15.              
 
           呼吸をして激しくむせて、その苦痛にヒナは生きていることを実感した。
 
           こわばる指先も涙に滲む世界も全て生あってこそ、二度とごめんな体験だが。
 
           「おや、まだ息がありましたか」
 
           「ヒナ!!」
 
           抑揚のない台詞と、生き返ったらしいヒナを確認したいディールの姿がより一層彼
 
           女の意識を明瞭にして、脳が機能を取り戻しつつある肺に数度大量の空気を送り込
 
           む事を命じた。
 
           早く、世界が崩壊を始める前に、急いで。
 
           「ごほっ、ほっ!は、はぁはぁ、ちょっと、待ってね〜」
 
           しわがれ不明瞭な声で破壊魔王に笑みらしきモノを送ったヒナは、取り敢えず手近
 
           な場所に噛みついた。
 
           脱出優先、再び同じ憂き目に合う危険性は高いが、先程と大きく違うのは幽霊の味
 
           方が憑いていると言うこと。多少の隙を突くことさえできれば、彼女とディールの
 
           連携でなんとかしてもらえるだろう。
 
           隅から隅まで他力本願ではあるが、きっぱり役立たずの烙印を押されたからには無
 
           理はしないのである。できることをできる限り、これをポリシーに生きていこうと
 
           思う。
 
           「随分、威勢のいい」
 
           ぞっとする響きを含んだ台詞に凍り付いている暇はなかった。
 
           間髪入れずに襲う骨が軋みそうな拘束に、気力を振り絞って最後の抵抗を示す。
 
           神様に、異世界でも共通な男性の弱点をありがとうと謝辞を送りながら。
 
           「…っ!」
 
           息を飲み緩んだ腕から転げ落ちるヒナを待っていたのは、固い地面ではなく温かな
 
           腕で、
 
           「きっちり、守ってね?」
 
           急激に熱を持ち始めた額に約束を思い出した少女は、僅かに安堵を覗かせた瞳に命
 
           じて魔女に体を明け渡した。
 
           力を貸すとはどういったことなのか瞬間までわからずにいたヒナだが、実行してみ
 
           ると存外簡単な行為で拍子抜けにがっかりするほどなのだ。
 
           コイン返すように、くるりと反転した意識が体の支配権をアリアンサに渡す。
 
           視界は相変わらず明瞭であるが指先一つ自由にならない、不思議な感覚だった。
 
           『ふふ、何が起こっているのかわからないのは面白くないでしょ?目が見えるのは、
 
            力を貸与してもらっている謝礼みたいなものね』
 
           脳内に響く脳天気な声に複雑な思いで礼を述べたヒナは、フワリと宙に浮くアリア
 
           ンサの姿に無言のエールを送り、完全な傍観者としてディールの腕に落ち着いた。
 
           一方、生き返ったヒナを取り戻したはずのディールは、突然の出来事に短く息を吸
 
           い込むと腕の中と中空を交互に見据えて目をしばたく。
 
           人形のように目を見開いたまま動かなくなった少女、明らかに人でないモノが浮か
 
           ぶ眼前。
 
           「…これは…一体…」
 
           「残念ですねぇ、生きていればさぞお美しい方だったでしょうに」
 
           『あなたの反応は正常、あなたの反応は異常ね』
 
           ディール、セジューと指さしてアリアンサはにこりと笑った。
 
           純白のドレスをたなびかせ、1メートルは地面から離れ、うっすら背景が透けて見
 
           える状態の彼女は、離れて争っていた他の4人の注意をも引いて皆の視界を占めて
 
           いる。
 
           宿主のヒナにさえ姿を認めてもらえなかった幽霊は、安定した力の供給を受け千年
 
           の時を遡り再び世界にその存在を表したのだ。混乱を秘め、終焉を携えて。
 
           『長い、時を経たのね。また会えて嬉しいわ』
 
           アリアンサの宵闇の瞳は真っ直ぐディールを射抜いて、不意に老成を湛えた表情で
 
           過ぎた時間を鑑みた。
 
           「…初対面であったと思いますが?」
 
           訝しむ彼に謎だけを残し、それ以上は語らない。魔女は己が持つ答えは、ヒナにも
 
           ディールにも決して明かさないと暗に匂わせて、大人しく成り行きを見守っていた
 
           セジューに視線を移した。
 
           色違いの男、同じ顔を持つ2人だというのにアリアンサの反応は違う。
 
           はっきり、それとわかるよう嫌悪を纏って小さく首を振るのだ。
 
           『ひどいことを…。年月もあの子を変えなかった。今の私ではあなたを助けてはあ
 
            げられない』
 
           「おかしなことを仰る。この身が助けを求めているように見えますでしょうか?与
 
