が、彼を取り巻いているようだ。密度の濃い闇が、漆黒の髪を流れ白
 
           磁の肌を滑っていく。
 
           汚されることのない純白が余計、柔らかなはずの微笑みを冷たく彩る。
 
           ぽつりとこぼした一言を聞き止めて、ラダーは指先を伸ばすと小刻みに震えるヒナ
 
           の肩を抱いて漂う闇から守ってやった。
 
           壁となったディールが大半を引き受けているとはいえ、セジューが発する毒はあま
 
           りに強ぎて魔力に耐性のないだだの娘には酷であるから。
 
           そうして、笑みを絶やすこと無い敵を見やると、たどり着いた答えをヒナに与える。
 
           「子供の欲に後ろ暗い邪気なんぞありゃしない。お前さんが奴に邪なもんを見いだ
 
            せなかったのはそんな理由だよ。あいつはまるで、幼子のようじゃないか」
 
           「子供…?」
 
           「そう。そしてそれはきっと、ディールと同じ姿の答えにも繋がっているはずだ」
 
           目にするたび彼等に疑問を抱かせるあの容姿と、セジューが子供のようであること
 
           に一体どんな共通性があるのかヒナにはわからなかった。
 
           けれどそれきり口を閉ざしてしまった魔女はこれ以上説明してくれそうにないか
 
           ら、答えはすっぱり諦めて取りあえずどんどん悪くなっていく現状をどうしたモノ
 
           かと考える。
 
           既に視界に入れることさえ恐怖を覚えるセジューから、逃げなければならない。
 
           改心させられたら一番いいのだがもちろん無理だろうし、暴走するままにディール
 
           を放置すれば誰かが、悪くすれば全員が大けがをすること請け合いだ。
 
           とすれば残る手は、
 
           「アリアンサに助けてもらう?」
 
           都合良く出てきてくれるかどうかわからないが、絶対的な力で彼を押さえつけるこ
 
           とができる唯一の人物には違いない。
 
           「…やめたほうがいい」
 
           ところがてっきり賛成してくれるモノと思っていた魔女の答えは、違った。
 
           2人を見据えたまま頭を振ると、ごらんとアゴをしゃくってヒナを促し、時折ぐに
 
           ゃりと曲がる景色に意識を向けさせる。
 
           「空間がきしみ始めただろ?もう始まっちまった。下手にしゃしゃり出るのは危険
 
            なだけで、ろくなコトがないよ」
 
           パチパチと爆ぜる空気が、小さな雷をいくつも起こすと土を木を焼いていて、更に
 
           それは驚くほどの速さで周囲を浸食していた。
 
           「正反対の魔力がぶつかってあちこちに歪みを作っているんだ」
 
           呆然と立ちつくすしかできない、現代では決して見ることの無かった超常現象。
 
           もう近くにいることさえ危険な場所から、少々強引に引き離されていくヒナは全身
 
           に広がる怯えを押さえることができなかった。
 
           この世界に来て随分戦闘に巻き込まれたが、これほど訳がわからない争いは初めて
 
           だ。
 
           穴を穿ったように消えていく景色は、なんなのだ。宙に浮くブラックホールのよう
 
           に色も物質もキレイに消してしまった穴。小指の先ほどの小さなモノから、ヒナ一
 
           人なら潜り込めそうな大きさのモノまで徐々に数を増やし今や二人の男の周りは身
 
           動きできないほどの暗黒に覆われている。
 
           そこにある僅かに正常な景色が、異常性を際だたせた。
 
           想像したこともない奇妙な光景が、底知れない恐怖を産んだ。
 
           「ラダー、壁を作れるか?」
 
           最早剣など何の役にも立たないと、ヘリオは抜き身の大剣を鞘に収めるてすぐそこ
 
           に迫った闇色から身を守る術を魔女に問う。
 
           「作れるが、あれを防げるかどうか」
 
           小さく流れた呪と一瞬ひらめいた掌が、弱気なラダーの声に反して強固な壁を作る
 
           のがヒナにもわかった。
 
           二人から離れた痩せた木の陰で、既に見守るよりほか彼女たちに手はない。
 
           「姫君の王子は一人でいい。特に同じ顔ならね」
 
           「どちらかが消えれば、解決しますよ」
 
 
 
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