21.              
 
           居心地悪そうなヒナと、うっかり目を合わせてしまったヘリオは瞬間しまったと顔
 
           をしかめたが、すがる視線に諦める。
 
           仕方なかろう。誰かが言わねばあの暴走は果てしなく続くのだ。
 
           「…おい、いい加減解放してやれ」
 
           「お断りします」
 
           「即答なんだ…」
 
           臣下が主に恐い笑顔で逆らう様に、ちょっぴり残っていた少女の気力も消え失せた。
 
           軽々と抱き上げられたのは出発前で、それからずっと地面を踏んでいない。つまり
 
           無力な子供のように抱えられて、長い道のりをずっとディールの腕の中で過ごして
 
           きたのだ。
 
           好むと好まざるに関わらず。
 
           ご機嫌にラダーをけなしていた今朝はよかったなぁと思い出して、ヒナは一緒に背
 
           筋が寒くなる光景までプレイバックしてしまった。
 
           そう、平和が崩れたあの時を。
 
           「ヒナ?」
 
           「なに?」
 
           呼ばれて振り向いたその瞬間、全力で逃げ出したくなるのを知っていたかのように
 
           ディールの腕は彼女を捕らえる。
 
           「あ、あの…?」
 
           もう出発だし、底冷えのする薄ら笑いを浮かべた人間と一緒にいるのは精神衛生上
 
           よろしくないのでご遠慮申し上げたい、とはわざわざ声にせずとも態度で充分示し
 
           たはずだが、かの人は全く意に介さない。
 
           どころか長身をかがめるとヒナとばっちり視線を合わせ、甘い声で問いかけた。
 
           「隷属の糸は、どうされました?」
 
           「………」
 
           絶対に答えられないことを。
 
           アリアンサが糸を消してくれてから、いろいろあったおかげでずっとこの件はディ
 
           ールにバレずにすんでいた。
 
           うまくいけばこのまま…などと儚い望みをもったりもしたが彼女とてそれほどバカ
 
           ではない。いつかばれるだろうとの覚悟はそれなりにしていたつもりだった、が。
 
           「実物は、何倍も恐いよう〜」
 
           思わず泣きを入れるほど。
 
           恐怖に引きつりながら味方となりうる仲間を見やってみるが、
 
           「随分、都合がいいじゃないか」
 
           それはそうだ。さっきまで正面か側面から、さんざんいじめて遊んでいた人間に助
 
           けてもらおうという、その根性が間違っている。
 
           ラダーは除外。
 
           「あのな、俺だって命は惜しいのだぞ?」
 
           意気地のない王子様だ。仮にも主君なら、家臣の一人や二人顎で使えなくてどうす
 
           る。…まあ、世の中例外もあるのが常だが。
 
           そんなわけでヘリオも逃げた。
 
           誰も助けてはくれない現状を、逃れる術などヒナにはなく。
 
           「えっと、アリアンサがね、体を貸してくれる代わりにって切ってくれたの」
 
           できる限りかわいらしく、軽い口調で言った後、ここからが勝負だと息をのむ。
 
           正面の男も同じコトを考えていたのだろう。殊更爽やかな微笑みを崩すことなく鷹
 
           揚に頷くと、ではと続けてきた。
 
           「もう一度、結び直さなければなりませんね。さ、小指をどうぞ?」
 
           「……イヤ」
 
           背後から効果音の地鳴りが聞こえそうなほど、緊迫した一瞬だった。
 
           互いに一歩も引く気はなく、内心とは正反対の笑顔のままで無言の精神的攻防。
 
           いつもはそうと気づかぬうちに負けっ放しのヒナも、この時ばかりは徹底的に抵抗
 
           しようと身構えていたし、ディールだって大切な大切な少女を確実に縛り付けてお
 
           ける、いわば保険的な術もナシにこの先旅をする気はないと真剣で。
 
           結果、ぎゅっと両手を握りしめた彼女と、戒めた両手首を解放しようとしない男の、
 
           子供のケンカみたいな争いが数刻続く羽目とった。
 
           不気味な笑いを貼り付けたまま、いつ終わるともしれないに睨み合い。
 
           「…そろそろ発ちたいんだがね」
 
           合図は、ラダーの呆れ声が果たした。
 
           何気ない一言で拮抗は崩れ、直後。
 
           「え、やだっ、うそっ!」
 
           軽々と抱き上げられたヒナが、ディールの首にしがみつく。
 
           視界が急に開けるというのは、考える以上に恐いものなんだと知った。地に足がつ
 
           かないのも然り、腕一本で縦抱きに支えられている現状然り。
 
           「契約を交わさぬまま離れているのはとても不安ですので、この状態で移動しまし
 
            ょうね」
 