            えられた生を楽しんでいるようには見えませんか」
 
           喉の奥で籠もる笑みに嘲りを含み、残忍を瞳に宿して口角を上げる様は、狂気と融
 
           合して彼の相貌を変えた。
 
           ディールと酷似する貌に驚いていた筈の者が、自らの間違いを正そうと躍起になる
 
           ほどに、その変化は激しい。
 
           そして、それを見守っていたアリアンサは苦痛に眉根を寄せたのも一瞬、白銀に輝
 
           く髪を揺らし周囲で風が唸りを上げるだけの魔力を胸の前に集わせていく。
 
           『楽しんでいるから困っているの。人の命は弄んではいけないものよ。ましてや本
 
            人の想い無くして”あなた”が存在してはならない』
 
           もしラダーが話しのできる状態であれば、光球の柔らかな輝きに感嘆の声を漏らし
 
           たであろう。また、ヒナの口がきけたなら、月光のようだと評したかも知れない。
 
           アリアンサが虚空に練り上げた球体は、今この世界の誰もが知らぬ光を宿し、異界
 
           の者には郷愁を誘う輝きとなって辺りを満たしていた。
 
           「…面白い魔力だ。初めて見る力ですね」
 
           セジューが放つ魔力は、ディールと全く同じ闇を媒体とするもの。
 
           数センチの厚みはあろう壁を己の前に構築しながら、膨大な力を放っていくのに何
 
           故か増幅の後が全く見られない。あり得ない、能力。
 
           薄気味悪い微笑みが彼から消えることはないが、闇の濃度が驚く早さで上がってい
 
           くのはアリアンサの未知なる力が大きなプレッシャーを与えている証拠に他ならな
 
           いだろう。
 
           現に半歩、セジューは後退したのだから。
 
           『たいして珍しいものでもないわ、月光を模しただけの力ですもの』
 
           凝縮され掌ほどで成長を止めた光球が、ゆるりとアリアンサの元を離れた。
 
           『じっくり、ご覧なさい』
 
           弾かれた指先に反応して、球は速度を上げると闇の壁を通過する。
 
           まるで綿毛の中を通過するように、抵抗も衝撃もなく通り抜けたのだ。
 
           「なっ!!」
 
           頬を掠めた光に顔色を失ったセジューに立ち直る暇は与えられることなく、二波が
 
           背後から迫って肩を抉っていく。
 
           『あなた方の使う力は偏りすぎた力。秩序を宿し条理を満たした力の前では塵ほど
 
            の価値も持たない』
 
           どこか寂しげな瞳を追ったディールは、セジューが与えられた擦り傷に息を飲んだ。
 
           一滴の血も流さず、淡く発光する傷口から目映い陽光が零れて消える。
 
           さらりさらりと風に散り、空に溶け、天に還って行く様は幻想的で、現実から遠く
 
           離れた世界の出来事のようで。
 
           『人形はいらないのよ。欠片を返して、お戻りなさい』
 
           それ即ち『死』ではないのかと、ディールが問うより先にセジューの胸を穿とうと
 
           した光球が霧散する。唐突に、前触れさえなく、消え失せる。
 
           『理由がわからないから、これ以上はダメ』
 
           『…あら、契約違反じゃない?』
 
           ヒナの声が聞こえない面々には、独り言に明るい声を発するアリアンサの行動は奇
 
           妙にしか写らなかった。
 
           形よい唇を尖らせて、腕組みをして膨れる魔女は言葉とは裏腹、チラリと安堵を覗
 
           かせてセジューを一瞥する。
 
           視線はまだ彼の存在を許せずに揺れていたが、綻びを露呈する様に背を向けた。
 
           『逃げるなら、この隙に。私が迷って彼女が止める今だけが、好機よ』
 
           回りくどい表現ではあるが、セジューは迷わず指を上下に振り下ろすと中空に出現
 
           させた裂け目に身を躍らせ、消えた。
 
           ほんの僅かな時、羨む視線をディールとヒナに投げた後。
 
           「…よかったのですか、行かせて」
 
           何一つ理解できる状況でないだけに彼の問いは躊躇いを多く含んでいたが、振り向
 
           いたアリアンサの顔は実に明るく楽しげだった。
 
           『予定外ではあるけれど、仕方ないわ。宿主に協力を拒否されしまったんだもの』
 
           周囲ではいつの間にか喧噪も止み、対戦相手を欠いた2人が全くわからない事の真
 
           相を求めて、こちらに近づいていた。
 
 
 
                HOME    NEXT?
 
 
 
           
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送