14.              
 
 
 
           死んだらお花畑が見えるんだと信じていたヒナは、大層驚いた。
 
           ぐったりとセジューに抱かれた自分と、怒りに魔力を燃え上がらせたディールの狭
 
           間で、為す術なくオロオロするハメに陥ったのが現実だからだ。
 
           苦痛から解放された安堵とか、死に対する絶望を悠長に感じる暇もない。とにかく
 
           暴走寸前の魔術師を止めなくては。
 
           『落ち着いて、あたしここにいるから!ほらほら!!』
 
           …と、顔の前で透ける手を振ってアピールしたとて気づいてはもらえない。ならば
 
           と髪を引っ張ろうと試みるが、無駄な努力だ。
 
           幽体となったヒナの存在は、霊能者でも連れてこない限り誰にも見えないのだから。
 
           『まっずいよ〜』
 
           次々放たれる漆黒の球体を、意外に身軽な動作でセジューがことごとくかわすから
 
           事態はなおも悪化を続けて、終いには鬼のような形相のディールの周りに暗黒の靄
 
           がまとわりつく始末。
 
           誇大表現をしているわけではない。視覚に訴えないはずの魔力が密度を増し、具現
 
           化した挙げ句に色まで持ってしまったのだ。
 
           これだけだって彼の怒りの大きさがわかるというもの。
 
           『他人があなたを殺したら、月を落として見せましょう』
 
           永久凍土な微笑みで言い放ったディールの顔が、ヒナの中でグルグル回って余計に
 
           気を焦らせる。
 
           未だセジューに捕まったまま、荷物のように揺れている体に入れないものか触って
 
           みたり、ラダーやヘリオなら見えるかもと死闘を繰り広げる2人の傍をうろついて
 
           みたり。
 
           全部、徒労に終わって。
 
           『もう、どうしたらいいわけ〜』
 
           死んでまで涙が出るかは知らないが、思わず泣き叫ばずにいられないではないか。
 
           異世界に放り出され、いらん使命を押しつけられ、殺され、息絶えた後も苦労を重
 
           ねろと言う。あんまりだ。
 
           『あらあら、泣かせちゃったわね〜』
 
           だから、わんわん喚く耳元で誰かの脳天気な声がはじけた時にはつい、
 
           『うるさい!!』
 
           なんて怒鳴ってしまったのだ。
 
           …幽霊に話しかける奇妙な人物については、深く考えることなく。
 
           『ごめんなさい。でも、あなたも悪いのよ。こんなに鈍い人がこの世にいるとは思
 
            わなかったんだもの』
 
           朗らかにけなされた。呆れているとおぼしき吐息をかみ殺して、初対面のヒナを愚
 
           弄した。
 
           ちょうどストレスも溜まっていたところ、発散できる相手がいるのなら標的にさせ
 
           てもらおうではないか。
 
           『どこがよ!初対面の人に言われたく…』
 
           尻つぼみに声が消えていく先に、ヒナが八つ当たりしようとしたお姉さん…いや、
 
           キレイなお姉さんが浮いている。
 
           月光を編み上げたシルバーブロンドをなびかせて、日の光を写す蜂蜜色の肌に、宵
 
           闇の濃紫の瞳、朝焼けを思わせる朱の唇。
 
           整いすぎた造作の顔を歪めて、皮肉な微笑みを浮かべる彼女を神様が創ったのだと
 
           したらあまりに不公平だ。10人並の顔形に疑問を感じたことはないが、目の前の
 
           人が人間だと言うのなら今ここで奏上したい。
 
           贔屓しすぎでしょ。その美貌、少しくらい分けてくれてもいいんじゃないの?
 
           『…誰?』
 
           理不尽な感情をぶつけている自覚はあったが、ヒナにとって我慢できることではな
 
           いらしく、現状を忘れてふくれっ面で問うてみた。
 
           せめて死神だとか天使だと名乗られたら、許そう。だって、人外の者であれば常識
 
           はずれにキレイでも納得がいく。
 
           『そうね、千年前の魔術師で、今はあなたを守っている者。名前はアリアンサよ』
 
           『人間だぁ…』
 
           ずんと落ち込んで、はたと気づいた。
 
           守っている?いつ、どの状態の、ヒナを?
 
           『あのぉ、あたしもう死んじゃったんだけど、生きてる時に守って欲しかったよう
 
            な…』
 
           至極当然な要望を提出すると、アリアンサは問題ないわよと軽くあしらうのだ。事
 
           もあろうに、人の死を。
 
           『お話ししたいのに、あなたちっとも私を見ないんだもの。夢に入り込んでも反応
 
            無し、耳元で呼んでもダメ、仕方ないから同じ死人になってもらったらどうかと
 
            思っただけ。…それだって必死に呼びかけてたのに、気づいてくれるまで一体ど
 
            れ程時間を要したことか』
 
           心底イヤそうに呟いた内容が、初対面の小馬鹿発言に続くのだと理解ができた。
 
           知らぬ事とはいえ、ヒナは彼女にかなり労力を使わせたようで、同時にそうまでし
 
           てアリアンサが話したかった理由がわからない。
 
           そういえば…
 
           『千年前の魔術師って、夜を消しちゃった張本人?』
 
           確か焼き尽くされて灰になったと聞かなかっただろうか。死してなお赦されず、月
 
           が輝きを消すその日まで現世を彷徨い続けていたとでも?
 
