20.              
 
           「あらあら、随分派手にやられたのね」
 
           ファウラは笑うと、正面に跪くセジューに白い指を馳せた。
 
           肩口からこぼれ落ちる陽光は次第に薄く弱々しいものとなり、既に彼の輪郭すら保
 
           てぬほど失われている。このままでは彼は『消滅』することになろう。
 
           「申し訳ございません。まさかあのような存在があろうとは、予想も致しませんで」
 
           「構わないわ。私だって、先生がまだこの世にしがみついているとは思いもしなか
 
            ったもの」
 
           悔しげに唇を噛んだセジューの傷は、もうない。
 
           触れてもいない指が瞬きするほどの間に彼を『修復』し、霧散してしまった魔力を
 
           『補充』したから。
 
           「さあ、これでまた支障なく働けるはず」
 
           微笑むと魔女は背後に控えるもう二『体』にも視線を送った。
 
           「バートラ、マカラ、残念だったわね。あなた達、善戦していたのにとんだ邪魔が
 
            入って」
 
           笑いを含んだ声にチラリと視線を上げ、裏のない表情に詰めていた息を吐いたバー
 
           トラは慎重にに言葉を選びながら、主にぎこちない笑みを向ける。
 
           ファウラは彼等の神だ。一つの失言が己の存在を左右する絶対的存在で、かつ感情
 
           の起伏が激しい彼女は機嫌の善し悪しで『人形』を壊すことなど気にも留めない。
 
           現に数日前までいた魔術師は、作戦の失敗と共に霧散した。命乞いする暇すら与え
 
           ず、埃でも払うように一閃した腕は悲鳴と一緒に彼の存在も薙いでしまったのだ。
 
           バートラは、その苦悶の表情を忘れることができずにいる。最後の時、彼を占めた
 
           のが苦痛であるのか無念であるのか、確かめることは叶わないが、簡単に始末を付
 
           けられる命に魔女が感情を与えることに、激しい疑問を抱いたものだ。
 
           命じられるまま働く存在が欲しいのであれば、いっそ自我など無ければいい。
 
           喜びも苦痛も知らなければ『消滅』を畏れることもないであろうに。
 
           けれどどれ程嘆こうと、創造主に逆らえる力を持たないから知りうる限りの手管を
 
           使ってかの人の機嫌を取る。虚しく空々しい言葉を並べても、保身を計る。
 
           「いえ、一撃で仕留めること叶わず、ファウラ様にはお見苦しい姿を晒してしまい
 
            ました」
 
           魔女は手元に嬲る玉に全てを写しているのだ。
 
           数刻前の戦闘も、別格に扱うセジューが『損傷』したのも、太陽の玉を通し覗き見
 
           て知っている。
 
           善戦と言えなくもないが、相手に傷一つ負わせられなかった手駒に温情をかけるよ
 
           うな女ではない。微笑んでいようと、怒りを垣間見ることができずとも、用心に用
 
           心を重ねねば、存在することができなくなってしまうかも知れない。
 
           口べたな傍らの男が無言を通す分、更にバートラの声は勢いを増した。
 
           「あなた様に頂いた力に慢心して、油断した僕が愚かだったのです。次は決して気
 
            を抜くことなく…」
 
           「うるさいわ」
 
           ぞんざいな口調が彼を遮るのと、喉に激痛が走るのは同時で、理解するより先にバ
 
           ートラは石の床を転げ回っていた。
 
           確かな質感の奧、無いはずの器官が悲鳴を上げる。痛みだけが彼を支配する。
 
           「貴方は余計なお喋りが多すぎる。そう、最初から話せなくしておけばよかったの
 
            よね。ふふふ、ふふ、あははっ!」
 
           石畳に立てた爪の間から陽光が滲んでも、懇願する瞳に見つめられても、ファウラ
 
           の表情が変わることはない。狂気じみた笑い声を上げ、愉快な出し物でも楽しむよ
 
           うに真っ赤な唇を歪めて、のたうつ『人形』を眺めているだけだ。
 
           「ねえ、痛い?」
 
           つと、氷のごとき視線を這わせると、無情に問う。わかりきった答え、けれど無視
 
           することのできぬ問い。
 
           狂いそうな意識の下、バートラは激しく頷いた。
 
