2.安寧を失った国
 
 
 
           家の中は暗く、埃の匂いがした。
 
           まるで掃除をずっとしていなかったように、どこもかしこもくすんで空き家に入り
 
           込んでしまった錯覚に捕らわれる。
 
           「少し、空気の入れ換えでもしようかね」
 
           眉をしかめた女は、ガラスの張られていない木製の窓を押し開けて外気を取り入れ
 
           ると竈にもまんべんなく降り積もった埃に諦めの表情を作り立ちつくすヒナに粗末
 
           な椅子を勧めた。
 
           「とにかくお座りよ。長い話になるんだから」
 
           進められるまま一脚しかないそれに腰を下ろすと、自分はベッドにドカリと座って
 
           彼女はふっと笑みを刷く。
 
           「さて、まずは自己紹介といこう。あたしはラダー。街の連中は境界の魔女と呼ぶ
 
            者だ」
 
           「魔女…ですか…」
 
           嘆くポイントすらわからない。明らかな別世界でおとぎ話の登場人物に出会った現
 
           代っ子が、順応できる要素などどこにあろう。
 
           「人を呪い殺したり、悪魔と契約したりするアレ、ですか…?」
 
           「なんだって?」
 
           「黒魔術行使して、月夜に円陣組んで躍って、魔女裁判は火あぶり…」
 
           世界史で学んだばかりの知識が意識せずともこぼれ落ちていくのは、混乱がヒナを
 
           取り込んでしまったが為で。
 
           一瞬おとなしくなったかに見えたパニックは実は彼女の中で確実に大きくなってい
 
           て、ただ爆発するチャンスを待っていただけなのだ。
 
           呟きを漏らしながら思う。文明社会じゃ絶対ないと。どこのご家庭で竈が健在だと
 
           言うのだ、車の走っていない街があるのだ、あまつさえ自分が魔女だとほざくおば
 
           さんが存在するのだ。
 
           遠い、あまりに遠いぞ日本!
 