           相手に開放する気がないとわかれば、尚更だ。
 
           「じょ、冗談でしょ?!」
 
           正気の沙汰だとは思えず、少々…いやかなりの勢いで暴れてみる。
 
           この先に続くのは昨日上ってきたのとは真逆の下り坂で、実は登りより余程体力を
 
           消耗すると知っているから困るのだ。
 
           理由はともかく、楽をしているようでイヤだ。かといって隷属の糸を結ばれるのも
 
           イヤだ。
 
           何より、ディールに負担をかけるのがイヤだ。
 
           「降ろして、降ろしてってば!!」
 
           力づくで引き寄せた耳元で盛大に騒いでみたが、流し見てくる瞳は絶対の意志を宿
 
           して首を振る。
 
           「隷属の糸は、おいやなのでしょう?」
 
           「うん」
 
           それは、譲れない。
 
           「ならば、これで」
 
           「これもイヤ!」
 
           「わがままは、いけませんよ?」
 
           「しれっというな!!」
 
           こうして世界一番わがままな男に拉致されたヒナは、街道に降りた現在に至るまで
 
           ずっとご機嫌なディールの腕の中にいたのだ。
 
           「…もう、契約を交わしたらどうだ?」
 
           テコでも意志を変える気がない臣下を、全く説得できない情けない主は楽な方へ逃
 
           げるコトを決めたらしい。
 
           確かにそれは一番の解決策で、しぶしぶながら認めるならヒナも諦めた方がはやい
 
           かなっとは考え始めていたのだが、人に言われると意固地になるものだ。
 
           「それじゃ元の木阿弥じゃない。縛り付けておかなくても、あたしはいなくならな
 
            いってディールが認めてくれたらいいのよ」
 
           あさっての方向を向いて、拒否してみる。
 
           「言葉で言うのは、容易いです。けれど、実行するとなると難しい…だから、私は
 
            貴女を離せない」
 
           「…信用、してないの?」
 
           「いいえ。ヒナを疑うことなど、ありませんよ」
 
           「じゃ、いいじゃない」
 
           「心配なのは勝手に寄ってくる虫の方です。貴女が奪われることが恐ろしい」
 
           黙ってやりとりを聞いていたラダーが、眉を跳ね上げたのはこの辺り。
 
           しばらく前までは多少なりとも自由の奪還とか、信頼関係とか、旅を続けて行くに
 
           は欠かせない話題も混じっていた気がするのだが、今じゃすっかり痴話げんかでは
 
           ないか。
 
           しかも、女房思うほど亭主もてずといった具合に根拠のない不安が原因とあらば、
 
           「…そんな物好き、いるのかね」
 
           こんな呟きも口をつこうというモノだ。
 
           「欲目というものだろうな」
 
           もちろん殿下も同意することにやぶさかではない。
 
           通常時であれば耳聡く聞きつけたディールが一睨みで二人を黙らす場面なのだが、
 
           さて今は、そんな余裕もないらしい。
 
           「あの男、セジューと言いましたか、狂気とは違う…幼稚な固執を感じました。手
 
            に入らぬのなら、殺してしまおうという短絡思考。それがヒナに向いている。次
 
            にまみえたとき、手の届く範囲に貴女がいなければ護りきる自信がありません」
 
           真摯に見つめながら、痛みを感じるほどの力を込めて愛しい少女をかき抱く。決し
 
           てなくせない、と。
 
           きっとディールがそんな気持ちでいると、ヒナにもわかっていた。
 
           いつにも増して自分の意見を譲らない理由。無理をしてもヒナを離さない理由。
 
           これはもう、幸せな降伏をするしかないではないか。…命を取られるかもしれない
 
           状況を考えたら、あまりハッピーなことではないとわかっているけれど。
 
           「わかった。ディールが安心できるなら、いいよ」
 
           苦笑を浮かべながら、小指を差し出す。
 
           レイゾクって言葉がいけないんであって、ラブチェインとでも言っておけば納得で
 
           きるってものだ。日本人は横文字にすると意味が軽くなる便利な人種だから、これ
 
           で一件落着できるだろう。
 
           「…ありがとうございます」
 
           本当に嬉しそうに表情を明るくするディールを見て、その思いを強くした瞬間、一
 
           番聞こえてはいけない声がする。
 
           全ての原因で、災い。
 
           「邪魔をさせていただいて、よろしいでしょうか?」
 
           薄笑いを刷いた、ディールを写した男が、いる。
 
 
 
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