           「嬉しいでしょ?痛みを感じることができるなんて、人間みたいじゃない」
 
           天使のごとき微笑みを残して、踵は返されてしまう。
 
           声を奪い、苦痛を与え、満足したファウラはもうバートラへの興味を、失ってしま
 
           った。思う通りに事が運べば、彼女にとって他者の苦しみなど気に留める価値もな
 
           いものなのだから。
 
           「…マカラ、彼を奥の間に」
 
           微動だにせず控えていた男にセジューは低く命じると、咎を覚悟で僅か力を振るっ
 
           た。消し去られた声を取り戻すことは禁忌だが、せめて激痛から逃がしてやるくら
 
           い許されてもいいと。
 
           もちろん、ファウラ自身に与えられた魔力を放ったことに気づかれないはずもなく、
 
           柳眉を潜めた彼女にセジューはサラリと嘘を吐く。
 
           「ここで無様を晒されるは目障り。けれど離れてまで彼が苦痛に身を捩りましても、
 
            周囲の迷惑にこそなれ得はございません。ファウラ様とて、うめき声一つあげぬ
 
            者を嬲っても、楽しくありますまい?」
 
           主の残虐性を知っているからこそのセリフに予想通りか、わかって乗せられたのか、
 
           彼女は肩を竦める。
 
           表情は未だ不満だと主張するが、刺々しい空気も緩んではいないが、魔女はそれ以
 
           上を問わなかった。罰を待って見上げてくる海色の瞳を一瞥した後、高座にしつら
 
           えられた豪奢な椅子に身を沈め、憂鬱な吐息を吐く。
 
           「つまらないわね…あなたは、ちっとも変わらない」
 
           「…ファウラ様?」
 
           移ろいやすい感情には慣れているが、さほど付き合いの長くないセジューは怪訝に
 
           顔をしかめた。
 
           自分を見る魔女の目が、時に遙か過去を写していることには気づいている。それが
 
           残酷なまでに彼の存在を否定していることにも。
 
           ファウラはセジューを必要としていないくせに、彼に宿る…正確には彼の魂の欠片
 
           に宿る誰かを、切望しているのだ。
 
           愛している、愛して欲しい、帰ってきて、忘れて。
 
           強い願いを、痛みを伴うほどの望みを、叶えられるのは一人。自分ではない、誰か。
 
           だから、セジューは満たされない。産まれたばかりの幼子は、無条件に注がれる愛
 
           情を求めるのに、与えられないから盲目的に求めるばかり。
 
           僕を見て、必要だと言って。
 
           どうしたらいいのか。不確定で視覚で捉えられないそれを手に入れるには、どうし
 
           たら。知らないから、傷つける。深く、深く、あの子に己を刻もうとする。
 
           「………っ」
 
           意識を彼方に彷徨わせているファウラを見つめながら、セジューは蘇った面影に痛
 
           む胸を自覚した。臓器など持ち合わせない自分走る、不思議な苦痛。痛みであって、
 
           悲しみであって、微笑みたくなる理解不能な気持ち。
 
           一瞬だった。ヒナと、目があったその一瞬で、この心は支配されてしまった。
 
           なのに彼女の唇が零すのは、あの男の名ばかり。瞳が写すのは、よく似たこの姿ば
 
           かり。
 
           僕は影ではない。似て非なる者、セジューだ。認めて、認めて………。
 
           「欲しい物があるなら、奪うの」
 
           それは悪魔の唆し、天使の助言。
 
           「あの娘が、欲しいのでしょ…?」
 
           ああ、その甘さは致死量の毒を含んで。
 
           「殺してしまえば…永遠よ」
 
           微笑む神が囁くから『人形』は己の正しさを確信した。
 
           「会いに行っても、よろしいでしょうか?」
 
           尋ねるが、許しなど請うつもりはない。止められても、例え腕一本になろうと、セ
 
           ジューはヒナを見つけ出し、手に入れるつもりであるから。
 
           ニヤリと見上げた先で実に満足げなファウラの表情を認めると、彼は音もなく立ち
 
           上がり空間を裂いた。
 
           狂気が、蠢く。
 
 
 
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