           「まあまあ、お待ちよ。少し落ち着こうじゃないか」
 
           「無理!!」
 
           言い切って拳を握るヒナは、尚も溢れる感情を叫ぶ。
 
           「だいたいアスファルトにでっかい穴が空いてること自体おかしいのよ。えらく長
 
            い落下時間を真っ暗闇の中で耐えて、落っこちた先が草っぱらでしょ?普通死ぬ
 
            って。お尻は痛いし無傷を喜ぶ間もなく、悪戦苦闘して辿り着いた小屋で会った
 
            のが魔女ってアリエナイ!ここどこ?!」
 
           多少…いやかなり支離滅裂である言動は自覚するが、己を止める術を持ち合わせて
 
           いない。詰め寄ったラダーが呆然としていようが、理不尽であろうが八つ当たりす
 
           る相手は他に存在しないのだから仕方ないではないか。
 
           蹴り倒された椅子も、厚く積もった埃についた膝の汚れも気にせずに、ヒナは黒衣
 
           の魔女に答えを求めた。
 
           できるなら、お帰りはあちらと気軽に教えて欲しいものだ。これ以上混乱する前に。
 
           「さて、どうしたものか。国名も街の名もいくらでも答えてやれるが、お前さんが
 
            知りたいのはそんなことじゃないのだろ?」
 
           苦笑するのは、何かを知っているから故、なのだろうか。
 
           逸らされることのない漆黒の瞳が、憐れむように自分を映すのは、果たして想像通
 
           りの理由が存在している気がする。
 
           「元の世界には…戻れない…?」
 
           是非を問うのは怖い。答えが見えているのなら、それは尚更に絶望を煽るから。
 
           けれど聞かずにはいられない。目をつぶってやり過ごせることではないのだから。
 
           「残念ながら。気まぐれに開く次元の扉を操れる者なんぞ、この世界には存在しな
 
            いんだよ」
 
           ストンと体の力が抜け落ちて、ヒナは床にくずおれた。
 
           それはきっと心のどこかではわかっていたことで、マンガじゃあるまいし都合良く
 
           行き来できる異次元などありはしないのだ。
 
           まして自分がここに来た経緯というのが扉を開いたなんて真っ当な方法でなく、あ
 
           るはずのない落とし穴から偶然引っ張り込まれた状況を考えたら…。
 
           「あたし、使命も大義名分もないのに異次元に来ちゃったわけ…」
 
           納得できない。欠片だって理解できない。
 
           せめてお姫様扱いしてもらえるとか、初めて出会ったのが運命の王子様だったとか
 
           おいしいことでも起きない限り不本意極まりないこの現状。
 
           激しく自己の不幸を嘆いていた彼女は、ラダーが微かに微笑んだことに気づかなか
 
           った。下手すると床にめり込みかねないほど落ち込んでいたヒナの髪を優しく梳い
 
           て、魔女は待ちに待った慰めの言葉をかける。
 
           「大丈夫だよ、お前さんのするべきことはあるんだから」
 
           「ホント?!」
 
           いかんともし難い現実なら、目的でもあれば救われるってものだ。
 
           「格好いい王子様と結婚できたり、激しく求愛されちゃったりする?」
 
           勢い込んで求める答えとしてはいささかチープだが、どうせ帰れないのであれば豪
 
           華な生活を夢見たっていいじゃないか。
 
           イケメンの1人も用意しといてほしいのだ。
 
           「いや、それは…確約どころかまったく保証できないけどね、世界にとっての死活
 
            問題を解決する術をアンタは持ってる」
 
           意気消沈。折角世にも希な美形に出会えると思ってたのに…。
 
           「えー…ご褒美もないのに、頑張るのぉ?」
 
           拗ねる仕草のヒナに先程までの悲壮感はない。
 
           帰れない現実に折り合いをつけたと言おうか、ただ単に逃避する理由を見つけたと
 
           言おうか…ともかく言葉が通じるのでよし、やることもできたようなのでそっちで
 
           紛らわせてみよう、などと。
 
           「お前さんは夜を知っているだろう?」
 
           「よるぅ?誰でも知ってるじゃない」
 
           それがどうした。夜を知らない人間など、日本中いや世界中捜しても見つからない。
 
           先ほどのありがたくない出会いでも同じ質問をされた気がするが、もしやこの世を
 
           の問題とはそれに関わることなのだろうか。
 
           訝しげに見上げれば、ラダーの表情が曇っている。
 
           暗く、苦痛に満ちた濃い闇に。
 
           「この世界には知るものがいないんだよ」
 
           「…まさか。自転しない惑星なんてないでしょ」
 
           現に太陽が惜しみない光りを注いでいるではないか。
 
           太陽系の惑星であれば、自転の影響で必ず夜は訪れる。巡るそれは摂理。決して覆
 
           ることのない真理。
 
           「自転…?」
 
           だが魔女に天体の理は理解できなかったらしく、耳慣れない言葉に首を捻り…無視
 
           された。
 
           なんてこったい、なけなしの知識なのにさ…。
 
           ちょっとは突っ込んで聞いてみてよ、なんてヒナの呟きはBGMにラダーは己の説
 
           明を優先させる。
 
           「遙か以前1000年も前に、力に奢った魔術師達が日の運行を支配しようとした。
 
            危険な夜を排除して、安全な昼だけで世界を構成しようとしたんだよ」
 
           「随分と…」
 
           無茶を考える。魔法の無い世に育ったヒナには、人外の力がどれほどのモノかわか
 
           りはしないが、所詮人間の器に収まる程度。広大で果てさえもわからぬ宇宙に浮い
 
           た惑星を、一つ二つ操れると考えるなど過分な奢り。
 
           「バカが多かったんだね」
 
           素直な感想に口元を綻ばせた魔女は、報いは受けたと自嘲する。
 
           「怒り狂った月が暴走を始め、下らない妄想に取りつかれた魔術師は滅び、夜は消
 
            滅した」
 
           「月が…怒るんですか…」
 
           詩人が横行してるんだろうな、と納得がいく表現だった。
 
           星が喜怒哀楽を垂れ流しにした日には、やりたい放題の人間などひとたまりもない。
 
           水を汚したとどつき倒され、木を切ったと首をはねられる。
 
           地球上に生命が存在しなくなっちゃうよ…。
 
           牙を剥いて吼える水の惑星を想像したら、背筋が寒くなった。
 
           いやいやいや、それどころじゃなかった。夜が消滅したってどういうことだい。
 
           「一体この世界はどういう状況なんでしょう?」
 
           いたって普通に見えるのだけど。草が生い茂ってる辺り植物は生育しているし、ラ
 
           ダーが生きてることから推察すると衣食住に不便があるとは思えない。
 
           …夜がないって、どんな風に?
 
           頭を疑問符でいっぱいにしたヒナに、彼女はすっと窓を指さして見せる。
 
           春風に似た優しい温もりを運ぶ風、心地良い日差しが気持ちいい戸外を。
 
           「今は真夜中。お前さん達の世では暗黒が支配する時間だよ」
 
           静かに紡がれた言葉をゆっくり反芻して、噛みしめて。
 
           ヒナは窓と魔女を何度も見比べると、ニカッと引きつった笑みを浮かべた。
 
           「すいません、出口はどこですか?」
 
           燦然と太陽が輝く夜など、認めない。
 
 
 
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