           しかし、その問いにアリアンサは笑みを曇らすと小さく首を振った。
 
           『世の中にはね、罪を誘発する者がいるの。直接罪を犯すよりも責任は重いのに、
 
            決して責めを負うことはない。あの時の私の立場よ』
 
           『え、じゃあ真犯人なの…?魔術師に夜を消すよう命令した』
 
           『いいえ。そんなこと誰も望んではいなかった』
 
           『?…それじゃ教えてもらった話と違うんだけど』
 
           『ふふ、口伝なんかを信じてはダメ。真実は自分で見つけなくてはね』
 
           それきり口をつぐんでしまったということは語る気はないということで、頑なな表
 
           情に諦めて肩を竦めると、ヒナはすっかり混迷を極めている戦場に意識を戻す。
 
           悠長に昔話に聞き入っている場合ではない。取り敢えずディールを止めなくては、
 
           世界より先にラダーとヘリオを巻き込んで殺してしまう。
 
           『あっさり死んでもらっただけって言ったくらいだもん、あたし生き返れるんだよ
 
            ね?真実とやらを究明するためにも、あそこへ戻してほしいな』
 
           どうかジェノサイドが始まる前に、と懇願の眼差しを向ければ戦局を一瞥したアリ
 
           アンサはそうね、と微笑む。
 
           『では、用件を聞いてもらわなくちゃ。この先、あなたの体を貸して欲しいの』
 
           『……どうやって?』
 
           死人に肉体の貸与をするというのは、地球スタイルで言うならば憑依だろうか。
 
           その行為に馴染んだ挙げ句、軒を貸して母屋を取られるなんて事態になるのは非常
 
           に困ると、ヒナは眉をしかめた。
 
           『警戒しなくても大丈夫、正確には体に宿る力を貸して欲しいの。緊急時だったか
 
            ら、昨日も無断で拝借したでしょ?』
 
           不安が払拭されることなく、募る一方なのは何故だろう。
 
           昨日のピンチと言えば一つしか思い出せない。ヴェンダを助けるため、ディールの
 
           力を体で受けたあの時だ。
 
           呑気に大丈夫を繰り返すアリアンサに、訝しげな表情で確認すると頷かれてしまっ
 
           た。間違いないと。
 
           『驚いたわ、あの魔女さんが恐ろしい提案をするんですもの。あのね、勘違いしち
 
            ゃダメよ?ヒナちゃんには夜を知っていること以外、なんの力もないの。あんな
 
            事したら、死んじゃうんだから』
 
           今更ながら浮かぶ冷や汗と−幽霊に汗が出ればの話だが−、押し寄せるやるせなさ
 
           にヒナが沈んだとして誰に攻められよう。
 
           一歩間違えば命を落とす行為で、次からは役に立てることもあるとにわか喜びして
 
           しまった。異世界に召還された時点で、自分には人とは違う何かがあるのではない
 
           かと、ちょっぴり期待していた。
 
           なのにどうだ、夜を知る以外取り柄がないと…?
 
           『あなたが時空の狭間に落ちたのは本当に偶然で、『夜の娘』なんて言われている
 
            けど、本当は救い主は男女どちらでも構わなかったの。欲しかったのは夜と昼と
 
            を均等に宿すその体、精神力』
 
           最後の一押しで奈落の底へたたき落としたヒナを、アリアンサは真摯な顔でひたと
 
           見つめる。
 
           『私の力はあなたの体から引き出した力でないと発揮できない。この世界の人達は
 
            皆、闇と光のバランスを崩した魔力を使っているから媒体にできなかった。千年
 
            先を見越し、パートナーとなるヒナちゃんを呼べたまではよかったけれど、接触
 
            が遅れたことで危ない目に合わせてしまったわね』
 
           ごめんなさいと下げられた頭にヒナは少しだけ安堵した。
 
           自分自身が大活躍はできないが、役に立つことはあったではないか。彼女が何者で、
 
           どれ程の魔力があるかはわからないが、足手まといになるだけだったヒナもアリア
 
           ンサの手助けができれば頭数くらいにはなれるにちがいない。
 
           『平気。それよりアリアンサはこの先ディール達に味方してくれるの?してくれな
 
            いなら、体貸すのうんて言えないんだけどな』
 
           不本意ながら異世界で命がけの冒険をするハメになった原因は彼女が作ったようだ
 
           が、過ごした時間でヒナにも果たすべき目標ができてしまった。利害関係が一致し
 
           ない相手と協力するのは無理だと思われる。
 
           脅しのようだと思いながらも交換条件を口にしたヒナに、アリアンサは大きく首を
 
           縦に振った。
 
           『その辺は安心してちょうだい。元より夜は取り戻すつもりだったし、マハトの子
 
            に協力しないわけにはいかないわ。ヒナちゃんと彼等を守るために私は力を振る
 
            う。ただし、一度だけ好きにさせてもらってもいいかしら?』
 
           『いいけど…いつ?』
 
           『今ではない、けれど遠くない未来よ』
 
           確信を持った宣言にヒナの中でカチリとピントがあって、大事な答えが見つかった
 
           のだが、これは黙っていることにした。
 
           一緒にいたら、わかる。真実を探していけば、その人にぶつかるのだろうから。
 
           『わかった、約束ね』
 
           いつもの癖で小指を出して、ヒナの顔が曇るのにアリアンサが苦笑する。
 
           キラリと光る糸は肉体を離れてもなお、魂まで呪縛しているらしいのだ。
 
           『契約成立の証に、これは切ってあげるわ。戻ったら確認してみてね』
 
           彼女の細い指がフワリと小指を撫でるのを合図に、背中が強く引かれて視界が歪み
 
           はじめた。
 
           高速走行する車の窓から見る景色のように、はっきりと形を成さない木々や人を尻
 
           目に勢いよく、本来の肉体へ。
 
           『額が熱くなったら、できるだけ安全な場所に隠れて。私が力を借りている間、ヒ
 
            ナちゃんは無防備になっちゃうから…』
 
           そういう大事なことは去り際でなく、本題を会話している最中に言って欲しかった
 
           とため息が一つ零れた。
 
 
 
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